当日は前もって暑さが予想されていた。一方人々がたくさん集まって来られることもわかっていた。会場を変えることも考えていた。しかし、家庭の良さがある。祈るしかなかった。「暑さを和らげてください!」と。
この祈りは答えられたかに見えた。確かに朝から激しく照りつける太陽に立ちはだかるかのように雲が次々現れたからである。いつもは34℃を示していた温度計もやや遠慮気味に32℃に手をのばすかのようであり、それ以上には上昇しなかった。
ところが始まりの2時が近づく頃には人々の出足が思ったより早く、三台のクーラーはあってなきがごとくになり、人々の熱気はたちまちのうちに部屋を蒸し風呂状態にしてしまった。
後日、遅れて参加し洗面所に身を忍ばせることの出来た方が、「大混雑」と表した混雑ぶりであった。しかし、いったん、集会が始まり、賛美がなされた時の皆さんの精神の高揚ぶりには脱帽させられた。このような混雑に萎えていたのは司会をさせていただいた当主の私だけであったからである。
ベック兄のメッセージとこの日は久しぶりに一人のご婦人の証が加わった。以後も熱気のムンムンする中に、みことばは静かに語られて行った。主のご臨在は私たちの外面的な混乱にもかかわらず、変わることがなかった。
一日経ち、夫婦して感謝のうちに集会を振り返っているうちに主の新たな愛を覚えた。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友達や近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:4〜7)
私たちの主はこんなやさしい心をお持ちの方である。必死に名前を書き上げていっても、どうしても九十九人の方のお名前しか思い出せなかった。ひょっとすると百人目の方がおられたのかもわからない。私たち夫婦がもし見落としていたとしても、主は決して見落とされない。
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