私は山口集会に属しております西村喜与志と申します。生まれは大正6年11月の20日でございます。それでただ今89歳に相成る状態でございます。家内はただ今86歳で、そうして特別養護老人ホームに入園し生活しております。現在は日々(にちにち)目をつぶって横たわっていて、私共が行っても何の返事もしてくれません。口ももちろん聞いてはくれません。私もどんなこともできませんが、ただイエス様におすがり申し上げるのみでございます。そして御心のままによろしくお願いしておる次第でございます。要介護度は五です。最高ですが、私はひとりでここ13年間奮闘しております。
日々の力はイエス様が与えてくださった力をいただいており、何事も不満を口にせず感謝して過ごしております。ひとり暮らしをしておりますが、しかしひとりではなくイエス様に守っていただいておりますので淋しくもなく元気一杯で日々を過ごしております。毎週土曜にあります集会には欠かさず出席させていただいていて皆様方との交わりを深くしております。
市内に私の長女が住まいをしております。何かと良く面倒は見てくれます。けれども他家に嫁いだ身ですから、そう以前の親子としての間柄に密になることはできません。これは私も覚悟しておりますが。私は血圧が従来から高いです。10年前かかりつけの医者より降圧剤として新薬を朝夕三錠あてに服用するように指示を受けました。それからのち二月ぐらいしてから腸を壊し、六ヶ月ばかり相成り、日夜苦しみました。暑い時もありましたが、本当にこれは言うに言われん苦痛をしました。他の医者にもかかってみましたが、確たることは得られず、不満な毎日毎日でございました。
ある時長女が私に(・・)聖書なるものをはじめて(・・)くれました。それを読んでいくうちに
愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。(箴言12・16)
このみことばにより大鉄槌を下された思いをしました。老人として今までは悪い面だけを見てただ立腹するのみでございましたが、何も頼るものもなく、医者を恨んでおりました。
けれどもこの新薬を服用してから自分が体調不調になったわけですから、体質になじまないのではないかとこの薬を思いましたが、今度は一粒、一粒、減らしていってとうとう一粒に。そうしたらすっかり体の調子がよくなりました。おかげで聖書に接した結果と、かように思い、今では朝夕声を大にして私一人ですから、戸を締めていれば外を通る人も全然聞こえません。だから思い切り大きな声で聖書を拝読させていただいています。イエス様に深く感謝します。ありがとうございます。
次に私は22歳で山口の四二連隊に入隊し、後に関東軍に移り満州のハイラルに駐留しそのときそれは昭和13年ノモンハン事件が勃発して現地に急行いたしました。ソ連との戦いです。八月中旬ごろ夜中、ノロ高地の敵軍の中央突破という作戦に出て、それで敵軍の機関銃陣地に突入して二人のソ連兵を銃剣で殺害しました。その当時は殺気立っておっていて何とも思いませんでした。戦争が終了したならば、その功によって勲章を頂きました。
それが聖書を知ってから、殺害の様子が明瞭に脳裏に浮かぶようになりました。3年前山口の宇部市において集会が催された時、ベックさんにこの事情を打ち明けました。ところが何分古いことだから「イエス様、お許しください」とお祈りしなさい、と指示を受けまして。それから朝夕お祈りを続けておりました。ところがいつの間にか幻影が消え苦しむことはありませんでした。自分の行なった行為、戦争とはいえ、罪の深さをつくづく感じております。
それと今度は今年の二月の午後五時ごろでした。子供がうちに来ましたので帰るからというから、無事に角を回っていったので、安心して私は戸をあけて入りました。けれどもその節いつも出入りする時にはここを必ず持たんと倒れるぞと言うことを頭に入れております関係上、それをそのときは持たずに何の気なしにぼんやりと入って行ったところが何につまずいたか前にばったりと倒れました。
右目の目、額のところ出血がひどく、帰ったばかりの子供を呼び寄せてそれで外科医に行きました。二時間ぐらい治療がかかり二針ずつ縫いました。翌日治療のため医者に行きましたところ「よくあることで年をとっておるとどうしてもそういうふうに物を持たんとぼんやりということで前に倒れる。このぐらいの倒れでよかった。骨折せんでよかった」とこういう風に言っていただきました。
聖書の詩篇の37篇の24節で
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。
全くみことばの通りだと思い、深く主の愛に感謝しております。ご清聴ありがとうございました。つたない証言でございます。お聞き辛いところもあったと思いますが、ありがとうございました。
(2007年8月29日 広島喜びの集いより。12年前にこのお証をお聞きし、早速聞き書きさせていただいた。それからしばらくして召されたように記憶しているが、今もって、その証は鮮烈な印象を私に与え続けている。文中の・・はこの方が感極まって嗚咽された箇所である。)
0 件のコメント:
コメントを投稿