春の日 造り酒屋の 壁落ちて |
NHK朝ドラ「らんまん」が始まった。最初の場面は「甑(こしき)なおし」とか言う、造り酒屋にとって欠かせない祝い事らしきものの一部始終がドラマの中で描かれていた。時は慶応三年(1867年)と言うから、明治以前である。
町に造り酒屋と言えば、上掲のものしか頭に思い浮かばない。ここにも往時あのような賑やかな人々の行き来があったと思うと、無性に寂しい。
作家の中村文則さんが、大江健三郎の追悼文を書いていた。(4/3東京新聞夕刊)全文を紹介するのが礼儀なのだが、末尾を紹介させていただく。
大江さんの作品に『Rejoice!(喜びを抱け!)』という言葉が度々出てくる。人生は辛い。でも喜びを抱けと。僕は大江さんに救われた。大恩人だ。その存在が、もういない。
僕は今、とてもRejoice!という気分にはなれない。幾つも大江さんの追悼文の依頼があり、実はこれが四つ目になる。ずっと堪えていたけど、書いている途中でさっき急にこみあげてしまい、この原稿は泣きながら書くことになった。僕は今、とても悲しい。作家になって二十年を超えたけど、こんな風に、泣きながら原稿を書くのは初めてになる。
大江さん、あなたの作品は、僕にとって、大勢の読者にとって、生涯の宝です。本当に、本当に、ありがとうございました。
中村さんは目の前にいた、偉人、恩人であった大江氏の非存在を悲しんでおられる。私がいなかの造り酒屋の廃屋に寂しさを禁じ得なかったのも、もとをただせば同じ根っこにある感情のしからしめるものなのかもしれない。結局、中村さんの悲しみも、私の寂しさも、滅びることの悲しさによるのではなかろうか。
一方で、私は廃屋の上空にある日輪を意識しながら、日輪は廃屋のすべてを知っている、そこに光が輝いている。神さまもそのようにして私たちの一挙手一投足を見そなわしていてくださるのだと思って慰められた。
さて、今週はイエス・キリストの受難週にあたる日々である。日曜日にエルサレムに入場されたイエスは、月曜日宮きよめをなさり、この火曜日は宮における最後の日になり、したがって退去の時でもあった。イエスの弟子であったペテロ、中村さんが大江さんに流した以上に涙を流したはずのペテロは、この日の主イエスの長い重要なメッセージをマルコに伝えているが、その中に次のみことばがある。
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(新約聖書 マルコの福音書12章31節)
そのペテロは自らの手紙の中で次のようにも語っている。
あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(新約聖書 ペテロ第一の手紙1章23節〜25節)
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