2019年2月27日水曜日

主よ、あなたはこんな私のために


わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。(ヨハネ14・21)

主の愛が注がれますようにー。
 「私は本当に弱い者です」と認めた時こそ
 人間は本当に自分を「だめだアー」と思った時こそ
 神が分かるのですー。

 人生に絶望しかかった時こそ神の言葉の一つ一つが
 身にしみ渡るように分かってくるのですー。
 それはなぐさめの言葉ですー。何よりも高価で何よりも
 その一つ一つの御言葉が貴いもののように思えてくるのですー。

本当の人生の生きる最大の秘けつはキリストにあります
 キリストは生きた者の神であって私達に 
 愛を注ぎ入れようとしておられます。
 神の愛こそが本当に私を真実に導いてくれ
 何物にもゆり動かされずただ神だけを見つめて生きる
 最大の秘訣ですー。

 神様が共にいるのだーという事を信じなくてはなりません
 神の愛こそが完全に人間を造りかえるのですー。

そして人生に生きる希望を見い出して感謝を見つけ出してくれるのですー。
 人間はどんな時にも感謝を見つけ出す事ができなければ
 全て無になってしまいますー。
 本当に盲になってしまいますー。今ある状況がことごとく良いのに
 それをけなしているのなら全てはだめになってしまいますー。
 どんなにいい状況でも

 神の愛が私の内に注がれると
 愛は本当にしっかりしていますー。
    
いつも神様を喜ばせる事は何だろうー?と
 いつもそれだけを追い求めますー。

 ですからこの環境がどんなに悪くても彼の目には映りません
 そして今、どうすればどうしていけば神を喜ばせるだろうー?

 神様は今、この環境を通して
 私に何を求めておられるのだろうかー?
 といつもそれが目に映ります
       
そうしたら次に
 神様がこの偉大さが目に映ります
 神様はこんな自分のためにこんなに悪い自分のために
 共にいて下さるのかーと
 そしてなおもこんな自分に何かをなして欲しい
 と頼んでおられるのかー?
 と思うとグッとなみだが出てきそうになります
 目に浮かびそうになりますー。

主よあなたは 
 こんな私のために死んで下さったのですか
 こんな私のために取りなしをして下さるのですか
 こんな私のために働いて下さるのですか・・
 こんな私を指さしておられるのですかー?

(今日、一人のご婦人が証をして下さった。その方のご子息は若くして召されたが、そのご子息の死後、発見された手書きの文章を読み上げられた。上の文章がそうである。)

2019年2月19日火曜日

人の救いと「バイブル」

日輪の 朱く染めたり 冬枯れよ

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言14・12)
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14・6)

 「あっ」と驚いた。テレビ画面いっぱいに大写しに一人の男が両腕をつかまえられて今しも連行されていく場面であった。それは、テロップを通してであったか、その名前を知った瞬間の驚愕だった。そして、瞬時に彼我のちがいはどこにあるのかという思いにとらわれた。今から47年前、1972年の2月のことである。

 この人物は森恒夫氏であった。その時を遡ること、8年前の1964年、私は大学生協の組織部の一員として、京都に出て一泊二日の日程で、文部省が国立大学に出した水道・光熱費の受益者負担を撤廃させろという指示、学習会に出席していた。理不尽な指示だと思いながらも、国家独占資本主義打倒と豪語する塩見・森氏らの指導下にあった。私は自己の信条とこの理不尽な指令の板挟みになり、下山するなり発病し運動から退いた。

 しかし、その蹉跌は私にとり、深い心の傷となった。運動体から離れるのは自らのわがままに過ぎない、そんなことが許されるのかという思いだった。幸い、私の大学は小さな大学であったので、この私個人の内面の葛藤はともかく、それまでどおり生協運営は続行されていた。

 にもかかわらず、「裏切った」という罪責感が自己を支配した。しかし、それは私自身の矜恃に過ぎなかった。私は自身の問題がもっと根本的なところにあることに気づかずに、故郷を離れ、私の当時のバイブルとも称すべき『経済学批判』(マルクス著)を引っさげて、北関東での教師稼業に勤しむ道を選んだ。

 そうして、わずかその5年後にテレビ画面を通してではあったが再会したのが、そのあわれな森恒夫氏の姿であった。この時すでに私は本当のバイブル、『聖書』に出会っていた。救われて三年経っていた。だから、いても立ってもいられなかった。私はすぐ刑務所に聖書を差し入れたいと思った。牧師も勧めてくれた。だが、結果的に実行に移さなかった。私の優柔不断と愛のなさのせいであった。そのうちに彼は自殺した。1973年の元旦の日だった。

 数週間前に池上彰の報道番組でこの浅間山荘事件の意味が問われていた。番組ではその事件に関与した植垣氏がこの事件で逮捕された経緯と現在静岡かどこかでスナック経営をされている同氏にインタビューがなされて、当時を振り返りながら、個人個人が時代への関わり方をどうすればいいのかを考えさせる内容であった。しかも故人とは言え、森恒夫氏の事件への関わりが再三再四取り上げられていた。今更ながら、人生の厳粛さを知らされずにはおられなかった。森恒夫氏のインターネット情報によると「逮捕されてからはキリスト教に関心を示していた」「葬儀はキリスト教会で行なわれた」とある。

 それが本当に森氏の救いになったか、永遠のいのちにあずかったのかはわからない。けれども彼が自己を振り返り、悔い改め、主イエス様のみもとに馳せ参じておられるならば救いは間違いなしだ。

2019年2月18日月曜日

老聖徒の証(3)

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(2コリント9・6)

 日本に着いたんですね。団体の責任者は迎えに来ました。けれども迎えに、帰り道に電車で行ったんです、中野島まで。そしてその中で私はそういうように働きますと、そこで全部言いました。これらの人は彼(主人)は何を言うか、ぴんと来なかったのです、多分。けれどそれは立派だと思いました。けれども、その時は主人はもちろん初めて日本語勉強のため学校へ行きました。けれどもそれは一年間、あるいは二年間それはわからないですけども、覚えないんですけども。その後で私はすごく安心するようになりました。

 そして私は今何も話さない。その時、そのままでまかせますというふうに、主に任せますというようになりました。そして那珂湊というところへ、すぐ行ったところでしたから、そこで主人がすわりました。そこで教会は何もなかったんですね。そしてそのところへ行きました。そのところで9年間(と思います)働きました。それはすごくいい時代でした。主人はもちろんお客だけの、その時まだ誰かいたか知りませんけど、ほとんど主人がメッセンジャーでしたけども、すごく時間がかかりましたね、初めのうちは。けども、10年後でものすごく自由になったんですね。けども、そのあとで私たちは団体のことは支配しません。団体のことは聖書的じゃないということ、そして私たちはその時離れました。

 その時、ドイツの責任者は初めての九年間はすごく(私たちの)後ろ盾なりました。団体、それは決めますけど、もしベック兄はちがう意見あれば、自由にできますという、九年間でした。その方亡くなりました。その次は別の後継ぎは全然ちがう人でした。けれども彼(主人)はもう日本語できました。そして、どういうふうに支配するかということ皆説明しました。主人はああ、こうだ、それは私たちの終わりですよ。そして、主人は私たちそのあとでリーベンゼラーから出ました。そして自由になって、そしてたくさん団体があって、宣教師が自由に行った人はあります。

 それは私たちもできる場所でしょう。そして決まったとき私たち生活するために金なかったんですね。その時から、それは今日まで同じですよ。そして一度も、一度も、困ったことがないです。経済的(な面)です(よ)。何か問題がなかったですけど、本当にイエス様が導きです。(イエス様の)素晴らしさは、ものすごい奇跡です。日に日に経験しました。これは今まで考えると、本当に不思議ですね。不思議です。奇跡なさるべきでした。その時から「イエス様、生きている」ことがわかりました。私たちはその時大きな集会持ってました、もちろん。この人たちは来ましたけども。本当に私主人どのように考えていたか話しませんけど、すごく奇跡的に生活することができました。大きく集会になりました。そしてどのくらい集会があるか、今忘れました。日本中の集会になったんですね。主はすばらしい。

(このようにたどたどしい日本語を使いながら、人生の大半を異国の日本で過ごしながら、ひたむきに主イエス様と日本人を心から愛されてきたミンヘンさんを思う。そしてこの話の末尾にあるように、主は奇跡をなしてくださった、これからもしてくださる、と心から確信し感謝しておられる姿を知ることができるのではないだろうか。そんなミンヘンさんではあるが、別の時、皆さんの前で人目もはばからず、ドイツ語で話されながら、激しく泣かれた。私たちにはその言語はわからなかったが、その切々たる感情は今も私の身に迫ってくる。
 昨年の12月21日のブログhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.htmlで紹介した以下の交わりも、同じミンヘンさん宅での交わりで経験した交わりであるし、この方も89歳であった。老いて主イエス様にあって、喜び、悲しみを披瀝しながらお交わりできるのも大きな主の恵みではないか。)

2019年2月17日日曜日

老聖徒の証(2)

大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ12・5)

 私はアイドリンゲンの専門学校へ行きました。その時、ひとりの姉妹はアメリカから秋帰りました。でも、その時、彼女はイギリスのところに行きましたけど、帰りました。けど、その(結果)彼女の場所は空くようになりました。ですから、アイドリンゲンのシスターから、あなた(イギリスへ)行けばいいじゃないですか、信ずるのにいい場所ですから(と勧められました)。そして、私はイギリスへ行きました。それが初めてでした。そして、その時は、一年ぐらいあのところで、それは日本のハイジオス?(のような)ところでしたけれど、あの人たち、あまり支配することができない人たちで、すごく丁寧な人たちでした。そして、あのオークというところはミスター・スパークスのところでした。

 そしてあのアイドリンゲンにいた時は、オークの方の集会に行きますか?と言ったんです。それは行って、ちょっと遠いでしたけど、日曜日と木曜日の晩いつも行きました。そしてその間は「イエス・キリストのからだ」について初めて聞きました。すごく良く伝えました、向こうの人たちのテーマ。そして、それはびっくりしました。そして、私は日本に(いる主人に)電話した時には、いつもそのことを言いました。すごいことだと思いました。そして主人でしたから、「ハイ、それは聖書に書いてます、当たり前でしょう。当たり前で、皆信じますよ」(と言いました)。そして私は、けれども信じても、(主人は)ほんとうにわからないと思いました。

 けれども私はイギリスから、ロンドンから帰った時はそのことがもちろんテーマでした。けれどもその時も主人はもちろんそれは当たり前でしょう、それは聖書に書いていますから、「イエス・キリストのからだ」のこと。それは私は信じますよ(と言いました)。そしてそのことを私はミスター・スパークスの集会へ行き、ミスター・スパークスに「主人と結婚するべきですけれど、彼は『イエス・キリストのからだ』のことわからなくてピンと来ないと思います、いくら話してもわからないですね。」と言いました。

 そして主人はスイスの神学校から帰って、彼もイギリスまで来ました。そしてミスター・スパークスのところで泊まることができました。それはすごく良かった。けれどもそのあとで、またミスター・スパークスに言いました。「どうしますか? あの人と結婚することができますか? 」そしてもちろんできます。すごく立派な人ですけど、それは今わからなくても。彼はすべての集会、日本まで船で行きますから、どこの港でも集会があります。そしてすべての集会の住所があったんですね。それを全部主人にあげました。

 そして彼が行った時ほんとうに私はそのあとで行ったんですけど、どこの集会、行きました。そこの集会まだまだ香港かコロンボで港に船は入ってました。そしてそこでピークという山があります。そしてある人は主人と一緒にピークというところに行きました。そして一日中暇があったんです。そしてずっと「イエス・キリストのからだ」について話しました。けれども、その時から主人の手紙は毎回、そのことでテーマいっぱいでした。彼は完全に変わりました。そして心配しないで私その方向に働きますので(と書いて寄越しました)。それは嬉しかったんですけど、完全にオースティン(・スパークス)になったのは日本に帰り着いたんですね(帰り着いてからですね)。

(2月12日、ミンヘンさんのご自宅で様々なお交わりがあった。主にある者どうしの交わりはいずこにあっても自由である。この時も一人の男性が何気なく、証をされた。その証に踵を接するかのようにこの証がはじまった。その聞き書きである。89歳になられたばかりだし、日本語はお上手ではない。しかしこの証にはオースティン・スパークスと出会い、「キリストのからだ」について教えられた喜びが体全体で表現されていた。そして何よりも婚約者であるベックさんが同じ真理を受け入れてくれるかどうかの不安と、それが受け入れられた時の喜びが語られている。私たちの場合も、妻は私がイエス・キリストを受け入れていないが、彼は受け入れてくれるだろうか、結婚できるであろうかと牧師に相談したそうだ。その時、牧師は、彼は必ず信ずるようになると励まして祈ってくれたそうだ。)

2019年2月16日土曜日

老聖徒の証(1)

 私は山口集会に属しております西村喜与志と申します。生まれは大正6年11月の20日でございます。それでただ今89歳に相成る状態でございます。家内はただ今86歳で、そうして特別養護老人ホームに入園し生活しております。現在は日々(にちにち)目をつぶって横たわっていて、私共が行っても何の返事もしてくれません。口ももちろん聞いてはくれません。私もどんなこともできませんが、ただイエス様におすがり申し上げるのみでございます。そして御心のままによろしくお願いしておる次第でございます。要介護度は五です。最高ですが、私はひとりでここ13年間奮闘しております。

日々の力はイエス様が与えてくださった力をいただいており、何事も不満を口にせず感謝して過ごしております。ひとり暮らしをしておりますが、しかしひとりではなくイエス様に守っていただいておりますので淋しくもなく元気一杯で日々を過ごしております。毎週土曜にあります集会には欠かさず出席させていただいていて皆様方との交わりを深くしております。

 市内に私の長女が住まいをしております。何かと良く面倒は見てくれます。けれども他家に嫁いだ身ですから、そう以前の親子としての間柄に密になることはできません。これは私も覚悟しておりますが。私は血圧が従来から高いです。10年前かかりつけの医者より降圧剤として新薬を朝夕三錠あてに服用するように指示を受けました。それからのち二月ぐらいしてから腸を壊し、六ヶ月ばかり相成り、日夜苦しみました。暑い時もありましたが、本当にこれは言うに言われん苦痛をしました。他の医者にもかかってみましたが、確たることは得られず、不満な毎日毎日でございました。

 ある時長女が私に(・・)聖書なるものをはじめて(・・)くれました。それを読んでいくうちに
 
愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。(箴言12・16)

このみことばにより大鉄槌を下された思いをしました。老人として今までは悪い面だけを見てただ立腹するのみでございましたが、何も頼るものもなく、医者を恨んでおりました。

けれどもこの新薬を服用してから自分が体調不調になったわけですから、体質になじまないのではないかとこの薬を思いましたが、今度は一粒、一粒、減らしていってとうとう一粒に。そうしたらすっかり体の調子がよくなりました。おかげで聖書に接した結果と、かように思い、今では朝夕声を大にして私一人ですから、戸を締めていれば外を通る人も全然聞こえません。だから思い切り大きな声で聖書を拝読させていただいています。イエス様に深く感謝します。ありがとうございます。

 次に私は22歳で山口の四二連隊に入隊し、後に関東軍に移り満州のハイラルに駐留しそのときそれは昭和13年ノモンハン事件が勃発して現地に急行いたしました。ソ連との戦いです。八月中旬ごろ夜中、ノロ高地の敵軍の中央突破という作戦に出て、それで敵軍の機関銃陣地に突入して二人のソ連兵を銃剣で殺害しました。その当時は殺気立っておっていて何とも思いませんでした。戦争が終了したならば、その功によって勲章を頂きました。

それが聖書を知ってから、殺害の様子が明瞭に脳裏に浮かぶようになりました。3年前山口の宇部市において集会が催された時、ベックさんにこの事情を打ち明けました。ところが何分古いことだから「イエス様、お許しください」とお祈りしなさい、と指示を受けまして。それから朝夕お祈りを続けておりました。ところがいつの間にか幻影が消え苦しむことはありませんでした。自分の行なった行為、戦争とはいえ、罪の深さをつくづく感じております。

 それと今度は今年の二月の午後五時ごろでした。子供がうちに来ましたので帰るからというから、無事に角を回っていったので、安心して私は戸をあけて入りました。けれどもその節いつも出入りする時にはここを必ず持たんと倒れるぞと言うことを頭に入れております関係上、それをそのときは持たずに何の気なしにぼんやりと入って行ったところが何につまずいたか前にばったりと倒れました。

右目の目、額のところ出血がひどく、帰ったばかりの子供を呼び寄せてそれで外科医に行きました。二時間ぐらい治療がかかり二針ずつ縫いました。翌日治療のため医者に行きましたところ「よくあることで年をとっておるとどうしてもそういうふうに物を持たんとぼんやりということで前に倒れる。このぐらいの倒れでよかった。骨折せんでよかった」とこういう風に言っていただきました。
聖書の詩篇の37篇の24節で
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。

全くみことばの通りだと思い、深く主の愛に感謝しております。ご清聴ありがとうございました。つたない証言でございます。お聞き辛いところもあったと思いますが、ありがとうございました。

(2007年8月29日 広島喜びの集いより。12年前にこのお証をお聞きし、早速聞き書きさせていただいた。それからしばらくして召されたように記憶しているが、今もって、その証は鮮烈な印象を私に与え続けている。文中の・・はこの方が感極まって嗚咽された箇所である。)

2019年2月9日土曜日

集会のありかた(完)

冬枯れの 鳩のつがいに 影ありて 尊厳思う 妻と歩めり

あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。(1ペテロ1・22)

 最後に、集会のこれまで述べた目的をさまたげること(について考え、主がおっしゃる集会の目的をしっかりつかもう。)

マルコ10・38
しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。

①主イエス・キリストだけを集会のかしらとし、他のいかなる人間的な思いや組織が集会を支配し左右してはならない。

②形式的表面的なものによって左右されないこと。
(たとえば)集会の人数、献金の多少(その他もろもろのこと)。百人の偽キリスト者よりも、ひとりの真のキリスト者が必要である。

この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。(マタイ15・8)

③集会は神に礼拝をささげ、交わりの場(であるべきで)、決して雑談をし、また社交場ではないこと。祈りと励まし(による)、主にある一致の場所(である)。

④他の信者の信仰を云々すべきでない
 各々の人の信仰は、私たちが判断するより、先に正しく神ご自身がごらんになっておられる。各人がつつしみ深く自分の信仰を吟味すること

しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16・23)

 イエス・キリストだけが主、つどう私たちはひとしく僕(しもべ)である。上下の差は決してない。地位、名誉、知識の多少、年齢、性別・・・これらは集会において何の足しにもならない。私たちが主に対してどのような状態にあるかということである。各人が主だけを見上げる集会になることが大切だ。

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。(ルカ6・37)

⑤クリスチャンが自己の責任と奉仕を回避すること(が、あってはならない)
 自分に与えられている恵みを十分に主のために用いないことがあってはならない。主は私たちひとりびとりに異なった賜物を与えてくださっており、これらはいずれも主のために用いるように主は望んでおられる。自分には力がない、自分はだめだ・・・などなど。他者の目を恐れるにあらず、神の御前にへりくだり、神を畏れて、自己のなせる最大の努力をして主のために仕えること(が、肝要である)。

⑥私たちの心がたえず主に向けられ、主とともにあり、主の愛のうちにあって心が熱く燃えていること

そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている  間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24・32)

 私たちキリスト者は主イエス・キリストのご愛のうちにいることの喜びを感じ、また内に燃えるものを絶えず保持し続ける必要がある。集会に大勢の人が集まっているにも関わらずひとりびとりがバラバラ無関心であることほど集会の目的を妨げるものはない。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(1ヨハネ3・18)

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。(エペソ4・1〜4)

2019年2月8日金曜日

集会のありかた(3)

水鳥の 群れなし草食む 陸(おか)の上

あなたがたは、地の塩です。あなたがたは、世界の光です。(マタイ5・13、14)

 以上のことだけでは教会の目的の一割にも満たない。

 ある人にとっては教会とは壮大な建物の中で一定の儀式にひたることにより一層神に近づき得るものと思い、おもにそうすることを目的とする。ある人は種々の社会奉仕ができるから教会につどう。またある人は家庭的な環境、雰囲気を求めて(なのかもしれない)(しかし)このいずれも私たちは教会に何かを求めてやってくるのではないか。自分の弱さを強めるため・・・たしかにこれも大切である。しかし集会の目的は、私たちが自分の欠けている何かを求めてそれを満たすためにやってくるのが目的ではなく、むしろ集会は私たちが何かを与えるためである。

 すなわち、教会は福音を広め、主イエス・キリストをとおして他の人が救いにあずかるよう、私たちも主イエス様の御働きを助けることである。自分の信仰を強め、あかしの力を加え、人々に救いを宣べ伝えることである。聖書の教えるとおりキリスト者の神から与えられている責任は「全世界に出て行って福音を宣べ伝えよ・・・」である。

 私たちがかつて死と罪と絶望の世界(に住んでいたところ)より、光と歓喜、いのちの世界へ導き入れられたこの喜びを、この唯一の救いの道を、ひとりでも多くの魂に与えることである。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたが たは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1・8)

 イエスご自身がご自分の目的は(神から地上につかわされたのは)滅びゆく魂を導いて救いを得させる。失われた羊を捜す(と言われた)。

わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。(ヨハネ10・16)

 また福音を伝えるのはただ単に言葉や知識でなくして、必ずそこには愛と犠牲とがともなうことである。それは主イエスご自身がお示しになられた(ことからわかる)。(ご自身の御からだを裂かれて)人々にまことの道を示すのは(気づかせるのは)愛と犠牲の方法をとおして(であった)。愛の犠牲の道は人々の心をめざめさせ、私たちの与えられていることの喜び、真理をつぶさに相手に伝えることができるのである。

これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。

「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8・17)

このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ5・16)

わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(マタイ10・42)

 (要するに)私たちはイエス・キリストの福音をたずさえて世の光、地の塩となることだ。