(琵琶湖畔・さざなみ街道を走る、車内から) |
私の出た高校は滋賀県にある。当然卒業生は関西に在住の人が多い。ところが、いつのころからか、毎年決まって12月の第一土曜日に同窓の有志が集まって都内で会食会を持ち始めた。会の名称は「東京36(さぶろく)会」である。言うまでもなく、私たちが卒業した昭和36年を名称に挿し込ませている。八クラスの内、一クラス程度が東京近郊に住んでいる勘定になろうか。私も二度、三度出席してきたが、ここ数年は欠席している。これも何年前か記憶が定かでないのだが、同じ12月の第一土曜日とその翌日の日曜日にかけての二日間、滋賀県の守山市の「ラフォーレ琵琶湖」を会場に「聖書の集い(通称近江八幡・喜びの集い)」が開かれ、たまたま曜日がかち合ってきたためだ。
ここ二、三年この日が近づくと私は二つの会合のどちらに出席するべきか随分迷わされてきた。今年は私のいとこも出ると聞いていたし、何人かの親しい同窓生や久しぶりに会いたい同窓生もいたので大いに食指は動いたが、結局今年も「東京36(さぶろく)会」を尻目に、土曜日に関東から滋賀県へと、のこのこと出かけていった。帰ってきてから、「東京36(さぶろく)会」の様子を聞いたら、30名余の参加で今年も中々盛んで、皆、元気を持て余しているような賑やかさがあり、日本の将来を憂う挨拶をする人も何人かいたということだった。家内も同じ高校で三学年下であるが、もっと活発だ、と聞いている。私たちの高校の特徴かもしれない。が、こちらの方は曜日が異なるので家内は毎年楽しみにして出かけている。
さて、私が参加した「喜びの集い」だが、こちらは関西を中心に老若男女全国から様々な人々が集まる。総勢三、四百名というところか。岐阜の高山から大学の同級生を連れて出席された方が、月曜日電話を下さった。「今年の集いも良かったです。会場に入った途端、主を恐れる清々しいきよらかさが満ちていることを感じました。静かな落ち着いた雰囲気の中で心が喜びに満たされてきました。自分の考えでなく、聖書のみことばだけが大切なんですね。」という意味のことを伝えてくださった。同級生の方とはほぼ大学卒業以来の再会で、在学中にミッションであるその大学の教会の礼拝にともに集われていた間柄だ。しかし、その方は信仰はお持ちにならず、今では福音とは無縁の方なのでお誘いしたと言う。お聞きしてみると、私の小中高の同級生も職場が同じで面識がおありであった。
大半は主イエス・キリストの救いを受け入れている人々ばかりだが、このように一事が万事、それぞれの方が、一人でも多くの愛する家族や友人にイエス様をご紹介したいと願い、誘って来られるので、集いは「閉じた空間」でなく「開かれた空間」だ。その上、会場のあちらこちらで持たれる、自由な交わりの中に、必ず主イエス・キリストがご臨在される様がしのばれる。私は宿泊せず、生家から通いで参加したので、そのような交わりには縁遠いものだったはずだが、後述するように、それでもそれら一つ一つの交わりの余徳にあずかれた。
集いが解散されて、今回の「喜びの集い」を準備され裏方で奉仕してくださった一組のご夫妻の車で湖岸を近江八幡まで連れて行っていただき昼食のご馳走にまでなった。その車中や会食中、ご夫妻から喜びの集いに様々な交わりがあったことを教えていただいた。奥様が10年来の親しい方に、つい最近になって福音を伝え始めたら、その方のご主人が二日前にご病気であることが判明し、すごく落ち込んでおられたという。今回その方をお招きしたということであった。その方が、その集いの中で、まだ30代のご婦人で昨年の11月22日に二人のお子さんを残しご主人を亡くされた方が、寂しさと悩みの中で、いかに主イエス様を通して天国での再会を待望んでいるかをお話されたとき、すごく心を動かされ、その話をされた方と直接お話したいと言われ、実現したということであった。
近江八幡から米原、米原から東京と久しぶりに新幹線を乗り継いで日曜日の夕方にはこちらに戻ってくることができた。「喜びの集い」の余韻は今も静かに私自身を支配している。「東京36会」には出席できなかったが、いつの日か「東京36会」の人々と一緒にこの「近江八幡・喜びの集い」に出席したいと願っている。「東京36会」の開始以来、終始裏方として取り仕切っている幹事の方は実は『近江の兄弟』の著者の甥御さんであるし、何よりも晩年のヴォーリズさんの息吹に触れた方である。「東京36会」にはまだまだこのヴォーリズさんの薫陶に触れた方々がいる。
最後に昨年に引き続き、ベックさんが入院中のため、日曜日の福音集会のメッセージをベックさんのかわりになされた高村さんが引用されたみことばを載せさせていただく。
天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。・・・招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。(新約聖書 マタイ22:2、14)
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