2023年6月1日木曜日

「蓼食う虫も好き好き」と「いのち」

水無月に 蜜柑葉喰むか 青虫よ
  昨夕、家内が胸を撫で下ろすかのように、外から帰って来て、報告した。お隣さんにいちごジャムを作ったので、持って行ったところ、お留守だった。ふと見ると、植木鉢の蜜柑の木に青虫が三匹ものぼっていて、ために葉という葉はすっかり食い荒らされていた。思わず叩き落として、つぶそうかと考えたが、やめた。お留守だったので、もう一度おうかがいした。が、今度はジャムはもちろんのこと、青虫を収めるためにちょっとしたビニール袋(潰すのは穏当でないと思い)を用意し、出かけた。

 ところが、お隣さんに、その青虫の害を伝えたところ、「いいえ、私たちは青虫が食べて成長するのを毎日楽しみにしているのですよ」と伝えられたそうである。家内はもちろんお隣の方のそのような思いを知らず、自分なりにお隣さんの益になるようにと袋まで用意して出かけたのであった。だから、最初の思いどおり、潰してしまっていたら、とんでもないことになったと述懐した。昨晩の夕食のちょっとした私たちの話題となった。

 上掲の写真は、先ほど、お隣さんの家の前に置かれているその蜜柑の木を、撮影させていただいたものである。こうして青虫を見ると、緑の葉っぱの間に葉脈と一体となっているが、しっかりした眼を備えている。いずれは蝶々となり、自由に空中を舞いかけるのだ。しばしの忍耐の時だろうか。そんなことを思っていたら、東大和から長女が車を走らせてやって来た。ベニカナメモチの「ごま色斑点病」の消毒のため、散布機を持参してだ。

 さっそく、消毒剤を買いに走り、散布機を動かし、すっかりビールスにやられてしまった、ベニカナメモチの木々に遅ればせながら、薬剤を散布し始めた。ところが、まだ家で購入して一回しか使っていないと言っており、中々思うように始動しない。何回か始動に失敗しながらも粘り強く、最後は散布機を思うまま動かすことができるようになった。ちょうど、そのころ、彼女が「薔薇の木に蜂が巣を作っている、今のうちに取った方がいいよ」と声をかけて来た。蜂の巣と言えば、昨年、滋賀の実家で射落とすのに苦労したが、まさかここではそれほどではないと思いつつ、「青虫」の生態に昨晩から感慨を覚えていたので、今度は「蜂」の生態が気になった。散布をそっちのけに蜂の巣作りを観察した。上左の写真がそれである。体長わずか、2センチほどの蜂で、巣そのものも1.7センチ平方の小さなものであり、長女もよくみつけたものであると感心させられた。今日の娘と言い、昨日の彼女の母と言い、二人とも繊細なのだ!

 今日から水無月、6月であり、関東にも早晩梅雨が始まる。季節は春から夏へと確実に動いている。植物の繁茂に合わせ、自然界は生き物の躍動する時なのだ。お隣さんの流儀に倣って、蜂の巣もそのままにしておきたい思いがあったが、さすがにこっちの方は家内も私も長女も巣を取ることで一致していた。ところが、取った巣を見て、心が互いに傷んだ。巣の中にはほんとうに小さな小さな卵があったからである。いのちの芽生えをこうして私たちが摘んでしまって良かったのだろうかという思いである。

 今朝、玄関先に仲良く「鉄砲百合」がつぼみを三輪見せていた。長女が庭仕事を終えて帰るときには、そのうちの一輪が花を開かせていた。ここにも生きる世界の成長がある。主に信頼して確かな歩みをしたいという思いに駆られた。

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。(新約聖書 マルコの福音書4章26節〜29節)

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