2014年3月23日日曜日

リビングストンの生涯(7)

昨日は妻の死がどのようなものであったか、リビングストンの書いたものを見た。アフリカ宣教は様々な戦いがあったが、その一つに現地における熱帯病との果てしない戦いがあった。したがって抵抗力のない子どもの同行はままならず、家族一緒に暮らすことは出来ず、それぞれ夫妻で英国とアフリカに離れて別々に暮らさねばならない時もあった。以下の記述はそのような折りに妻マリーが夫リビングストンへ寄せた思いを明らかにした箇所である。彼女の死の6年前のことであるが、余りにも預言めいている記事の思いがする。

リビングストン博士がケープタウンにおいて、愛する妻に別れを告げてより過ぎ去りし年月は、夫人にとっては実に悩み多き日々であった。二人の間に交わされた書信の多くは途中で紛失し、手に落ちるものは稀であった。住み慣れぬ英国において家もなく、健康は損われ四人の子どもに対する心遣いもあり、その上夫よりの消息は長らく途絶えがちであって、心配と不安より来る悩みは、時には彼女の信仰には余りに大き過ぎて彼女を非常に疲れさした。アフリカにおいて「牛者の女王」と言われた時や、彼女の全生涯において、精神力に充実した夫人を知っている人は、この英国における夫人を同人とは思い得ないほどであった。リビングストンが長い間彼女より消息を聞かなかった時には、彼女もまた深い悩みに沈んでいた。しかし祈りによりては心の平和を取り返すのが常であった(※)。彼女は夫をサウザンプトンに待っていたが、タニス湾における出来事のため彼はドーバーに上陸した。されど彼は彼女が再び別れまいとの希望を歌った歓迎の歌を読みながら、間もなく逢うことが出来た。

百千の歓迎、我がうちに溢(あふ)る、
遠い遠い異国(とつくに)より帰ります我が夫よ、君の故郷に、君の家庭に。
思えば君去りてより、如何に長らく別れしことぞ。
その年月、夢見ざる夜なく、思い悩まざる日なかりき。

憂いをもて君に近づかんとは、君かつて思いしや。
されば我が悩みを去り、再びここに君と見(まみ)えん。
我がうちにただ喜びと愛とのみ、すべては消え去りぬ。
そして再び君と別れじとの望み、楽しく、力強く、我が心に充つ。

百千の歓迎、我がうちに迸(ほとばし)り出づ、
愛と喜びと驚きをもて、再び君の顔を見ん。
君在(いま)さざる、長き長き年月、如何に悲しく過ごししことよ。
再び君と別るるは、殺さるるが如き思いす。

君よ再び私より去り給うな、君の目にはその約束あり。
私は生くる限り君を守り、君は私の死を護り給え。
されど死が優しく私を、いと高き祝福の家に導きなば、
百千の歓迎をもて、御国に君を待たん。
                    マリー

(『リビングストンの生涯』145〜147頁より引用。※推測するに、恐らく次のみことばも彼女のその時の心情にぴったりなものの一つだろう。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4・6〜7 それにしても、昭和8年に、このブレーキーの本を狭い家屋に住む藤本氏が子どもたちが寝静まった夜半、これらの訳文を読み上げ、幼子を抱える妻がそれを清書したとすると、このマリーの夫に対する賛歌をどのような思いで書き連ねたことだろうか、言わずもがなの思いがする。そしてこの讃歌にはいかなる困難にも動ずることのない天の御国に凱旋する幸せが全編をおおっており、それをこのような格調高い文語体に定着した藤本氏に感謝したい。)

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