2014年5月17日土曜日

「補聴器」と祈り会

古利根川堤
補聴器を使い始めて何週間か経つ。耳の聞こえが悪くなって、もうかれこれ5、6年経つであろうか。玄関を押すベルなどが二階にいると聞こえなくなったり、やはりご飯の用意ができて呼ばれても知らなかったり、前者は宅配業者やお客さん、後者は家人との関係でそれぞれに不快な思いをさせていた。郵便局などポストに不在通知が入ると、「家にいたのに、なぜそんなことをするのか」と自分自身が実は難聴になっているとは知らず、文句を言っていた。この場合、先方はお客さんのことばだから、内心不満があってもそのまま引き下がられる。ところが後者などはそうはいかない。「なぜ降りて来ないのか、夕食が干上がってしまうじゃないの」と言われ、当方は当方で「聞こえないのだから、しょうがないじゃないか」と互いに言い募る始末であった。この辺から何となく耳が悪いのだなあーと自覚が出てきた。それでもそのまま放っておいた。

恋する鳩の男女
ところが今年になって、私の耳が聞こえないことで、娘や妻とたびたび喧嘩になった。疲れて帰ってくる娘が話をしていても何を言っているのか聞きとれない。もっと大きな声で話せと私は声を荒立てた。でも夜遅く帰宅し疲れている者に向かって「大きな声で話せ」とは土台無理だと少しずつ気づいて行った。また妻と話していても何回となく聞き返すから、また喧嘩になる。その上、妻は私の難聴と認知症の関係を気にし始めて、妻と娘は私に補聴器購入を勧め、病院に行けと言う。何度も渋っていたが、とうとう意を決して耳鼻咽喉科を訪れた。週に一回集まる祈り会で他の方の話や祈りが聞きとれないことに悩まされるようになってもいたからである。

ほぼ一月ほど試聴期間であったが、いよいよ昨日から本格的に自前の補聴器になった。補聴器は病院側で斡旋していただいたが、購入には二の足を踏んだ。高額であり、業者が信用できるかの不安があったからである。私につきあってくれた方は青年で、感じのいい誠実な人だった。一生懸命にこちらの不安にも答えてくれ、うちの店でなくっても他の業者さんでもいいですよ、と鷹揚な態度も披瀝してくれた。そのお店は隣の町なので不便なのだが、結局彼を信頼してそのお店で購入することにした。別れ際、一人の方の御好意で刷り上がった名刺をお渡しし、ついでにブログ(名刺にはブログのアドレスが記入してある)を読んでくださいねと、言い添えた。

赤つめ草・白つめ草
昨日、お店に出向いて彼に会った。開口一番、「ブログ読みましたよ、本格的なんですね」と言われた。「あれはご自分の文章ですか」とも言われた。具体的な最後の商品の説明のおり、「祈りはどんなことばですか」と言われた。私が祈り会で祈りが聞きとれないということは医師にも申し上げていたし、その方にも話したのだろう、そのことを指して言われたのである。ああ、そうなんだと思った。主イエス様をお知りでない方にとって、私たちがささげる祈りがどんなものであるかご存知ないのはやむを得ない。私は「フォーマルなものではありません、フリーです。どんなことばでもいいのです」と申し上げた。どの程度その方に意味が通じたかはわからないが、私が聞こえないと申し上げた理由とその後補聴器使用でそれが可能になったのか知りたいと思っての質問であったようである。

祈りは主イエス様に向かってささげるもので、各人がそれぞれ自由にささげる。声の大きさはまちまちであるが、普段話す話よりは大体が小さい声になる。だから祈っていても自分と反対側の人ほどその声が聞きとれないので、不自由していた。もちろん聞こえなくってもそれはそれで良いのだが、七人で祈っても三人の方の祈っている言葉は断片的でよくわからないということばかりだったのだ。果たせるかな、昨日その祈り会で(出席者は7名であったが)補聴器を使用して聞いてみたが、今まで聞きとれなかった方々の声が聞こえた。やはり自分の耳が悪くなっていたことを認めざるを得なかった。

補聴器使用の二日目、このブログを書いている間も、玄関のチャイムが二回ほど鳴った。いつもより敏速に階下に降りて行くことができた。今朝の空は青空である。何か気持ちが快活になりそうである。補聴器を使用するように勧めた家族の者、また現実に補聴器の世話をしてくださったお店の方に感謝したい。昨日帰り際、今一度ブログの話題をした。彼は「文章が難しいですね、パソコン上では読み取ることが難しいですね、プリントアウトして読まないと」と言われた。率直な感想をいただいて嬉しかった。読んでいる方々のご苦労をはじめて知った思いがしたからである。彼が今後も誠実に仕事をされるように祈りたい。

また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6・5〜8)

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