2019年2月1日金曜日

あけぼのの翼をかりて(転)

それはあなたが内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。(詩篇139・13)

 第三段は13節から18節までで、神の全能を歌っております。
    
    汝はわがはらわたをつくり
    又わが母の胎にわれを組み成し給ひたり
    われなんぢに感謝す
    我は畏るべく奇しくつくられたり
    なんぢの事跡(みわざ)はことごとくくすし
    わが霊魂はいとつばらに之を知れり
    われ隠れたる処にてつくられ
    地の低所(そこべ)にて妙につづりあはされしとき
    わが骨なんぢに隠るる事なかりき
    わが体いまだ全からざるに
    なんぢの御目は早くより之をみ
    日に日に形づくられしわが百体の
    一つだにあらざりし時に
    ことごとく汝の冊(ふみ)に録されたり(13〜16)

 「はらわた」は精神的な部分を指し、「骨」は肉体的な部分を指すのであって、精神も肉体も凡て神の奇しき創造の御手になる、と言うのであります。われらは凡ての被造物において神の神秘な創造力を知らされるのですが、特にわれら人間の精神と肉体の不可思議な創造において、神の全能なる力を深く知るのであります。神の力なくしてわれらの創造と存在を考えることはできません。われらは偶然にこの世界に生まれたのでなく、神の大なる摂理、御計画のもとに生まれさせられたのであります※。

    神よなんぢのもろもろの聖念(みおもい)は
    われに宝(とふと)きこといかばかりぞや
    そのみおもひの総計(すべくくり)はいかに多きかな
    われこれを算(かぞ)へんとすれども
    そのかずは沙(すな)よりも多し
    われ眼さむるときも尚なんぢと共にをる(17、18)

 何と広大無辺なる神の聖念でしょうか。われら人間は到底量り知ることができません。この神がわれらと共にいて下さるのであります。

(『藤本正高著作集第3巻281〜282頁より引用。※今回この藤本氏の文章を転写するきっかけになったのは、先週土曜日の浦和の家庭集会に出席して、5年ぶりにこの文章の存在を思い出し、一人の天涯孤独の方の人生とイエス様の愛のつながりについて考えたことによる。そして、昨日は、その方と3、4年ぶりに家内が電話で話するように導かれた。5年前、重篤のご主人を前にして病院でこの詩篇139篇と藤本氏の文章を要約しながら読んだ。久しぶりにこの文章を再読し、ご主人を亡くして再び一人ぽっちになった彼女の人生が決して偶然でなく、創造主の愛は今も変わらず彼女の上に注がれていることを強く確信できた。5年前のその辺の事情はhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2014/04/blog-post_26.htmlに書いた。)

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