2012年9月4日火曜日

ノシメマダラメイガ

九月になり、やっとあの凄まじい暑さを逃れ出たような気がする。八月の初旬のことだったろうか。物置に小さな蛾が跋扈し、飛んでいるのを娘が見つけた。

原因はいただいた餅米の袋からであることがわかった。それから四、五日かかっただろうか、連日その幼虫との戦いが始まった。猛暑の中で異常に繁殖したようである。

およそ15キロの餅米を物置きの暗所から引き出すや、十数匹の蛾が飛び出して行く。捕まえようと思うが中々すばしこい。捕虫率は三割程度か。しかし、それは端緒に過ぎなかった。実におびただしい芋虫が餅米内に繁殖していたのである。

新聞紙を引いて次から次へと餅米を並べたが、芋虫はあっちこっちに潜んでいる。それにしても穀粒の多さよ。まるで60億の全人類を見ているような錯覚に捉えられた。

しかも芋虫は光を避けて暗きを目指して万里を物ともせず尺取り虫よろしく、うず高く積まれた餅米から、這い出て、一匹、また一匹と床を進んで行く。労せずして芋虫を拾い上げることができた。可哀想だが、用意した水桶に投げ込む。第一回は200匹は優に超えたであろう。

夫婦二人してじっと餅米を見据え、いかなる動きも見過ごさじと上から見ている。半分はどちらが多く見つけるかという競争心にとらわれている。

こんな案配で四、五日も過ごしたのでこの芋虫の生態に詳しくなった。この芋虫はさらに蛹となり、脱皮して「ノシメマダラメイガ」となる御仁であった。蛹は餅米を10粒平均自らの食糧として薄い粘り気のある糸でうまく巻きつけている。彼らがまず餅米の美味しい部分を食べるのだ。当然、糞が出る。これがまた凄まじい。一面茶褐色の糞が散乱しているのだ。結局人間様はその彼らが絞り取った残りを食べる算段だ。

粒を食べようとした人類も素晴らしいが、その粒の養分をもって私たちにとっては敵筋にあたる「ノシメマダラメイガ」も養われていたのだ。小さな一粒の中にふくまれる養分は創造主である神が全被造物のために備えられたものだ。

時ならぬ猛暑は普段気づくことのなかった生物の営みを私に教える実物教育の場となった。芋虫はその後何匹私たちが引き上げたかは読者のご想像にまかせる。しかし、私たちは私たちの一挙手一投足も主なる神様にはすでにお見通しなのだと観念せざるを得なかった。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(2歴代誌16・9)

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