2024年2月8日木曜日

雪は人の心を溶かす


  娘の出産が間近に迫って来たので、こちらも受け入れ態勢を整えねばと部屋の整理に及んだ。たくさんある額の処分もその一つだが、中々踏み切れず、困るなあーとため息を吐(つ)いていた。そのうちこの額が目についた。小村雪岱の「雪兎」と題する版画である。

 1970年代も終わりに差し掛かっていたであろうか。現在の地に引っ越して来たが、斜め向かいの老夫婦が暖かく迎え入れて下さった。その後、行き来もし親しくさせていただいたが、そのうちにこの作品を上げると言われた。江戸っ子だったのか、気風(きっぷ)がよく、面倒見の良い方だった。関東大震災の写真も所蔵しておられ、私が社会科教師であることを知ってだろう、「見にこない」と声をかけてくださったりしたこともあった。

 折角いただいたのに、それ以来、子育てやら何やらと余裕もなく、飾ることもせず、押し入れにしまい込み、いつの間にか埋もれてしまっていた。この版画を下さった方はもう10年近く前にお亡くなりになり、家も壊され、今では新しい方がその方の旧宅跡地にはお住みになっている。日増しにその方からいただいた御愛も忘れてしまっていた。

 しかし、こうしてこの作品が出て来て、いただいた当時のことも微かに思い出すことができた。作品を調べてみると、どうも1943年の制作のようであった。2百7、80枚あったものの一つであった。私と同期であることに親しみを覚えると同時に、二日前に雪が積もったことを思うと、この「雪兎」と題する版画がタイミング良く出現したことを喜び、遅まきながら、作者の心意気を少し味わっている(※)。なお、その向かいの方は雪岱の甥御さんということであった。

※画面をよく見ると、大空からコンコンと雪は止まることなく降ってくるようだ。一方、傘を差して雪見するかのようで、またそうでもないかのように、美しい着物姿の女性が腰を下ろして「雪兎」を掌(たなごころ)に持つ。私には、何とも言えない切ない雰囲気が伝わってくるように思えてならない。これが日本画、日本人魂の特徴かもしれない。そして、同時に、これを機会に、旧作だが、「雪のたから」の文中の一挿話を思い出した。こちらはこちらで、創作とは言え、今も私の心を芯から揺さぶる話である。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/03/blog-post_30.html

あなたは雪の倉にはいったことがあるか。雹の倉を見たことがあるか。(旧約聖書 ヨブ記38章22節)

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