2023年6月15日木曜日

半可通の『柏木義円』紹介(3)

柏木義円(1860〜1938)
 柏木義円を知らなくとも、内村鑑三(1861〜1930)は知っておられるだろう。内村鑑三を知らなくとも、森鴎外(1862〜1922)を知っておられることだろう。手元の日本史辞典(角川1985年版)を繰ってみると、柏木8行、内村14行、森19行の解説記事となっていて、ほぼ予想通りだった。ただ柏木がゼロかなと思ったが、そうでもなかった。地方にいながら、その去就は注目されざるを得なかったということがわかる。

 さて、それはともかく、三者ともほぼ同年齢であることに驚く。内村と森はそれぞれ欧米での外国生活がある。アメリカとドイツである。それに対して、柏木は当時日本の植民地であった朝鮮へ必要があって向かった時を除いて、一度も国外に出たことはない。もっぱら、聖書と安中の人々、せいぜい上毛の人々(熊本や京都、東京の人々を除けば)との交流が中心だったのではなかろうか。

 私が初めて関西から北関東、それも両毛地方と言われる足利に来たとき、からっ風には正直、参らされた。温和な滋賀県から荒削りとも言うべき自然の脅威をもろに受けた思いであったからである。その中で、上毛地方の前橋へは萩原朔太郎ゆかりの地と知って、『旅上』の詩を口ずさみながら列車の窓に顔をくっつけんばかりにして、車上の客となったことを思い出す。それは単なる行きずりの、土地に根を下ろすことのない一青年のロマンに生きる幼稚な姿に過ぎなかった。

 柏木はもちろん違った。その上毛に生きる生活人としてその名を冠する『上毛教界月報』を実に459号発刊している。これは年数に換算すれば、およそ40年にわたる心血注がれた月報でないのか。その間、何回か時の政府によって発禁処分を受けている。しかし、その月報を通して上毛地方、両毛地方のキリスト者の信仰を守り抜いたことがうかがわれる。これだけでも生半可な知識で述べるのが、はばかれる大きなテーマである。

 さて、片野氏の述べる柏木義円の「回心」の文章を以下に書き写す(ミネルヴァ書房版27頁より)

 土塩村に住む中山光五郎が柏木を心配して、泊まりがけで説法をしにきてくれ、君は罪を知れりやと問いかけた。そのときの柏木は自分に罪があるとは知らなかったが心の卑しさは知っていると応じると、それが罪だと畳みかけられた。かくて柏木は神の存在について講究を始め、ついに神は在るものと推定、神は存在すると思うにいたった。それは1883年11月4日のことである。

 柏木は安中教会の聖餐式に出席した。与板の大火からは三ヶ月強しか経っていなかった。西光寺消失の後始末の最中であり、西光寺の再建などは及びもしない。柏木はいかなる心根で聖餐式に臨んだのであろう。海老名牧師の説教には何も感じなかったが、聖餐をともにできない者があればつぎの機会には受けるようにとした海老名の言葉に志望も趣味も全然一新し、今まで西に向いていたものが東に向いたように思われた。何ものかの力が心中に加わって自分を動かし、忽然と神の存在を認め、彼を受洗へと駆り立てたのである。すると、虚言の習慣を嫌悪し、眼疾を案じる憂患は変じて感謝となり、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事益となるようにして下さることを、私たちは知っている」(ロマ書8・28)との妙なる実験が柏木を誘った。柏木が終生愛することになる聖句の一である。最大の欠点と思ったのは虚言癖で、最大の不幸と感じたのは眼病だった。神は両者を虚しくしないで、これらを用いて自分を導いたとは柏木の回顧談である。

 柏木は、まず一足先に同志社に向かった中山にこの悦びを告げ、新島には虚言も告白した。新島からはすぐに返事が届いた。手紙は柏木がもはや一面識の人でなく、一家の兄弟である、君は万福慶賀すべき身となった、前非は再び口にするには及ばない、主はこれを識り許したまうであろう、天国の途花の山のようだ、何を恐れることがあろうと祝い、慰め、激励するものであった。「三尺の童子もなおその荒唐不経を笑うが如き教理を、新島先生ほどの方がいかにして信じ居玉ふや」、つまり子供が笑い飛ばすような荒唐無稽な教理を新島先生のごときがなぜ信じるのかと、悩みに悩んだ疑問はすべて氷解した。年が明けて、柏木は進んで海老名から洗礼を受けた。1884年1月6日、柏木25歳である。

 以上が片野氏記するところの柏木の「回心」であるが、私は新島の柏木に対する真情〈君は向来面識の人と称すべからず。乃ち主に於ける一体・一家族・兄弟と言わざるべからず。君、勉めよ、天国の途、花の山の如し。苦辛何ぞ恐れん。難嶮何ぞ憂ふるに足らん。勉めよや君。〉に涙せざるを得ない。かつて、足利の地で信仰者の孤独をかこっていたとき、そのことを手紙で知らせたとき、若き日に同志社で学んだ伯父は「浩君夫妻、両毛の一粒の麦とならんか」と励ましてくださったその言葉尻を同時に思い出すからである。同時にその時京都福音自由教会の古山洋右牧師がはるばる京都から我が足利の茅屋に泊まって行かれ、ローマ8章28節のみことばを示して励ましてくださったことを思い出す。時、ところ変われど、人の真情は変わらないと思う。

 今日も悲惨な事件に私たちは接している。接せざるを得ないのかも知れない。しかし、あきらめず神の愛を信じて歩んでいきたいものだ。

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いてあなたがたに伝える知らせです。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。(新約聖書 1ヨハネの手紙1章5節、9節〜10節)

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