高宮町字鳥居上(※)を貫流する太田川水路 |
私の故郷は滋賀県彦根市高宮町である。中仙道の宿場町で中仙道の宿(じゅく)の中では埼玉県の本城宿についで第二番目に大きい宿場町であった。昭和30年代に町村合併で彦根市に編入された。その時の様子は以前にも書いたことがあるが、今回、私はその高宮町にさまざまな字名(あざめい)があったことを思い出し、その字名を必死に思い出してみた。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/search?q=%E7%94%BA%E6%9D%91%E5%90%88%E4%BD%B5
北から、「大北」「中北」「宮町」「高橋」「七軒(しちけん)」「前浦(まえら)」「鳥居上」「五社(ごしゃ)」「仲町」「本町」「西浦」「竹之越(たけのこし)」「東出(ひがしで)」「西出」「門口(もんぐち)」「御旅(おたび)」などである。そして、それぞれの字がどこからどこまでを指すのか、今も大体見当がつく。私の字は「宮町」であった。隣の字が「高橋」であったので、「高宮町」はこの二つの字の名前から来ているのだろうと勝手に想像していた。
字はお祭りの時や、町内運動会で、互いに対抗意識を丸出しにすることもあった。宮町(みやまち)は高宮神社のお膝元、「太鼓」は出さないが、代わりに高い「幟(のぼり)」を立て上げなければならなかった。高宮神社の鳥居を越す高さであった。それは祭りの準備に欠かせない祭事であった。それもあって、「太鼓」を担ぎ出す代わり、台車に乗せた「鐘」を出していた。子供が台の上の前後ろに乗り、鐘を叩く、あとの者は、その台車を引っ張って歩く。町を縦貫する中仙道を練り歩く主役は「太鼓」であった。それは大きな字が受け持っていた。祭りのメインはやはり太鼓である。その点、鐘は引き立て役であり、それほどエネルギーはいらなかったが、何となくパッとしなかった記憶がある。
このような「町」、「字」は確固とした「若衆組織」を基盤に建て上げられていたのではないだろうか。小学校から中学校に進む時、お酒を一升持って、若衆に入れていただくのである。送り出す家の方でも、受け入れる若衆側でも、それぞれのうちに身が引き締まる「社会儀礼」であった。私も成人として公的に祝われるはるか先、13歳で、地域の仲間に正式に入れていただく時として、緊張を覚えさせられた。このような習慣は日本の津々浦々で用いられていたのでないだろうか。
そのようなコミュニティーをもとに、さらに学校があり、地域社会は構成されていった。そのような社会にも様々な「事件」は起こされていたに違いない。しかし、今日ほどセンセーショナルな事件は少なかったのではないかと思う。このところ立て続けに銃を使っての犯行が明らかになった。明らかに日本社会は病んでいると言える。あの牧歌的と思えた昭和30年代の社会にも報道されなかっただけで、様々に事件はあったのであろうが、これほどひどくはなかったと思う。
荒廃著しい社会がはやく落ち着きを取り戻してほしいと願うのは私だけではないだろう。一方、1843年(天保元年)生まれの新島襄は、鎖国下の日本の国禁を破ってまで、アメリカに行き、人間が人間として大切にされる世界、神を信ずる生きた世界があることを知った。そして日本社会をそのように変えたいと、私学による教育と福音伝達に精を出したのでないか。このこともまだ何も知らない。でも、今まで無知であった私の「新島襄」観は少しずつ改善されつつある。「自治」こそたいせつであり、その根底には「人権」を父なる神様に対するありかただとする新島襄がいたにちがいないと思う。そして、お二人が礼拝を犠牲にして行かれた先はおそらく「自治会」であろう。自治会が、単なる上意下達の機関でなく、ほんとうの「自治」会になってほしいと思う。神を恐れ、人間を大切にする社会こそ、悲惨な犠牲者をこれ以上出さない秘訣ではないかと思うからである。
※「鳥居上(とりいかみ)」とは、この字には多賀大社に通ずる大鳥居があることから名付けられているのだろう。この多賀大社は俗謡で、「お伊勢、多賀の子でござる」と言い、この付近では信心深い人が行く。それだけでなく、何を隠そう、私の高校合格への祈願はこの多賀大社であった。高宮神社が、すでに字である宮町にあるにもかかわらず、多賀大社にまで行った。初詣自身が多賀大社であった。それは誰も不思議としない行為であった。大社であるだけに神社より格が上で、高宮神社では合格はおぼつかないと思っていたのであろう。考えてみると、高宮には高宮神社の鳥居があるのに、ここからは真東に一里(四キロ)ほど離れた多賀大社の参道よろしく宿場町である高宮のこの場所に建てられていたのだから、顧みると、町内には二基もの鳥居があったのだ。このような高宮は宿場町であるだけでなく、その多賀への玄関口の役割も果たしていた。もちろん今もそうである。初めに、神が天と地を創造した。神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(旧約聖書 創世記1章1節、2章7節)
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