如月(きさらぎ)の ダブル祝意 寄すケーキ(※) |
娘が誕生した年、1981年に、湯川秀樹は亡くなった。あれから43年経ち、81歳のこの歳で孫の誕生に立ち会うとは随分な果報者だと思う。一日一日を大切に過ごしたい。さて、女親が死ぬ思いで出産の苦しみをさせられるのに対して、男親にはいよいよ「我も親か」と一段とすべてのことに積極的になるのでなかろうか。その初仕事は名づけであろうか。
娘の旦那さんも名前をつけるのにどのような知恵をしぼっているか楽しみであった。月曜日、初めて赤ちゃんに対面した時に、「赤ちゃんの名前は聞かないの?」という娘の言葉で(それまでも聞きたかったが、まだ考え中だと悪いと思って聞いていなかっただけなのだが)聞いてみた。サラサラと名前が出て来た。正直言って少し拍子抜けした思いであった。家内は単純に喜んでいた。
その後、話するともなく家内と娘が話し合っている会話の中でその赤ちゃんの名前の由来が語られていた。そしてびっくりした。その旦那さんの妻を愛おしむ思いが、その名前に込められていたからである。その話というのは以下の聖書の故事だという。
この町の人々がエリシャに言った。「あなたさまもご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。(旧約聖書 2列王記2章19〜22節)
苦難も、喜びも共にする旦那さんの優しい心を感じて私は嬉しくなり、最初、拍子抜けした我が思いを恥じるばかりであった。
※長女が五人の子育てで、手慣れたとは言え、今週火曜日に遠路届けてくれた。2/7の私、2/8の赤ちゃんの誕生の祝いだった。私たちもこれに答えて、次女夫妻と二日がかりで舌鼓を打った。
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(新約聖書 ルカの福音書1章45節)
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