私はあなたがその苦痛より救い出されるようには祈りません。しかし私は神が善しと見られる間はあなたがその苦痛に耐えられるよう、力と忍耐が与えられるように熱心に祈っています。神があなたを十字架にしっかり結びつけてくださるのですから、神に信頼して自らを慰めてください。神はふさわしい時にあなたを解放してくださるでしょう。(中略)
私たちが健康な時よりも、病気である時に神はある意味で一層近くいらっしゃり、一層明確に御臨在を私たちに示してくださることをあなたが経験なさるように切望しております。他のお医者さんに頼りなさいますな。私の考えによれば神は懇ろにあなたをお癒しになるご計画です。だからあなたは神に全く信頼しなさい。間もなくその結果は顕われて全快となるでしょう。私たちは神よりも医学に大いなる信頼を置くために回復を遅らせることがあります。どんな治療法を用いても神がお許しになる範囲を越えて成功することはありません。苦痛が神より出ている場合には、ただ神だけが癒すことができます。神は魂の病を癒すために、しばしば肉体の病をお与えになります。あなたの霊肉をともに癒してくださる神に頼って自らを慰めなさい。(略)
神があなたを置かれている状態に満足しなさい。あなたは私を幸福な人だとお思いなさるかも知れませんが、私はあなたを羨ましく思います。私は私の信ずる神とともに苦しむのであれば、その痛み、苦しみは私にとってパラダイスとなります。 もし私が神を離れているのなら、最大の快楽も私にとっては地獄となるでしょう。私の一切の慰めは主のために苦痛を忍ぶことです。
私は間もなく神のもとに往かねばなりません。この世において私を慰めるところのものは、私が今信仰によって主をご拝見できるということです。だから言うならば、「私はもう信じているのでなく、主をまのあたりに見させていただいている」という様です。私は信仰というものが、私たちに教えることを体験しています。私はこの確信を持ち、この信仰を働かせて神とともに生き、神とともに死ぬ決心です。
ですから、あなたもつねに神とともにいるようにしてください。これがあなたの苦痛の中で、あなたを支え、あなたを慰める唯一つの道です。私は主があなたとともにいてくださるように切に祈っています。
1690年11月17日 あなたのしもべであるロレンス
(上述の文章はブラザー・ロレンスのもの。彼の『敬虔の生涯』は明治年間から昭和40年代ごろまでは、何度か訳されて見かけたが現在ではあまり見かけない。手持ちの笹尾鉄三郎と西条弥市郎の訳を参考に現代風にアレンジした。笹尾鉄三郎によるとフランスのロルレーン州に貧しくも無学な青年がおり、18歳で救われ、一時は陸軍の歩兵だったが、1666年パリのカルメライツ教会に出席し、それからブラザー・ロレンスと呼ばれるようになったと言う。数十年間卑しい料理人として働き、神を知り神を愛することが深く、いつも主の御前に出て80歳で天に召された。笹尾の訳は以下のサイトでも読むことができる。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824082笹尾は内村が一目置いていた人物で、愛嬢ルツ子が病に瀕したときその神癒を笹尾に頼んだという。しかし笹尾は神癒を祈らず、復活の主を示し、ルツ子さんはそれを信じ喜んで天に召されたという。笹尾全集第5巻にその記述がある。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。ローマ14・8)
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