(Vogelbeere in Salzburg by K.Aotani) |
『真理は永久に断頭台に据えられ、
醜悪は永久に王座を占む。
されど断頭台は未来を揺り動かすなり。
未知の闇には、暗きあたりに神立ち給い、
神の者等を守り給わん』(ローウェル)
「あのように長くふりかざされていた刃は、遂におちてきた。しかし、わたしたちの事業は、収入が絶えたのみでは終わりとならない。わたしの心は壊かれない。その理由は『神を愛する者にはすべてのこと働きて益をなす』と聖書にあるではないか。『正義は正義だ。故に神は神である。正義は勝利者である。疑いは神に対する不忠である。気おくれするのは、罪ではないか』とだれかもいっている。
神は、わたしにこの問題を解決する光栄を担わせてくださったのだ。わたしは、今、驚くべき機会を目のあたりに見る。わたしが存在すること、生活することに、少しでも意義があるならば今やそれを発見するときがきた。
わたしは希望をもって出発するのだ。そして見えざる神にたよるのだ。失敗すれば、わたしは倒れてやむ。しかし、世の人はわたしが背後に傷をうけて、逃げ死したのでないことだけは疑う者があるまい。わたしがもし成功すれば、近江の国は愛の福音を聞くのだ。」
ヴォーリズさんは、こんな悲壮な文章を書いた。そして明治40年(1907)の4月から、THE OMI MUSTARD SEED 「近江の芥(からし)種」と命名した英文月刊雑誌を、手紙に代えて米国その他の友人に送ることになった。
わたしはヴォーリズさんと共同生活をすることに決めたので、まとめた行李をといて、相変わらず学生時代と同じように、淋しい青年会館に住んだ。そして4月を迎えた。
4月になると、東京で万国キリスト教学生大会があって、ヴォーリズさんとわたしとは本部より招待されて出席した。ふたりは三等席の一隅に、小さくなって上京した。途中、夜中の12時ごろから車中がこみあってきたので、相並んで座ることにした。そして一時間交代に、お互いのひざまくらを提供し、ひとりはひとりの安眠を守る約束をして、寝たり起きたりしていると、向かい座席の客が、
「いったい、この異人さんは、あなたのなににあたる人なのですか」
とおもわず大声に聞いたので、わたしは往生して一言もなかった。
神田の青年会館で開かれた万国キリスト教学生大会では、ヴォーリズさんはオルガンをひき、わたしは地下室で日本に関する書籍を売った。
大会が済んで帰ってくると、一通の手紙がふたりを待っていた。ヴォーリズさんが開封すると、中から金50円のかわせ券がでてきた。そして手紙には
「このかわせ券は、無名の友人よりヴォーリズ氏の生活費として、今後、毎月送られるものです。キリストの福音のため大いに自重してください」
とあり、手紙の差出人は、京都キリスト教青年会館の主事フェルプス氏であった。
ふたりは涙をもって神に感謝した。そして、わたしの毎月17円の学資を加えて金67円で生活することになった。そうこうしているうちに、各地の学校よりヴォーリズ氏を英語教師として招いてきた。京都の同志社はもちろん、(旧制)高等学校から滋賀商業学校以上の給料をもって迎えにきた。しかし、ヴォーリズさんはわたしとふたりで毎月67円の生活を捨てなかった。
(『近江の兄弟』吉田悦蔵著75~78頁より引用)
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