2024年2月9日金曜日

可愛いゆりかもめ


 「果報は寝て待て」とは昔からあることわざだが、1月27日に予約しておいた図書が入ったと今朝、図書館から連絡があった。予約したのは、山崎鷲夫さんに関する1978年刊行の岩波新書であった。他館からの借り入れだから、すぐは入らないとは思っていたが、一週間経てども連絡がないので、最初イライラしていた。その後、半ば諦めもし、ここ二、三日は忘れてもしまっていた。その本が入って来たと知り、改めて我が身の「忍耐心」のなさを、知らされた思いであった。

 図書館までは一キロほどかかるが、やはり古利根川に面している。この近辺を流れる古利根川には、鴨群に対抗するかのように、もう一方の覇者である「ゆりかもめ」が棲みついている。ひょっとして今日もいて何らかの写真が撮れるのでないかと期待して出かけた。案の定、ゆりかもめは、川中に固まっていた。それだけでなく、時折り飛翔しては橋の欄干や高い照明灯を止まり木にして、まるで私に写真を撮っていいですよと言わんばかりだった。鴨ほどは警戒心がないのはありがたかった。

 さて、そんな忍耐心のない私だが、その娘である次女は昨日無事に女の子を産むことができた。高齢出産で気が気でなかったが、こうして無事に生まれてみると、主なる神様の御守りと皆さんのとりなしの祈りの賜物と思い感謝に堪えない。

 元々結婚も願えど、中々、導かれず、ほとんど諦めかかっていた時に、不思議なるかな、職場の同僚の方と一緒になれた。そうして結び合わされた二人であったが、こどもが与えられず、これまた半ば諦めていたが、友人に励まされて、今回の初産となった。

 それにしても十月十日とはよく言ったもので、長い長い忍耐の月日でなかったかと思う。でも過ぎ去ってみれば、短かかったなあーと思ったりする。私にとっては「果報は寝て待て」であったが、当の本人はこれまた「案ずるよりは産むが易し」と、ことわざ通りであることを体験したことであろう。コロナ禍の病院で、昔のようにすぐ駆けつけて、ねぎらいの言葉をかけたり、赤ちゃんの姿を見て感動するような場面はないが、いずれ退院してじっくり赤ちゃんと対面したいと願っている。 

女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。(新約聖書 ヨハネの福音書16章21〜22節)

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