この前、思わず、とかげは家人にとって天敵と書いたが、決して天敵でない。友人とは言いたくないが、敵ではないと言う。何しろとかげは草花に寄って来る様々な虫を獲物に地上から草花を伝いながら這い回っており、ガーデナーにとって得難い味方であるからである。今朝、久しぶりに見るともなく、庭を見ていたら、風もないのに草花が揺れている。そのありかを見てみれば、二三日前に格闘した同類のとかげ君であった。しかも一匹ではない。二匹それぞれちがう草花に足繁く動いていた。庭に降り立ち、とかげ君を探したが、もういなかった。代わりに、草花の様々な芳香がそれぞれ心地よく漂って来た。これは何という魂の「温浴」であろうか。草花をめぐって多くの生き物が群がって来るのもうべなるかなと思いながら室内に戻った。
室内に戻り家人に「とかげは天敵でないね」と念を押したら、案の定「そうだ」と言った。むしろとかげのたまごは小さい時から馴染んでおり畑や庭で始終見たし触ったと言う。問題はそのとかげが室内にいるのが嫌なのだと言う。確かにそれは誰しも気持ちのいいものではない。そこへ行くと、蜂の巣はもはや女王蜂と切り離した存在なので、それを気持ち悪がる心理はわからない。今でも私の小さな書斎に記念として「蜂の巣」を置いているが、家人は決して足を踏み入れない。今や、「蜂の巣」は、我が城に家人の出入りを容易に許さないとんだ「魔除け」になった感じだ。
安倍首相が、集団的自衛権を解釈改憲で押し通すつもりだ。とかげが天敵であるかどうかは場合場合があり、細かな議論が必要だろう。感情論で物申すのでなく、冷静な思索が必要である。首相会見にパネルを持ち出し、説明されるのは結構なことだが、もし起こり得る事態を自己の都合のいいように図示し論理をすりかえてしまうための道具だったら問題だ。とかげが室内に入らないようにしたい。それにもかかわらず、入って来たらどうするか。瞬間湯沸かし器のように当方は恐怖心にあおられて、「自衛」と称して流さずにすんだ血を流してしまった。あとで悔いが残った。一国を預かる首相に今や誰も鈴をつける人がいない。民主主義は選挙至上主義だ。一人一人が覚悟をもって政治社会の構築に向かうべしである。
今朝の朝刊各紙の見出しを参考までに列挙する。
朝日 集団的自衛権行使へ検討
読売 集団的自衛権限定容認へ協議
埼玉 首相「確固たる信念」
JAPANTIMES Panel lists steps for bypassing Article 9
日経 首相「憲法解釈の変更検討」
産経 首相 行使容認へ強い決意
毎日 集団的自衛権 容認を指示
東京 「戦地に国民」への道
新聞は社会の木鐸だと言って育った私にとり、今の新聞は果たして木鐸の役割をしているのか疑問なしとはしない。ちなみに私は東京新聞を講読している。
その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」サムエルは、この民の言うことすべてを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」(1サムエル8・18〜22)
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