話が前後するが、リビングストンはすでに1861年、彼の48歳の時に妻を亡くしている。その当たりの記述を今日は見てみよう。
4月21日、リビングストン夫人は病気にかかった。25日には注意を要する容態となり、嘔吐は15分おきくらいに続いて薬は一つも胃に残らないのであった。26日にはさらに悪く譫言(うわごと)を言った。27日の日曜の夜、スティワート博士はリビングストンより、臨終が近づいた旨の報せを受けた。
「彼は箱で造った粗末なベッドの側に跪いていた。ベッドの上には軟らかい褥(しとね)が将に死せんとする夫人を覆うていた。彼女はすべての意識を失って深い昏睡状態にあった。その昏睡より醒すためのあらゆる努力は無効に終わった。強い薬の働きも、夫の声も、そこにまだいる霊に達する力がなかった。その霊は今は眠りの深みに、暗黒に、そして死へと沈み行くのであった。容顔はすでに固定し、呼吸の苦しく重いのは最後の近づいたのを明らかに示していた。多くの人の死に接し、多くの危険を冒して来た勇者も、今は全く子供のごとく泣き崩れた。」
リビングストン博士は、スティワート博士に彼女の霊を神の御手にささげるために祈ることを願った。側にいたキルク博士と共に、彼らは彼女の側に跪いて祈った。それから一時間もたたない内に、彼女の霊は神のみもとに帰った。それより三十分の後スティワート博士は、彼女の姿がその父モファット博士(※1)に似ているのに驚いた。彼はそれを話し出して一層リビングストンを痛めしめぬかと心配したが、ついに「容貌の変わったことに気づきますか」と言った。彼は彼女の顔から目を離さないで「そうです、その容貌表情が父そのままです」と答えた。
「ザンベジー河とその支流」において、リビングストン博士が妻の死に対して平静であるのに誰でも驚かされる。しかしこの書物は国民に対して彼の職務を報告するために書いたもので、彼の個人的気持ちに触れることは出来ない。彼の日誌あるいは手紙の数カ所の引用は彼の心の状態をよりよく示すであろう。
「これは私の遭った悲しみの中、最も酷い打撃である。私の力を全く奪ってしまった。私の多くの涙を受くるに足る彼女のために私は泣いた。私は彼女と結婚する時に愛し、共にいること久しきに従ってますます彼女を愛した。神よ彼女に深く懐いていた子供たちを憐れみ給え。私は私の一部と思っていた彼女を失って、この世界に一人残った。私は神の憐れみによりて、御国を我が家となし、彼女はただ一足先にその旅に出たのであることを知るべく導かれることを望む。ああ私のマリーよ、私のマリーよ、御身と私とコロンベにおいて漂浪しはじめてより、如何に度々静かなる家庭を持たんことを願ったであろうか。たしかに、我等の願いを熟知せられし優しき父なる神は、御身を今や永遠の御国の最もよき家庭に召してその願いに報い給うたのである。
祈りが彼女の紙片に書かれている。『主よ、私をありのままにて受け入れ給え、そうして御心に適うごとく私をなし給え』と。この祈りを彼女に教え給うた主は救いの事業を完成せずにはおき給わない。また彼女は手紙に『他の者をして恩賞を求めしめよ。私は金なくしても富むことができると友人に書いた。利害関係なき動機より、私はこの世界に貢献せんと願う。私は百の恩賞にも代え難き動機を、私自身の行為の中に持っている』と書いている。」
「彼女をシュパンガにおいて、60フィートの周囲を有する大きなバオバブの樹下に埋めた。従者は墓を建てるまでその地を守ることを願った。我等は古い廃屋より煉瓦を掘って来て墓をつくった。」
「5月11日コンゴネにて。私の愛するマリーは今宵で14夜を天国に過ごす—肉体を離れて主の御前に。今日汝は我とともにパラダイスにあるべし。天使は彼女をアブラハムの懐に運んで行った。—キリストとともにあるははるかにまさることなり。アダムより七代目のエノクは「見よ主は一万の聖徒とともに来る」と預言している。汝も主とともに栄光の中に現われるであろう。主は彼とともに来たり給う。ゆえに彼らは今主とともにある。我は汝らのためにところを備えに行く。神の栄光を見るべく、我がいる所に汝らもいるべし。Moses and Elias talked of the decease He should accomplish
at Jerusalem; then they know what is going on here on certain
occasions. They had bodily organs to hear and speak. 私の生涯において死することを願ったのはこれが初めてである。」(※2)
(『リビングストンの生涯』209〜212頁より引用。※1リビングストンは26歳のとき、モファット博士Robert Moffat (missionary)の南アフリカ伝道の話を聞き、それが彼のアフリカ伝道のきっかけになった。後年彼はその博士の娘と結婚したのであった。※2実に崇高な箇所である。ほぼ赤字で示したのが聖書本文である。その合間に愛する妻マリーが天の御国にいる確信と喜びが語られており、どこからどこまでがリビングストンのことばでまた神のことばであるか分からない。それだけリビングストン自身の心は聖書と一体であったことが分かる。訳者である藤本さんはなぜかブレーキーの原文の英字部分は訳しておられない。煩雑と思われたのかもしれないが、読者はルカ9・30〜36をひもとかれたし。英文はその箇所を指していると思われる。)
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