2010年8月24日火曜日

「人間の姿勢」とは


 過日、家内の中学時代の先生だった方と夫婦で会食に招待され、お話を伺う機会があった。(本当は話が逆で、喜寿になられた先生を私たちが招待するのが本筋であるが・・・)その先生に家内は直接教わらなかったが、家内が二年のときに初めてその中学に赴任されたと言う。ただその後、妹の担任となられ、教員であった家内の父親とも知り合いだったので、その存在を覚えていただいていたようだ。教わりはしなかったが、もう一人の先生と一緒に、様々な問題のあったその中学を徹底的に改革しようとされていた若い熱血漢の先生としての印象が今も鮮明に残っている、と言う。私たちはおよそ7時間ほどのその先生のお話をもっぱらお聞きする側にまわった。そしてそれはすべて決して退屈することのない滋味に富んだ話であった。
 
 小学校、中学校、高校の各先生を経験され、高校の校長も勤め上げられ、退職後は大学や大学院のの講師として後進の教育に当たられ、文字通り「教育一筋」に生きて来られた方である。お話をお聞きしている間中、この方とは対照的な自分の教師生活の腑抜けさを大いに恥じ入らされた。たくさんのお話をお聞きしたのだが、以下の話はその先生が初めて小学校の教師として赴任された昭和30年代初期の話である。

 下宿の真ん前は電気屋さんでね。まだテレビのない時でしょう。野球のナイターが始まると電気屋さんの前が一杯になるんですわ。その隣に○君の家があってね。その○君のお母さんが毎朝立ってはるんですね。ちょっと太っちょでね、笑顔のいいね、それが毎朝言わはるんですわ。「先生、おはようございます!」と挨拶して、それで「今張り切ってやるけど、もうすぐだめになるよ」って毎朝言われるんです。それ言ってもいやな感じしなくって言われるんです。

 でもアンマリ言われるから、時間に余裕があった時に、「なんでそういうこと言われるんですか。ちょっとさしつかえなかったら理由を教えてください」って言ったら、「そんな先生決まってますがな」こう言わはるんです。「決まっている、と言ったって、ぼく全然わからんがな。」と言うたら、石部というのは旧東海道の宿場町やから道一本でしょう。そこへ通勤の先生がそこを通らはる、まあそれしか道がない。ほんで先生の顔見てると、新しい先生やなあーとわかると。そういう先生も精々一年か一年半経ったら普通の顔になってしまはる。それで先生の教育の姿勢が分かると、それで言うてるんやと。毎日一ヶ月近く言われるからいっぺん聞かなあかんと思うてね。聞いたんやけどね・・・

 お聞きしていて心温まる話だった。このお母さんの眼力は鋭い。それだけでない。そう言われた先生がその言で引っ込まず、それを「ばね」にして51年にわたる教師生活を送ってこられたことを象徴する大切な話だと思いながらお聞きした。しかもこの先生は、私たちのようなでたらめな後進の者に膝を屈して、福音の真髄を求めて招待してくださったのだ。

 私は石部町のこのおばさんと先生の話を聞きながら、バプテスマのヨハネがイエス様について次のように言ったことばを思い出していた。

あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。(新約聖書 ヨハネ3:30)

この言もまた路傍でなされた言であろう。「なんでそんなことを言わはるんやろ」と思う人はおられないだろうか。その言を解く鍵は次のイエスご自身の言明である。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(新約聖書 ヨハネ14:6)

(招待してくださった大津プリンスホテルの最上階38階から見下ろした風景。)

2010年8月2日月曜日

聖書は私たちの海図 ホッジキン


 今日ややもすると「私たちはキリストを信じているから、聖書を読む必要はない」と言う人があると聞くが、神様が聖書を通して示された黙示とも言うべきことばを離れて、どれほどキリストを識っていると言えるだろうか。聖書以外の書物はわずかにキリストの事跡が歴史と一致していることを示す程度であって、キリストのご人格やその教訓やみわざについては何も記していない。

 聖書によってキリストを知らない者が、聖書に関係なく、その心に語りかけられ黙示を受けたと言っても、どれほどキリストを知ることができようか。人間の良心と理性とがどんなに不十分な導き手でしかないかは、聖書中の士師記が実例を挙げて明らかに証明している。「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」と士師記の中には二度も書いてあるが、それは、決して彼らが良心のとがめることをしたのでなく、自分の目に正しいと見えたことを行なったにもかかわらず、その結果は、恐るべき罪の極限にまで達したのである。

 士師記の記者は多分サムエルであると思われる。本書は王政が建てられた後(士師21:25)、ダビデがエルサレムを攻め取る前に(2サムエル5:6~8)、サウル王の治世中にサムエルが書いたのだろう。「そのころ、イスラエルには王がなく」という言葉は、法律を執行し秩序を維持する外形的な王が無かったことを示している。しかしこの語は、私たちにとってはまことに深い意味があるように聞こえる。

 これは、実はある人々の心の写真であって、私たちの心の中に主イエス様が一切を治める王として在(いま)さないので、私たちが自分の目に正しいと見えることのみをしたならば、直ちに士師記の状態に陥ることを教えている。聖書には王国の律法が書いてあるが、もしこの律法を棄てるなら、その国民は不忠義な民であることは言うまでもない。「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)

 信仰生涯の航海において、自分の小船(心事)の安全を請い願うならば、船の中に、聖書という海図と、聖霊という羅針盤とを備え、主イエス・キリストを船長として迎えておらなければならない。もし航海者が、私には羅針盤があるから海図の必要はない。または、海図があるから羅針盤の必要はない。と理屈ばっていたとしたらこれほど愚かな話はない。羅針盤はつねに北を指しているように、聖霊は常にキリストを指している。聖書もまたキリストについて証しているが、この二つは互いに一致するものであって、聖霊は聖書に黙示されたキリストを携え来たって、私たちの霊魂のためにこれをいのちとせられるお方である。

(『66巻のキリスト』ホッジキン著笹尾鉄三郎訳101頁から抜粋引用。若干訳を変えたところがある。写真は昨日に引き続き、茨城、日立灯台下にある公園から眺めた太平洋。天気の良い日には地平線がすっきり見えるという。)

2010年8月1日日曜日

心を守れ クララ


「油断することなく、あなたの心を守れ」(箴言4:23)

 すべてのものにはそれぞれに目的があり、その目的を完成するために作られたのです。男性は男性としての道、婦人は婦人としてのあるべき道、そこには混乱をゆるされない厳かな道が定められてあります。ところが現代は靴の先まで足の先まで見なければ男だか女だか見分けがつかないと言う混乱ぶりです。あなたの心を守れと叫ぶ声がひびきます。

 今から三、四百年も前、まだ印刷術が充分に発達していなかった頃のことでしょう。一人の思慮深い人がスコットランドに来ましたが、当時スコットランドには聖書がありませんでしたので彼は考え、箴言を千部つくって人々に読ませようと努力しました。一人が読み終えると次の人、次から次へと皆に読ませました。この努力が長い年月つづけられました。箴言のお言葉がスコットランドの人々の心に根を張りました。世人はスコットランドの人々を評して「賢い人、実際的な人、さらに倹約な人々」だと言いました。

 この真実なよい性格は千部の箴言のもたらした結果です。聖書の一部である箴言が生み出した美徳でこの心の土台から生命の泉は流れ出て人を生かします。

 ああこの小さな聖書の分冊、箴言がスコットランド人をこんなにつくり上げたことです。生命の言葉を心に蓄えると言うことの偉大な効果を思いますが、現代は漫画がはんらんし、大学生の机上にも幼児の本箱にも漫画の洪水で、垣根も屋根も押し流されています。この結果として来るのは何でしょう。何のよきものを期待できましょう。

 賢く、実際的なそして倹約な精神はどこにあるでしょう。「まかなくに何を種とて浮草の波のまにまに生いしげるらん」で、得たと思うものは根なし草ではありませんか。

 聖書はお言葉を大切に心にとめよ、耳を傾けよ、目をはなさずあなたの心のうちに守れといましめています。聖書の言葉は神の目的を知る道です。神が人に幸福を得させるために記された大切な記録です。これを守り行なえばあなたの後の子孫は幸福になる、との約束は確実です。

 作品は作者の心を現わすものです。この地球をつつむ愛の大気、静かに大気は愛の手に大地を支えています。学者の研究では日毎に二億の隕石が大地に向かって飛んで来ます。しかしそれが大気圏内に入ると焼失して姿は失われてしまいます。もし大気が地球を守らなかったとするならば、丁度月のように人も生存できないクレーターとなってしまいましょう。しかし愛の大気は静かに地球をつつみ外敵を消滅させ、大きな隕石は人身で処理できるように消失して落ちて来るとは何と言う神の愛の作品でしょう。

 私共は神の愛によってつくられた作品です。油断することなく、心を守りましょう。地球が大気につつまれているように我が魂も愛の大気につつまれて!!

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著1976年刊行7月31日の項、鈴子さんの文章より引用。鈴子さんのペンネームはクララ。写真は日立の古房地鼻<こぼうちはな>にある灯台。初めて今日いわきのTさんの車で連れてってもらい拝見しました。言うまでもなく向こう側が太平洋です。松の木はしっかりと大地に根を張って、吹き寄せる潮風に弓なりになりながらも、倒されることなく立っています。「箴言は スコットランド 魂の 灯台の如 根となりゆけり 」)

2010年7月30日金曜日

一冊の聖書


 今から40年以上前に、一冊の聖書をプレゼントされました。裏表紙に贈り主の字で、次のように書かれていました。

 聖書は私を罪から遠ざけ、罪は私を聖書から遠ざける。

 全66巻もある聖書よりも、私にとってこの文章は強烈な文章でありました。自分は決して良い人間だとは思っていなかったが、さりとて、「罪」とは穏やかならざることを言うなりと、この文章で感じたからです。しかし、贈り主が、そのような思いで聖書を手にしていることだけは、はっきりわかりました。

 新改訳は1970年が出版された年であり、したがって私の最初に手にした聖書は口語訳でありました。私にとって記念になる聖書でしたが、いつごろか、どなたかに譲り渡してしまいました。今でもはっきりしたことは思い出せません。聖書は今でも手に入りますが、贈り主の書いた筆墨も鮮やかな字が二度と見られないのは、ちょっぴり残念な気もします。

 ところで、これに似た話を昨日知りました。実はウオッチマン・ニーが31歳の時だと思いますが、結婚記念に妻に聖書をプレゼントするのです。長年恋焦がれていた彼女は有能でチャーミングな人でしたが、主イエス様を知ろうとしないので、結婚を諦めていました。ところが、その彼女がのちに救われるのです。とうとう二人は結婚へと導かれたのです。その集大成が聖書のプレゼントだと言ってもいいのかもしれません。

 ところがその大切な聖書は後に行方が分からなくなります。日本と中国が全面戦争に入るあおりを食った形です。1937年、昭和12年の7月ウオッチマン・ニーは招待されて、妻と別れ、マラヤで宣教の働きをしていました。そのちょうどその時、すなわち8月14日日本軍が上海に侵攻します(※)。防戦する中国軍も空から攻撃を加えます。大混乱です。妻は上海にいました。当然戦火に見舞われました。

 ウオッチマン・ニーは折りも折、マラヤからシンガポールへと次の宣教地へ行こうとしていたときでありました。彼は急遽、妻を捜しに上海へ帰ることにします。幸い妻は姉妹と一緒で無事でした。しかし彼らの新婚家庭は避難地域に指定されていて、すべての持ち物は没収の運命に会いました。聖書はその中の一つであったはずです。

 ところが、実はそのあとに忘れられない話があるのです。それは恐らくそれから4年のちの1941年、昭和16年のころだと思いますが、あるお茶の会にニー一家が招かれ、妻はホスト主から包み物をいただきます。何だろうと開けてみると、それは4年前彼女の手から離れていった一冊の聖書でした。驚く彼らに真相が明らかにされます。

 アイルランドでのことだそうです。ある中国人宣教師が集会に呼ばれて、聖書について語っているうちに、「手元に中国語の聖書があったら、ここの箇所はもっと生き生きと話ができるんですがね」と思わずうめきともつかぬ言葉をつぶやいてしまったそうです。ところが聞いていた会衆の中からここにありますよと見せられたということです。更に詳しく聞いてみると、その人の息子さんがイギリス軍に所属し、上海で戦利品を探しに一軒の空家の中に入ったら、一冊の本を手にしたそうです。ところが中国語で書いてあるから、何の本か分かりません。ただ、本の見返しの部分に、英文で一箇所、次のように書いてありました。

Reading this book will keep you from sin; sin will keep you from reading this book.

 彼は「this book」とは紛れもない聖書だと思い、この本、聖書を持ち帰ったということです。中国人宣教師がその聖書を手にとって見ると、中国語で献呈の辞が次のように書いてあるではありませんか(ここでは英語で表しますが)

Charity from Watchman

 Charityとはウオッチマン・ニーの奥さんの名前です。彼は早速そのアイルランド人に頼み、譲り受けて中国に持ち帰って、それがこの幸せなお茶会への招待となったというわけでした。(これらの項目の話は、すべて、最近親しい信仰の先輩からお借りしている『Against The Tide』Angus I. Kinnearの109頁、122頁から引用者が独断で意訳した話ですので細かい点でミスがあるかもしれません、その点ご了解ください。なお、Angus I. Kinnear氏は『キリスト者の標準』の日本語版に序文を寄せているが、もともとこの人がウオッチマン・ニーの本の英訳をしました。)

 私はウオッチマン・ニー夫妻にそんな話があるとはつゆ思いませんでした。40年以上前に私に聖書をプレゼントしてくれ、今は家内となっている彼女に一体このことばは誰が言い始めたのかと聞いたところ、スポルジョンかもしれない、と彼女の答えも要領を得ないものでした。もしウオッチマン・ニーの書いた言葉がいつの間にか日本のキリスト者の巷間に伝えられていたとすると、すごい日中交歓史になりますが、そうではなさそうですね。

イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(新約聖書 ヨハネ9:39~41)

(写真は同書所載の写真をスキャンさせていただいた。※日本史年表によると8月14日でなく、8月13日である。)

2010年7月29日木曜日

向日葵の「君」、忘れじ


 また、一人、大切な人を天に送った。Yさんだ。63歳であった。彼女は東京・赤坂見附の病院に7月1日に入院されたが、25日間の入院生活の末、この日曜日、すなわち25日の朝、天国へと旅立たれたからである。入院された時は、すでに、病患は深く、すい臓から肝臓に癌が広がり、手のつけられない状態にあった。それゆえ、ご家族もご本人も皆それぞれ覚悟の上での入院生活であった。

 三日目には「私はここから天国へ旅立ちます!」と言われたそうだが、Yさんも人の子、自らが誰よりも先に行かねばならない不条理さに涙された時もあったろう。一週間ほどし、思い立ってみことばを中心とするエミー・カーマイケルやオズワルド・チェンバーズの書いている小文をメールで送った。すぐに返事が来た。

「ありがとうございます。もしよろしかったら続いて送っていただけますか? 涙が出ます。励まされます。」とあった。彼女の気持ちがストレートに伝わってきた。そして私自身、大いに励まされた。彼女がみことばを食べて強められていることを知ったからである。

 しかし、今振り返ると、圧倒的な主イエス様の愛に生かされていた彼女は私たち一人一人の救いを求めながらも、大急ぎで天国への階段をあっという間に駆け上って行った感がする。一度10数名の方とお見舞いに行ったときなど、「この道はみんなも通る道よ、私だけが先に行ってしまってごめんね。順番に来てね。最後でいいから。」と明るくユーモラスに病床で語り、みんなに「ありがとう」「ありがとう」と繰り返し・繰り返し語られたことばが、今も私の耳朶を離れず心地よく残っている。

 以前にも書いたように、私たち夫婦にとっては、彼女が昏睡状態に入る二日前、(それはちょうど召される一週間前になったが)語ってくれた、証は忘れることができない。秋田の田舎から上京し、若い時に、ご主人と出会われたが、その時は神様を知られなかった。結婚され、お子さんを育てられる中で、求めて主イエス様の救いに預かられたのだろう。その当初から私たちとは同じ信仰を分かち合う間柄であった。今から30数年前のことである。

 その時、自らが神を知らない時に、神の戒めを無視して生きていた生活を具体的に話してくださった。そして、罪の悔い改めとイエス様の身代わりの死を感謝して受けとめることが、どんなに家族が祝福される源になることかを涙をもって証してくださった。もとより彼女は完全な人間でない、むしろ様々な失敗を経験したであろう(と、思う)。しかし、その都度、彼女は悔い改め、主の祝福を抱かれてきたことがよく理解できたのだ。聞かされる私たちはただひたすら主イエス様を恐れるのみで畏れさえ抱いた。

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。(新約聖書 ヘブル12:14)

 人間は自らが聖くなれるわけでは決してない。ただひたすら聖くしてくださる、イエス様の十字架上で流された血潮を信ずる信仰を通してのみ可能である。そのことを自分で十分体験していた人であった。

 昨日の葬儀には200人近い方が遠く秋田や四国、それに栃木や千葉・東京からもというように関東各地から集まってこられた。それは「病気のお見舞いよりも私の葬儀に来て欲しい」と言う、彼女のたっての願いの実現であった。目立たない彼女であったが、彼女を通して福音を聞かされていた人が一人や二人でなく、たくさんおられたことを後で教えられる。

 聖書に基づく葬儀はYさんのためにあるのではない、ましてやYさんの徳を讃えるものでもない。彼女は私たちより一足先に天の御国に召されたのだから、そのことに何の心配も要らない、むしろ羨ましいくらいだからである。だから葬儀は残された私たちもまたどのようであれば、天の御国に凱旋できるかということを一人一人が聖書を通して悟らされるためにある。

 葬儀の式次第の中の賛美(日々の歌「180番」、「136番」)や、聖書箇所は10日前に病床の彼女があらかじめ決めていたものであり、メッセージはベック兄に、特別賛美は藤井奈生子姉にと依頼されており、その通りに実現した。葬儀の終わりには長女の方、喪主であるご主人からそれぞれご挨拶があったが、真摯なものであり、心洗われる清々しいものであった。お二人の素朴な清い信仰は会葬者の胸を打ったにちがいない。以下に掲げる聖書のことばは彼女の指定したものである。

主よ。あなたの恵みは天にあり、
あなたの真実は雲にまで及びます。
あなたの義は高くそびえる山のようで、
あなたのさばきは深い海のようです。
あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。主よ。
神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます。
彼らはあなたの家の豊かさを
心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを、
あなたは彼らに飲ませなさいます。
いのちの泉はあなたにあり、                 
私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩篇三六・五~九)

 「ああ、いい人は皆、先に天に行ってしまうのね。」 家内がいつになく淋しく独語した。同感である。

(写真は葬儀で飾られた八基の花のうちの一つ。彼女は「ひまわり」「ゆり」「ラン」「ラベンダー」が好きだということだった。実は今から10日程前に高校の卒業生の同窓会で二十年振りに教え子のE君に出会い、同君が花屋さんであることを思い出した。これはちょうどいいと思い、早速お願いすることにした。交渉してみると、さすがに「ラベンダー」は無理だということであった。その彼がこちらの注文に応じて、様々な工夫を凝らして良心的に提供してくれた作品である。彼の腕が用いられたことを主に感謝する。「向日葵の 仰ぎし光 君もまた イエス様見て 駆け上りしや」 「教え子の 背に見る自信 我もまた 晴れ晴れしきか 向日葵まぶし」 )

2010年7月25日日曜日

戒めを守り、愛のうちにいなさい 


「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネの福音書15:10)

 キリストの愛を深く洞察し、愛とはキリストが人の魂を守られることであると固く信じることによって、平安で、しかも力強い生活に入った人のあることを前に述べた。このような生活の変化と、これを受け入れる信仰に関連して、しばしば聖別ということばが用いられる。完全な服従の生活に入らない限り、このすばらしい愛を受け続けることはできないことを魂は知っている。同時に、キリストが私たちを罪から遠ざけることを信じる信仰が、私たちを服従させる力を持っていることを、立証しなければならないことを魂は知っている。そのことによって、今までの信仰の妨げをしていたものを全く捨て去り、神のみこころにかなう生涯に入ることが約束されるのである。

 今ここで救い主は、そのみ教えの中で、主の愛につながる人生の条件として、主の戒めを守ることを求めておられる。この条件は、今開かれたばかりのキリストの愛につながる住み家の門を閉じるものではけっしてない。また、ある人々が喜んで受け入れようとしているこの条件が、手の届かないような遠い所にあるというものでもない。その条件とは、「わたしの愛のうちにいなさい」という約束そのものである。開かれた門への道しるべは、私たちが到達できないような単なる理想ではないのだ。祝福された住み家へ私たちを招待するために差し伸べられた愛の手は、私たちに戒めを守ることを可能にさせる。だから主のみ力により、父のみもとに昇られた主のみ力により、主に従い、戒めを守ることを恐れなく誓おうではないか。私たちにはキリストのみこころをとおして、キリストの愛への道が貫通しているのだ。

 ただキリストのみこころとは何を意味するかをよく理解することが大切である。それは神のみこころであると私たちが考えていることの一切を、私たちが実行することを指している。しかし私たちによくわからないことも多くあるはず。無知による罪も罪の一種である。肉から生じる抑制することのできない罪もあるだろう。これらの罪については神は時が来るならば必ず処理されるに違いない。そしてもし素直で信仰が深くあるならば、私たちが期待する以上の大きな罪の赦しを与えてくださるのだ。しかしそれは真に従順な心に対してだけである。従順とは、主の戒めを積極的に守り、すべてのことにおいて主のみこころを実行することである。ぶどうの木であるキリストを信じることは、キリストの何事をも可能にし、聖化する力によって、私たちをこの信仰上の服従に導き、私たちのキリストの愛につながる生涯を保証するものである。

 「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである」というみことばは、天のぶどうの木であるキリストが説き明かし、また与えるところの人生の奥義である。キリストはその愛の中に完全にとどまる秘訣をお教えになる。キリストのみこころを行なうために、何事についてもキリストに心から従う者に対して、キリストの愛につながる人生に近づくことが許されるのである。

祈り

「『いましめを守り、愛のうちにいなさい』とあなたは言われました。あわれみ深い主よ。ただあなたのみこころを知ることをとおしてのみ、あなたの愛を知ることができ、またあなたのみこころを行なうことをとおしてのみ、あなたの愛にとどまることができるというこの戒めを私にお教えください。主よ。もし私があなたの愛にとどまりたいと願うならば、私が自分だけの力を頼むことがどんなにむなしいことであり、あなたのみ力を信じることがどんなに大切で、また絶対に欠かすことのできないことであるかを私にお教えください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳94~97頁より引用)

2010年7月22日木曜日

『この世は一度きり』(岡野薫子著 草思社)


 先日、知人のお母さんの葬儀に出席した。そのお母さんは79歳だったが、一人娘である知人とは別居しておられ、東京の自宅で亡くなっていたのだ。「孤独死」だった。その葬儀の帰りの席で、葬儀に出席していた親しい方から、「女学校の同級生が書いた本だけれど、読んでくださらない?」と差し出されたのがこの本だった。題名を見て、生意気にも「今更、何を言わんや」とさえ思ったが、出版社が出版社だけに興味をそそられた。

 実は、私はその葬儀では「みことば」を語らせていただいたのだが、心の中で大いなる葛藤があった。人の死は厳粛である。亡くなられたお方は私の知らない方ではない。それどころか、何年か前には交流があり、子どもがお世話にもなった方でもある。「孤独死」であったので、どのような思いで亡くなられたのかは知る由もなく、主なる神様のみこころを求めて葛藤した。その詳細は省くが、余りにもタイムリーな本なので、帰って早速岡野さんのこの本を読んだ。

 そして著者の人となりに大変興味を抱かされた。私とも共通する点をいくつか見い出せたからである。私という読者はまことに勝手なものだ。そういう読み方しか出来ないからだ。通読して、この方がカール・ヒルティーや坪田譲治さんらを援用しながら、自身の死生観を存分に語っておられるところが目についた。この方をもっと知りたいので、ほかの本はないかと図書館で調べたら、実に104冊の本が蔵書としてあった。もちろんこの中には同じ本も納められているのだが。大変高名な作家であることをはじめて知った。

 その葬儀が終わって今日で一週間になるが、昨日、もう一度岡野さんの本を再読した。そして、この本が岡野さんの警世の書としての『この世は一度きり』であることを実感した。そこにはご自身の黒姫山荘での生活や都内でのマンション生活を通しての創作活動を基軸として、文明社会に慣らされていつの間にか神様から与えられた人間としての生きる力をなくしてしまっている現代日本人への警告が込められているように思ったからである。岡野さんは幼くしてお父様を亡くされ、「仕事」のためにやむなく「独身」を選ばれた。様々な作品を世に送られ社会に貢献なさっているが、翻って自己を省みられれば、80歳の坂を越え、「孤独死」も決して他人事ではないのだ。

 そのような中で、もともと科学映画のシナリオ・ライターからスタートされただけあって、動物をはじめとして、自然界への観察が細やかであり、説得的であり、この本に魅力を与えている。猫も何匹かこれまで飼ってこられた。その生態を通して、対照的な人の死が描かれる。それはともかく、カラスまでが岡野さんの友になる件なんて読まされると、何とこの方は素敵な方だろうと思ってしまう。

 しかし、全部で12章にわたる叙述は最後に始皇帝という権力者が「不老不死」を悲願に生き死にした有様が、描かれている。庶民の視点をもって正しい死生観を提唱されようとしている割には、凡庸な結論で終わっているような思いがしないでもない。もとより、誰しもこの結論に異を唱える人はいない。むしろ良心的に『この世は一度きり』という人間が避けて通りたがる事実を真正面に扱われているこの本は、やはり多くの人に読んでいただきたい本だ。「家族制度の崩壊」に端を発する「ひきこもり」「孤独死」「結婚しない人々」「絆を絶たれた家族のあり方」「虐待」などとこんなに多くの病根をかかえながら一体日本人はどこに向かおうとしているのか、戦中戦後と生き延びて来られた著者から問われる思いがするからである。

 著者の周辺にはキリスト者がおられると言う。しかしその有様に疑問を感ずるとして、次のように述べられている。

信仰をもつ人だけが、神に祈れば何事も許されて、自分の罪は許される――というのが、いかにも身勝手で理不尽に思われて、子ども心に納得がいかなかったのである。成長するにしたがい、私の心は“自然への回帰”というところに落ちついた。その結果、晩年につづく「死」も、恐ろしい感じはまったくなくて、むしろ救いであるように思えてくる。ただ、そこへ辿り着くまでの最後の道程が実に大変なことを、今の私は身にしみて感じている。これを、新たな旅立ちへの試練というふうに考えられないのは、信仰をもたない者の弱さだろう。(同書240~241頁)

カール・ヒルティーはみことばに頼ったキリスト者であろう。また坪田譲治氏には75歳のときに書かれた『子ども聖書』もあり、そのあとがきにはご自身が若きときに洗礼を受けられたことが書かれている。この方に私淑されたから今も多くの影響を受けておられるのであろう。けれどもキリスト信仰の要である、キリストの十字架の死、復活、再臨をどのように受けとめておられるかはわからない。

 科学映画を制作されたお方として、鼻からそれは信仰をもつ人にだけ妥当することだと一笑にふしておられるのかもしれない。折角、始皇帝の死生観の空しさにまで踏み込まれながら、人間の責任と悔い改めが要求される今も生きて働いておられる神様に対して私たちがどうあるべきかが述べられていないことが私には唯一残念であった。もっとも、もしそこまで踏み込んで書けば、宗教書となって、草思社からは出版できなくなるのかもしれないが・・・。

 著者の書かれた本の表紙絵は内容を端的に伝えるすばらしい絵だと思った。それで、今日はそれを写真として載せさせていただいた。中央左は砂時計である。右下の猫と同じ色模様で配置が素晴らしい。著者は砂時計を好まれる、と言う。私も同感であった。一回り下の年齢の私だが、砂時計の残りの部分はご多分にもれず少なくなっている。自戒して「一度きり」の人生を歩ませていただきたい。

 最後に、葛藤の末語らせていただいた葬儀で導かれたみことばを載せさせていただく。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(新約聖書 ヘブル9:27~28)