モチノキの 名前見つける うれしさよ |
上掲の木々は桜並木で人々が沸きかえる中、たまたま一昨日知人とお出合いした時に、眼にした木々であった。その木々に咲いている黄緑色の花は、それに連なる桜の木々と良いコントラストを成していた。「桜」、「桜」と人々が騒ぐ中で、地味だけどここに私はいるよと語りかける思いがした。一体何の木なんだろうと、昨日も出かけ二日がかりで探索した。その木は三本であり、名前を見つける補助手段であるサイトも初めて知った。
その結果、幸い見つけることができた。モチノキと言えば縁起を担いで庭には必ずある木々で、私の故郷の家の庭にも植っている。だから80年の間、私も見てきたはずだ。ところがこのような花の美しさを味わったことがない。とすると、別物だろうか。いやいやこの木は確かに「モチノキ」だ。ここまで考えて、「名前」の意味するところの素晴らしさを了解した。振り返れば、私自身、大学の農学部林学科を受験し合格した過去がある。その道を進んでいたらと思うと不思議でならない。
木の名前を知るために、様々な特徴、葉の形、花の様子、樹木の外観を調べれば分かると案内してあった。http://www.tree-watching.info/index.html 時あたかも新年度からNHKの朝ドラ「らんまん」が始まる。かつて「エール」を欠かさず視聴して多くの恵みをいただいた。牧野富太郎は私の少年時代の最初の偉人であった。その後、長ずるに及んで、単なる名前を知るだけでは能ある仕事とは言えないとばかり、湯川秀樹に今度は鞍替えしたのだが、若気の至りというか、それが一面的な見方にすぎないとは、この歳になってはじめて理解するようになったことだ。
「名前」こそ、すばらしい名辞である。昨日も同じ古利根川沿いを散歩していて、知人と擦れ違った。一緒に散歩している家内は気づかなかった。私はその人の名前が思い出せないので、説明するのに難儀した。十数分経ってその人が「いわぶち」さんであると天啓のごとく私の脳裏に浮かび上がってきた。ありがたきかな、「名前」である。
神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。(旧約聖書 創世記2章19節)
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