馥郁と 香れ福音 春の世に |
メッセージは「主の懇願」という題名でヨハネの福音書4章に登場する女をイエス様がどのように導かれたかを語らせていただいた。その話の中で初めと終わりでバンヤンの『天路歴程』の文章を読ませていただいた。それは天路歴程に登場する「無知」氏が天国に喜んで迎えられた「クリスチャン」氏と異なり、天国への旅路を送っていたはずなのに、肝心の天国の門でその入門を断られ、地獄に落とされるというショッキングな結末を迎える。一体そのようなちがいをもたらしたのはなぜか。それは端的に言うなら、「無知」氏が自分自身の姿・罪人である姿について無自覚であり、それゆえに主イエス様を本当の意味で知らず、主の提供される神の義という衣を身にまとっていなかったということであった。その話は私にとっては井戸の傍らに来て水を所望された女が逆にイエス様に懇願する者として変えられイエス様を主として礼拝する者と変えられて行くまでのプロセスを理解するのにふさわしいと示されたので引用させていただいた。
果たせるかな、集会が終わって遠くからお見えになり、最近熱心に求道中のご婦人が先ほど紹介された本が読みたいと言われた。私としては大変嬉しかった。もとよりメッセージは不完全であるし、『天路歴程』を初めから終わりまでどなたか読まれれば益するところ大であると思ってご紹介させていただいたからである。「懇願」されたご婦人には、たまたまその本を余分に持っていたので差し上げ喜ばれた。『天路歴程』というこの本は有名ではあるので、購入はされるが、その実、読まれることが少ない書物のひとつではないだろうか、古本に出される機会が多いように思う。ざっと古書目録で調べただけでも値段も高額のものから低額のものまでまちまちであるが、結構手に入りやすい古書の一つであることがわかるhttp://www.kosho.or.jp/book/keyword/%E5%A4%A9%E8%B7%AF%E6%AD%B4%E7%A8%8B。
みなさん、食事をしながら、それぞれ交わられ、三々五々帰って行かれたが、最後までかの一番乗りをしてくださった遠来の方が残られ、そのご夫妻を囲んでさらに10人ほどで小一時間ほど親しい交わりが与えられ、この日の望外の余徳となった。長い教会生活を経験されたご夫妻ではあったが、子どもたちをふくめ家族の救いのためにこのままじっとその時を待つだけでいいのかという煩悶が奥様に与えられ、そのころにひょんな機会からキリスト集会の本を手にして、この集会には何かがあると思って集われたということであった。私も前からその話を承っていたが、初めてお会いになる方々と一緒に再度お話をお聞きできたのはお証を一方的に聞くだけと違ってさらにご夫妻を良く知ることができて、まことに幸いな互いの交わりの一時となった。人格ある生きたお方であるイエス様を中心に集まる「家庭集会」はやはり何とも言えない霊の満たし、馥郁とした霊の香を与えるものだと感謝した。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4・13〜14)
(※次回は4月2日午前10時半からの予定です。)
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