2012年9月6日木曜日

誰か神に逆らい得ん(上)

主は、かつて「光の天使」だった悪魔に地上の支配権を与えようとなさったのですが、悪魔はその高ぶりによって、主の御座近くにはべる特権を失っただけでなく、その支配権をも失いました。神が人間を創造され、この地上の支配権を人間にゆだねられたからです。そこで悪魔は人間を誘惑し、自己の支配下に置いたのです。こうして、地上は悪魔の支配下におかれるようになったのです。

主は、悪魔が逆らったすぐ後で、悪魔を滅ぼされることができたでしょう。しかし主は、悪魔に対しても公平だったのです。それは、悪魔が世の終わりに、「私なら、神よりもさらにすばらしい世界を創造することができただろうに。しかし神は、私にその時と機会を与えなかったのだ、」と言わせないためでした。

悪魔は世界の支配権を求めています。しかしその支配権は、イエス様の手の中に置かれています。イエス様は、悪魔を十字架で滅ぼされました。そして、その証拠として復活され、昇天されたのです。イエス様は、御座に「支配者」としてついておられるのです。

主の判決は、悪魔に対して段階的に定められます。つまり、悪魔は裸にされ、打ち負かされ、天から投げ捨てられるのです。

また、聖書の中で、悪魔には「竜」、「古い蛇」そして「悪魔」という異なった三つの名前が与えられています。その名前の意味するものとは何でしょうか。

まず「竜」は、敵対的な力を表わしています。竜は恐ろしく、また残虐な生き物です。次に「古い蛇」は創世記にあるとおりエデンの園に現われました。蛇はずる賢く、また残虐な生き物です。

そして「悪魔」は神の敵対者という意味です。悪魔は、アダムとエバに神の悪口を言い、神の前でヨブの悪口を言いました。また悪魔は、大祭司ヨシュアの悪口をも言いました。悪口は、悪魔の最も有効な武器です。悪魔は、信仰をもつ者同志が互いの悪口を言いあう時に、たいへん喜びます。悪魔は神に敵対するだけでなく、すべての信仰者にも敵対するのです。

ミカエルは、神の正義と神の栄光のために戦い、同時にイスラエルの民を守り、保護します。これに対して悪魔は、イスラエルを守りもせず、保護することもしません。

悪魔は誘惑し、そして訴えます。イエス様は、悪魔こそが偽りの父であり、人殺しの初めであると言っておられます。人々は殺人、盗み、姦淫などの行為そのものが「悪」であると考えがちですが、それらのものは「悪の結果」に過ぎないのです。「悪」の実体とは、天上にいる悪魔自身なのです。この悪魔が「神に等しくなりたい」という思いを抱かせようとして、人間の心を誘惑しているのです。

(以上は黙示録12・7〜12に言及したベック兄のメッセージの聞き書きの抜粋だが、引用者はなぜかヘブル4・13を思わされた。すなわち「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」引用は「すぐに起こるはずのこと」3巻272ページより)

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