過日、招待されて、二十年振りに集まった高校の学年の同期会に教師として出席した。いわゆる熱血教師でもなく、淡白に生徒諸君と接してきた教員生活であるので、出席しようかどうか迷ったが、教え子が担任が来ないと肩身が狭いだろうと思い、出席することにした。
11クラスの大世帯であった。初めて教壇に立った時、4クラスであったし、その後も6クラス、多くても8クラスを経験していたのに、この高校の11クラスとは振り返るだけで大変な数の時代の生徒たちであったのだ。主催者によると、教師8人をふくめて115人の出席だったということであった。もちろん少数の有志が企画して実現にこぎつけたのだと思う。100名以上の同級生とは連絡が取れなかったと言う。その労が偲ばれる。
当日、会場に入ると多くの顔なじみの卒業生諸君がいた。先生方が奥に座っておられ、お互いにちらっと歳を取ったことを確認しながらも、私の視線は懐かしさで一杯になり、いつの間にか卒業生諸君の在りし日の姿を追うことに懸命になった。顔は分かるけれど名前が思い出せない。確か、この子はあの子に違いないと思っても、さすが20年の年輪が彼らの顔に刻まれていたりして、戸惑うことが多かった。
その場で学年主任の先生が気を効かして、最後の学年便りと、「名票」をコピーして持参してきてくださった。よくぞ保管しておられたものと感心した。ただ残念ながら当方最年長でもあり、老眼で読めない。折角の労を感謝しながらも、すぐポケットに押し込まざるを得なかった。
数人の生徒と立食形式の会場の騒音の中で交わった。騒音というが、やむを得ない。あっちこっちで生徒教師入り乱れての旧交を暖める場であったからである。しかし、そのうちの何人かが、外交辞令もあるのだろうが、私のキリスト信仰を覚えていて、子沢山な先生の生き様が今も心の支えになっているという意味のことを言った。私は該当学年の時、ちょうど既存の教会を出ようとしていたときでもあり、、ある意味で個人的には大変な嵐を経験していたのに、生徒諸君の目には、私のその葛藤よりもキリスト信仰がストレートに伝達されていたことに感謝した。
他の7人の先生は私と違い、生徒とより深く接しておられたので、もっともっと深い交わりがあったことと思う。会はそれぞれのクラスの生徒が担任に花束を渡し、受け取った教師がお礼を兼ねて、所感を述べる形でお開きになった。もちろん、この後、何人かの者たちは更に二次会へとなだれ込んでいった。後ろ髪を惹かれる思いもしたが、私は自転車で会場を後にした。考えてみると、学校へも自転車で通った。正真正銘の「自転車稼業教師」である。
あいにく、家内は出かけていて、同期会の印象を話すわけにも行かず、会場で学年主任に渡された学年便りを眺めるともなく眺めていたら、自分の旧稿も載っていた。下手な字で
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)
と書き、戯言(ざれごと)を書き連ねている。そんなことを書いていたとは、二十年振りにあの時代を思い出さざるを得なかった。組織された教会生活の偽善性に挫折し、方途を尋ね、やっと、現在の主イエス・キリストの臨在を体験しようと心がけている豊かな集会に辿りつこうとしているときであった。その喜びも束の間、自らが牧師のような役割を果たさねばならないのかと、また勘違いの信仰に陥りそうになっていたときに、先輩の信仰者が私に耳にたこが出来るほど繰り返し語ってくださったみことばだ。
しかし、当時も目にしたはずだが、ショックを持って読ませていただいた別の先生の記事があった。その文章は「この3年間ずいぶん泣き虫になってしまいました。」という出だしで始まり、ご自身の愛児の出産の時の喜び、その後の2ヶ月での召天についてのご自身の感慨を敢えて書かれたものであった。この同僚の先生がこのような悲しみの中にあった時に、自らは何と愛が冷やかであったかを思い知らされたからである。その他にもお一人お一人が心を込めて卒業生に語りかけておられる。素晴らしいと思った。
そして改めて11クラスの「名票」を手にした。家に帰ったものだから、老眼鏡はある。各クラスの名票を眺めているうちにその名票の底から、生徒諸君の二十年前の姿が立ち上がってきたのである。これには驚かされた。二十年後の生身の諸君と会ってきたばかりで、その時は思い出せなかったのに、色鮮やかに名前と顔が私の脳裏にしっかり刻まれているのだ。(もちろん、全員ではない。でも会場では言い当てられなかった生徒諸君の姿がかなりの程度再現できたのだ)
アルバムを見、名票を見て、しばし二十年前の授業も振り返らされた。そして一つの珍しいエピソードを思い出した。地理の授業で、最初の時間、私は悪戯(いたずら)たっぷりに、一年間の授業を受けて、私の国籍がわかったら、申し出て来い、当たったら景品を上げると言った。国籍はれっきとした学習テーマだ。ところが、私には良くあることだが、当の本人は言ったことを忘れているのだ。果たせるかな学年末の最後の時間にK君が挙手して「先生、先生はベトナム人でしょう。さあ、景品をちょうだい。」と詰め寄ってきた。私はK君が一年間も私の顔をしげしげ観察していてくれたのかと、感激しながらも、「ちがう!私の国籍は上だよ。天の御国だよ。天国だよ。」と言いのけた。彼は「先生、また冗談を言って、先生はベトナム人だよ。」と言い張るのであった。結局彼に景品を後で渡したかどうかは忘れた。残念ながらそのK君は来ていなかった。
久しぶりに現役に戻された一時であった。
しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都(天の都)にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(新約聖書 黙示録21:27)
(昨日、一昨日に引き続いて冬の琵琶湖である。暑さの中、お体に気をつけてください。)
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