2013年10月10日木曜日

目標を目ざして一心に走る(結)

エジンバラ市内の彫像 2010.10.3
私たちはピリピの兄弟姉妹たちのように、主の目に喜ばれる人々となっているなのでしょうか。2章ですね。ピリピ書2章25節から、2、3節お読み致しましょう。

しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。

パウロはピリピの教会に属するエパフロデトについてこういうふうに書いたのです。このエパフロデトに対し「私の同労者」「私の戦友」「私の兄弟」と呼びかけています。このエパフロデトとはパウロと同じく永遠に朽ちない一つの目標を目ざして走る競技者でした。この一つの目標を心の眼で見た者は自分自身を顧みません。「自我」という足かせから解放されています。このピリピ書2章21節と30節は実に著しい対照を示しています。。

21節は、はかない人の名声を求めて走る者の姿が書かれています。

だれもみな(自分、自分)自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。

30節には朽ちることのない、天の報いを求めて走る人の姿が書かれていますね。

彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。

とあります。パウロ自身次のように言えました。使徒行伝の20章の24節ですね。よく引用されるすばらしい告白でもあり証です。248頁です。

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

エパフロデトもパウロもただ一つの天の賞与を求めて走り続けました。

ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

パウロは有能な主に仕えるしもべでした。もちろん、当時認められた主のしもべだったのです。彼は名声も得たし、残る天の栄誉を目ざして走ることは簡単なことだったと言う人もいるかもしれない。けど、エパフロデトを考えてみたい。彼は名もない、誰の目にも目立たない当たり前の一人の信者にすぎなかったのです。しかし、主なる神の眼からは、パウロもエパフロデトも同じく主に仕える者として見えたのです。問題は私たちが何と何をやったかということではない。私たちがどれほど主に忠実で従順であったかだけということだけではないでしょうか。コロサイ書の中で、3章23節。

何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

そうしないと、疲れてしまい、落ち込むようになり、喜びもないし、力もない、ということです。パウロの目ざした目的は何であったか、と言いますと、それはイエス様を知る知識の絶大な価値でした。有名なピリピ書3章8節に

私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

パウロはこのためにすべてのものを捨て去りました。パウロがここで言っている「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさ」は、イエス様について知る知識とは全く違います。より以上にすぐれたものです。キリストについての知識は、集会に来たり、聖書研究会に出たり、本を読んだりすることにより貯えることができます。パウロはイエス様について知りたいとは言っていません。さらにまさるものを求めていました。すなわち、「私はキリストを得たい」と彼は叫んだのです。これは何を意味しているなのでしょうか。パウロはよみがえりの主のいのちを自分のものとしたかったのです。それでは、このよみがえりの力はどうしたら自分のものにすることができるなのでしょうか。それはイエス様の苦難にあずかってその主の様に等しくなることによってのみ自分のものとすることができます。私たちは、すべてを主にささげた献身者として、自分が持っている考え、意志、感情をすべて主にささげ、また自分の当然持って良いと思われる権利も主にささげたいものです。

御座で主なる神の賞与を得る者は、聖書の知識が豊かな者ではありません。また熱心に奉仕した者でもないでしょう。キリストの霊を豊かに内に宿している者は、イエス様の賞与を豊かに受けるのです。パウロは、ほんとうに刑務所の中で

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

(と、書いたのです。)

パウロは誰が何と言おうとこのただ一つの目標を目ざして走り抜こうと決心していました。パウロは何としてもこの賞与を得たいと願いましたから、他の人の意見には眼もくれず走っていました。

ヘブル書の著者は次のように書いたのです。有名な12章の2節。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

パウロには敵も多かったでしょう。パウロを批評し、小さいことを大げさに話し、あなたがそのようなことをすれば信者は割れる、離れる者もいるかもしれない、あなたは霊的な高ぶりを持っているのではないか、他の信者に命令する者となりたいと思っているの(か)、もっと簡単な福音だけを伝えたらいいだろう、そのような霊的な真理を語るとかえって信者の頭はごちゃごちゃになる、などと言う人々も必ずいました。

このようにパウロは誤解されましたが、これはパウロの十字架の道でした。パウロは別に人とちがった信者になりたいとは思っていませんでした。パウロがただひとつ願っていたのは、すべての主にある兄弟姉妹が主の目的を見、光栄に満ちたこの主の賞与を目ざしてひたすらに走ることだっただけです。パウロはイエス様とともにすべての聖徒が一所(ひとところ)にとどまらず、御座にまで行き着くことができるようにとの重い重荷を担ったのです。普通の競争は何とかして自分だけが早く走り、他の人は遅くなるように心がけます。けど、御座に向かって走る兄弟姉妹の競争は全くこれと反対です。己をむなしくし、他の人々を顧み、助け、仕えて行く時に、(そうして)行く者が一番早く御座に達することができるのです。

パウロはなぜ細かいことまで聖書に書き残して注意しているのでしょうか。主にあるすべての者が御子イエス様の御姿に変えられ、イエス様の御座に達する者となることができるようにパウロは細心に注意を払っていたのです。

私たちも同じ心構えを持つようになればありがたいと思います。

(かくして、このメッセージは終わる。今まで、ここまでみことばの深い意味、愛を明らかにしたメッセージは見聞きしたことがない。しかし、主イエス様が十字架上ですべての人の身代わりとして死なれたことからすると、このメッセージの結論は当然と言える。私をふくめ、己を肥やすことに懸命であることに無自覚であるキリスト者にとって必読のメッセージだと思う。)

2013年10月9日水曜日

目標を目ざして一心に走る(転)

アバディーン行きサルベージ船? エジンバラ港  2010.10.3
イエス様はゴルゴタで十字架におかかりになる前に、父なる神に祈って言われました。ヨハネ伝17章の24節

父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

また、よみがえられ、昇天され、引き上げられたイエス様は弟子ヨハネに次のように仰せられました。黙示録3章21節。すごい、すばらしい約束です。

勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。 

イエス様とともに御座に着き、主なる神とともに永遠に支配する。これが、パウロの目ざしたまことの目的であり、報いであったのです。何という驚くべき、栄光に満ちた立場でしょう。人からの誉れは小さなものです。主なる神とともに永遠に過ごすという驚くべき光栄がわれわれを待っているのです。

第二番目のまことの報いを目ざすものは自分の持ち物を求めず、自分をむなしく致します。今読みました黙示録3章21節ですね

わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

と。このイエス様のみことばの裏に、わたしを模範として、わたしに従いなさい、という意味が含まれています。このイエス様の勝利の道を歩む模範は、有名なピリピ人への手紙の2章5節から11節までに書かれています。ちょっと読みます。

あなたがたの間ではそのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

主イエス様は主なる神のひとり子であられたのに、天におられたならば何の不自由もなく驚くべき祝福のうちに住むことができたのに、自分をむなしくし、しもべのかたちを取り人間の姿になって、そればかりではなく、己を低くし、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられました。イエス様は人の誉れも名誉も得ようとはひとときだに思われませんでした。また、イエス様は自分のものを求めようとは思われなかったのです。全く己をむなしくしておられました。イエス様は結果を数える奉仕でなく、ただ父に従順に従い、十字架の死にいたるまで従順であられました。

このイエス様の霊は父なる神にことごとく嘉(よみ)せられましたので、イエス様がよみがえられた時、父なる神はイエス様に一番高い御位をお授けになったのです。イエス様は今天の御位に座しておられます。しかし、ただ一人でそこにおられることを願っていません。イエス様が十字架にかかってくださったのは、信ずる者のひとりひとりがキリストの霊を持ち、御座に着くことができるようになるためでした。だからこそ、パウロはその道がどんなに恥と苦しみに満ちていても、御座に続く十字架の道を自ら選びとったのです。この道は、パウロにとって決して気楽な散歩道ではありませんでした。それまで、彼はいろいろなことで苦労しましたし、悩みましたし、けれども、だからこそパウロはその道がどんなに恥と苦しみに満ちていても御座に続く十字架の道を自ら選び取りました。この道はパウロにとって今話したように気楽な散歩道ではなかった。

彼は、主に従おう、自分は別にどうでもいいという態度を取ったのです。パウロにとって栄光への道は孤独の道でした。なぜなら、小羊である主の行く道は恥とそしりとの道です。けど、恥とそしりとに満ちたこの道の終わりは栄光の御座の真ん中に続いているのです。

けど、十字架に敵対して歩いている者はこれと反対の経験をするでしょう。彼らの歩いて行く道は人の誉れと名声を求める道であり、彼らの求めている栄光はやがて恥とそしりに変えられることです。ピリピ書3章、もう一回読みましょうか。ピリピ書3章の18節ですね。

というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

十字架の道は恥とそしりの道です。イエス様は裸にされ、十字架につけられた時、群衆はイエス様を指差し「彼はわれわれと等しく人間ではないか、神の子だと言うのは偽りでないか」と思う存分譏(そし)り、あなどりました。通りかかった者たちは頭を振りながらイエスをののしって言った。「神殿を打ち壊した。三日後に建てる者よ。もし神の子ならば自分を救え。そして十字架から降りて来い。」民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った。「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト・選ばれた者であるならば自分自身を救うが良い」。兵卒どももイエスを罵り、「あなたがユダヤ人の王なら自分を救いなさい」。十字架にかけられた犯罪人の一人が「あなたはキリストではないか、それなら自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と言ったのであります。

十字架の道は恥とそしりの道です。イエス様は十字架の死に至るまで従順であられました。釘がイエス様を十字架につけたのではない、われわれ一人一人に対する測り知れない愛がイエス様を十字架につけたのです。私たちの近くに、真ん中におられるよみがえりのイエス様は私たちが十字架の敵であるか、または十字架をいとわず、恥も死もいとわず、すべてを主にささげているか、すべてをご存知です。

(私が日曜日、年少の友からいただいたみことばの一つはこのベック兄のメッセージの中に出て来るみことば黙示録3章21節でした。このメッセージを聞くより前に、すでに彼からこのみことばをいただいていたのです。何と感謝なことでしょうか。明日がこのメッセージの最後になります。)

2013年10月8日火曜日

目標を目ざして一心に走る(承)

結婚を祝福する花々 2013.10.5
多くのキリスト者はただ自分の祝福を求めて祈り、信仰生活を続けますが、他人の祝福を願わず、自分の祝福だけを求める人は、あたかも登山靴とリュックサッ クを背負って走る競技者のような者ではないでしょうか。このような人々はしばらく走ると疲れてしまい動かなくなってしまいます。

パウロは、当時イエス様のことを宣べ伝えた人々について、悲しいことを書いたのです。ピリピ人への手紙2章21節

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません

3章18節では、パウロはこのような人々はキリストの十字架に敵対して歩いている人々だと言っています。彼らはイエス様ご自身に敵対してはいません。イエス様を知り、イエス様を信じ、罪の赦しをいただいた人々です。それでもなお、(彼らは)十字架に逆らっている、とパウロは書いたのです。それらの人々は誤解されたくない、あなどられたくない、イエス様のために恥を負いたくない人々です。これらの人々は、人の思いでイエス様に十字架にかからないように諌めたペテロに似ているのじゃないでしょうか。イエス様はあの時、ペテロに言いました。「さがれサタン、あなたはわたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と激しく言われました。

イエス様の十字架の敵はこのピリピの3章18節〜19節によると、地上のことを思っている人々のことを言います。私たちは十字架に敵対しているなのでしょうか。それとも、私たちは神の国とその義とをまず第一に求めているなのでしょうか。

パウロはからだを伸ばして走るようになりました。どうしてでしょうか。言うまでもなく、救われるためではない、地上における名声のためでもない、また自分の持ち物を得ようと思ったからではない。パウロはからだを伸ばして走ったのは、奉仕の結果のためでもなかったのです。パウロは驚くほどイエス様に祝福され、すばらしいご奉仕をしました。しかし、ご奉仕の結果がパウロの目的ではなかったのです。

パウロは今ローマの牢獄でピリピにいる兄弟姉妹に手紙を書き送っています。パウロはそのご奉仕の大部分をもうすでにその時終わっておりました。しかもなお、ただこの一事に励んでいます。すなわち「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進む。目標目ざして一心に走っている」と彼は言っています。多くの人々はパウロの奉仕によって救われ、また彼の力に満ちた奉仕によって、人々がたくさん救われていました。けれどもパウロは奉仕の結果を目標にはしていませんでした。

私たちも奉仕の結果を最後の目的にするならば間違っています。誤りです。ある人は奉仕と言って、奉仕に熱中しています。けれども、もし病に倒れて何年間寝たきりにならなければならないとするなら、いったいどうでしょう。必ず絶望してしまいます。もし他の人々は奉仕できる環境にあるのに、自分はできない、他の人々だけ豊かに祝福されて自分は祝福されない、そのような時はいったいどうでしょうか。もちろんイエス様は私たちが真実を尽くして奉仕することを願っておられますけれど、奉仕そのものがまことの妨げとなるならばほんとうに悲しいことなのではないでしょうか。 使徒行伝の20章24節パウロは次のように証しました。エペソの長老たちの前の証です。

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

それでは、ここまでパウロが求めていた報いは何でないかを見て来ましたが、最後にパウロが求めていた報いとはいったい何だったなのでしょうか、について考えてみたいと思います。まずパウロが求めていたのはただ主の誉れです。まことの報いを求めてひたすら走る者は信者や他の人々の栄誉を求めないで、ただ主ご自身の誉れを求めて走ります。ダマスコの途上、よみがえりの主イエス様がパウロをとらえられた時、主は一つの目的をもってパウロを回心させ、主のしもべとしてご奉仕をするために救ってくださったのだと思ったにちがいない。

今パウロは何年もの間ご奉仕を続けた後、囚われの身となってローマの人屋(獄)につながれています。ピリピの兄弟姉妹に手紙を書き送っています。目に見える伝道のご奉仕は大体終わったというのに、彼はなお目標を目ざして走っていると書き送っているのはどういうことでしょうかね。御霊は絶えずパウロを前の方に追いやってこのように言わざるを得なかったのです。

主ご自身はパウロよりもっと大きな関心をもってこのまことの目標を達成しようと願っておられました。だからパウロをして目標目ざして励ましめたのであります。問題は、私たちが満足することではなく、主が満足されることです。また、主は私たちが主の示す目的だけに向かって邁進するのを願っておられま す。その時はじめて主は満足なさいます。

パウロの著しい特徴は、ただ主を喜ばせるためにすべてのことをした、と言うことです。回心の時に、もうすでに、彼は「主よ、私はこれから何をしたらいいなのでしょうか」と主の御声に耳を傾けて、それに聞き従いました。パウロは生涯、主の指図どおりに動いていたということです。パウロの生涯、主の指図どおりに動いていたということとはほんとうに恵みそのものです。ですから、主はパウロに御自分の目的を上から教えられました。だからパウロは、まことの目的を知っていたから、ただひたすらにからだを前に伸ばし、それを目ざして前進しました。けれど、この主のご目的とはいったい何だったでしょう。

(続きは明日です。最後に述べられるこの主のご目的こそ、振り返って見ると同じ日曜日に全く別の地で礼拝を持っていた私たちに別のメッセンジャーが示された眼目でもあったような不思議な思いにさせられるのです。キリスト者には時空を超えて同じ血が流れているとしか言いようがありません。)

2013年10月7日月曜日

目標を目ざして一心に走る(起)

結婚式場コーナーの飾り花 2013.10.5
今の読んでくださった箇所(引用箇所:ピリピ人への手紙3・12〜21)は皆さん何回も何回もお読みになった箇所ではないかと思います。どこで、このことばが書かれたかと言いますと、刑務所の中(です)。それを考えると、すごいとしか言えないのではないでしょうか。わたしは目標(を)目ざして走っている、のんびりして何とかなるなのではない。彼ははっきりとした目的を持っていました。イエス様の救いにあずかり、イエス様のものになったということは、これを見ても、戦いの中に自分の身を投じ込んだことを意味します。この戦いに勝つために全力をあげて走らなければならない、それほど激しい戦いです。パウロは別のところで信ずる者の生涯を「競技者」にたとえています。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

とコリント第一の手紙9章24節にあります。ヘブル書の著者も同じようなことを思ったにちがいない。

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

ヘブル書12章1節ですね。そして使徒行伝の中でパウロは告白することができました。使徒行伝20章の24節。

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

パウロは人を喜ばせよう、と思わなかった。心からそう思って告白しました。こういうことばを読んで参りますと、信仰の競争を走り抜くには、まつわりつく色々なものを捨てなければならないことがわかります。それは思い煩いである場合もありましょう。憂鬱な気持ち、不信仰、人を恐れる恐れであるかもしれません。また十字架を負うことを拒むことであるかもしれません。

パウロの目指した「目標」「報い」とは、もちろん普通の考えられる救いではなかったのです。なぜなら、パウロはその時すでに救われ永遠のいのちを持っていると確信したからです。パウロは自分のわがままは赦され、忘れられていることも確信し、喜びの声をあげることができたのです。パウロの目ざした目的とは、今話したように、普通の考えられる救いではなかった、それから、言うまでもなくパウロは地上における名声のために目標を目ざして走りませんでした、とはっきり言えます。パウロは生きている間に、もうすでにイエス様のものになっただけではなく、すぐれた人として動かすことのできない名声を獲得していました。そして異邦人に対する使徒としてすべての人に認められていました。しかし、パウロは一度も他の人々に認められたいなどと思ったことはありませんでした。

パウロの時代には自分の栄誉のために働く人々がおりました。これらの兄弟姉妹はねたみや闘争心に、また党派心や虚栄からイエス様を宣べ伝える人々だったと聖書は言っています。パウロの時代にはそうでしたが、この末の世ではなおさらそうではないでしょうか。

信ずる者の中にも、「認められたい」という願いが働き、何とかして信用を得よう、名声を博し、大いなる者と称えられたくて働く人々ももちろんいます。イエス様に出会った者は、はじめイエス様によって救われた時、喜びのあまり自分の持っている物はみなすべてイエス様にささげ、イエス様に仕えたい、この世の名声とは問題ではないと思ったことがあるはずですけれど、そのうちに名誉心が頭をもたげて、自分は何かになりたい、認められる者になりたいと思うようになります。口では、主にすべてをささげて、主に仕えていると言いますが、実際は人の誉れを求める人々がいるなのではないでしょうか。もし人の誉れを求めているなら、肉においては己を喜ばせ、当たり障りのない楽な生活をすることができるでしょうけれど、パウロのようなただ神の誉れを求め、上のものを目ざして走ろうとする者はいろいろな困難が降り掛かってきます。

パウロの証をちょっと見てみましょうか。294頁になります。コリント第一の手紙4章9節から13節までをお読み致します。

私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。 

パウロの目ざした目標はもちろん罪の赦しではなかった。もうすでに赦された、自分の罪はもう永久的に忘れられていることを彼は確信していました。またパウロの目ざした目標は地上における名声でもなかった。パウロの目ざした、走っていたものは、自分のものではありませんでした。自分の持ち物を少しでも多く持とうという願いは、若いころのパウロの願いだったのではないでしょうか。彼は知的にも人よりすぐれようとし、非常な努力を致しました。ピリピ書、353頁。ピリピへの手紙の3章5節6節をお読み致します。

私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。 

間違った自信に満ちたものでした。彼は若いころ持っていたこのような霊は天からのものではありませんでした。したがって天の報いとは少しの関係もありません。

(昨日午前の吉祥寺の福音集会で語られたベック兄のメッセージの録音を夜インターネットで拝聴させていただき、聞き書きしたものである。時ならず、私は昨日年少の友から9つのみことばをプレゼントとしていただいた。そのみことばは全くこのメッセージの結論と同じであった。日本人の宣教のために60年に渡って尽くしておられるベック兄とこの年少の友が指し示したみことばとの不思議な一致に私は深い霊的感動を覚えさせられている。)

2013年10月3日木曜日

美しい日本 パゼット・ウィルクス

2013.10.2 新宿センタービルから※
五月四日(モスクワ)
 ベルリンで静かな日曜日を過ごした後、私たちはモスクワへと急ぎ、ロシア国境の町アレキサンドロポに深夜着きました。ここで旅券や通関の煩雑な手続きを済ませましたが、ロシアの役人のことばが全く理解できない上、あまりの騒々しさに私たちは疲れ果てました。
 モスクワでは英国海外聖書協会のニーダーさんが、親切に私たちのめんどうを見た上、市内を案内してくれました。クレムリン宮殿、ナポレオン戦争の戦利品の大砲の列、博物館、陽に輝く教会の金色の尖塔など、みな興味深いものです。しかし、アテネでパウロが感じた心の憤りを(使徒17・16、17)、私たちはここで体験しました。悲しくも意味のない迷信が至る所で見られ、頭を垂れ、十字を切り、聖画に口づけし、遺物を礼拝する人々の姿が、私たちの目に悲しく映りました。
 教会は、市場と何の変わりもありません。案内人たちはチップをもらうために、教会の特別礼拝を執拗に勧めるのです。

(中略)

五月十二日(ハルビン)
 私たちは、数ヶ月前伊藤公爵が暗殺されたプラットホームの現場を見ました。伊藤公は偉大な人物ではあったが、悲しいことに神とは全く無縁の人でした。その上、うわさによれば道徳性についても問題があるとのことです。されば、地上の偉大なる者よ去れ。有能な政治家として彼が見事に統治した日本と朝鮮にとっては、彼の死は大きな損失です。しかし「天の万象は焼けて崩れ去り」、義だけが住む天と地とを神が創造される日、彼にとっても、その国民にとっても、彼のしたことはいったい何の役に立つというのでしょう。

五月十七日(日本・敦賀)
 シベリアのまだ春を迎えない森林の中を、十日間の旅を続けて来た目には、日本の山の緑滴る景色は美しいものでした。一つの詩が私の心に浮かびました。

 アジアの沖、大洋のただ中に、
 不思議に美しく輝く島国が横たわる。
 アジアの山々に日の光が届く前に、
 日本の島には朝日が照り輝く。
 日の出の輝きを最初に捕らえる、
 朝の島、美しい日本。
 美しい日本、美しい日本。
 朝の島、美しい日本。
 美しい日本、美しい日本。
 ただキリストだけがあなたを救うことができる、
 美しい日本よ。

 一年半前、私が敦賀からウラジオストックへ渡ったとき、三十六時間の予定が三十時間も遅れ、船は台風にあってスクリューが折れ、安全に陸地に着けるとは思えませんでした。しかし今度は、日本海は湖水のように静かでした。神よ、私たちはあなたのみ恵みをたたえます。

 あなたは荒れ狂う海に命じ、
 海の面を静められる。
 あなたは眠っている海を逆巻かせ、
 逆巻く海を眠らせる。

(『パゼット・ウィルクスの日本伝道日記』安倍赳夫訳1978年刊20〜25頁より抜粋引用。宣教師パゼット・ウィルクスは1897年から7度日本にやって来たが、これは1910年ロンドン、ベルリン、モスクワを経由してきた時のものであり、同書はその二年三ヶ月の日記である。※昨日は関東地区で虹が各所で見られた。ダブルレインボウも見られたと言う。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。創世記9・13

2013年10月2日水曜日

『なんだベア』おのぐちひとし著 日本文学館 

表紙絵も著者
錦秋の候、到来である。先週著者より、表題の本の進呈を受けた。ここ数年お会いしていない。年賀のやりとりだけは欠かさずしている間柄である。

著者とは20数年前私が障害者のための自動車教習所を訪れた時初めてお会いした。そこには自らの行為により障害を負った教え子が入所していて、確かクリスマスをともに祝おうとして出かけたときだったように記憶するが、私と教え子の様子を遠巻きに眺めていた若い青年がいた。それが著者であった。そののち4年ほどしてこのふたりは結婚に導かれた。

その時、著者が書いた結婚への決意を披瀝した文章を私は今も大事に保管している。原稿用紙にして6枚の文章である。彼は脳性小児まひのために手足、言語が不自由である。しかし、その原稿用紙は香り高い文章とともに筆者の力強い健筆ぶりを今も示していて、私には容易に捨て難くなっている。その末尾で彼は次のように書き記している。

「今、結婚を前にして、4年の月日を思うとき、決してどちらか一方が先導し続けて来た道程でなかったように思う。全く、助け合いそのものの道程であり、だからこそお互いをよく知り合えたのだと思う。これからの結婚生活においても、私たちは、そうでありたいと思っている。結婚生活というものは、二人で築き上げていくものであって、どちらかが、つくろったのでは、砂上の楼閣の如しだと思うのである。だから私達は、いつでも話し合っていたいと願っている。そして歳をとって、お爺ちゃん、お婆ちゃんになった時、のんびりと縁側に座って、昔話をしてみたい。そんなことを思っている私に、また、神が言われた。『あなたがたは、もはや二人ではない、一人である』と。」

2003年から、著者は語り部としての学びを続けられたと言う。ちょうど今年で10年経つから、その成果が一冊の本になったのだろうか、著者の長年の願いが実を結んだのだと思う。

話は、山の食べ物がなくなった熊たちが、人間を相手に一致団結して、里山の栗林からの採集に成功し、ゴンドラで栗を運搬するという奇想天外の物語である。登場人物として五郎熊、サン太熊、長老熊はじめ様々な熊が登場するがそれぞれ人様顔負けの所業の持ち主ばかりで里山の人間の裏をかき、追いつ抜かれつの所業の末、20年来の宿願を果たすという筋立てである。

すべて親しみやすい方言に満ちており、声に出しても調子いい内容である。その中には戸隠あり、甲賀あり、土浦あり、猿飛佐助や「なりこまや」の呼びかけあり、著者の日頃の芸事たしなみが文章の端々にあらわれて楽しい。さしずめ、圧巻の一つは次の箇所であろう。

五郎とサン太はわざわざ鉄砲たちに気付かれる様に、見通しの良いところを、ジグザグに走った。

ズドン、ズドーン。ズド、ズドーン。ドン。ヒュー〜。

鉄砲たちが、一斉に火を噴いた。

ズドズドズッドーン。ドン。パラパラパラパラララララ。
ズッドーン。ドン。パラパラパラパラ・・・・。
ズーズドン。パラパラパラパラ。
ヒュー〜、ズドー〜ン、ドン。パラパラパラパラパラパラパラパラ

夜空に、見事な花火が! 花火が浮かび上がった。

「たまや——————————————————」
「さるとびや—————————————————————」
山の中腹辺りから、まず声が掛かって、間髪入れずして、栗林辺りから声が掛かった。何とも絶妙のタイミング。もし、歌舞伎で、これだけの大向こうからの声が掛かったら、さぞや役者はものすごく気持ちいいことだろう。現に花火も気持ちよさそうに、次から次へと上がっている。

「うわ〜花火だあ、綺麗だな—それにまるで昼間の様に明るくなって栗が良く見える。あっははは、採り放題だ、こら」
なるほど、栗林は、まるで夜間照明が有るかのごとく照らし出されている。

(同書 壱拾五 けがのこうみょう 冒頭の文より)

こんなに楽しい作品ではあるが、私には一点物足りないところがあった。それは「福音」の欠如である。今後著者がそのような作品をものされることを期待している。

狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(イザヤ書11・6〜9) 

2013年10月1日火曜日

真夜中すぎ(最終回) ポーロ・B・スミス

そばの収穫、夏  ミレー
神の御霊の働きを拒んでいる限り、その人は自分の心のまわりに反抗の壁を築き上げていることになり、そのうち彼の心は、もはや変えることができないほど、頑固で無神経なものとなるのです。そして、ついに最後の「いいえ」を言い、それっきり「はい」とは言わなくなるのです。

私は神の御霊が、われわれの生涯に境界線をお引きになるとは思いません。しかしわれわれが、主イエス・キリストを常習的に斥けることにより、みずから境界線を引くことができるものと、固く信じています。

あなたは言うかもしれません。「しかし、私が神に向かって最後の『ノー』を言ったことを、どのようにして知ることができるでしょう。あるいは私は、自分の生涯に境界線を引いたため、すでに機会をなくしているかもしれません。また私の心は、神の御霊の訴えに対して余りにもかたくなになり、かつ無神経、無頓着になったため、もはや私の心がやわらかくされて神に立ち帰ることは、あり得ないかもしれません。しかし、境界線が引かれたのはいつであるか、どのようにして知ることができるでしょう。」

あなたの心はかき立てられるでしょうか。少しでもあなたは、関心を持っているでしょうか。認罪をもたらす神の認罪の力が、多少でも存在している証拠があるでしょうか。あなたは魂の救いに関して、少しでも気をつかっているでしょうか。もしそうであったら、あなたはまだ境界線を踏み越えていません。関心があり、気づかいがあり、なんらかの渇望の印があるなら、まだ遅すぎないのです。

聖書はまだ「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」(使徒行伝2・21)と読むことができます。もしあなたが今日、救いを求めて主を呼び求めるだけの関心があるなら、あなたは救われるのです。聖書は「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」(ヨハネ6・37)と言っています。もしあなたの側に、主のみもとにくるだけの関心があるなら、あなたは拒まれることはありません。神はあなたを受け入れ、あなたを御自分の子どもにしてくださいます。しかし、あなたが救われるために、今主の御名を呼び求めるように、せつにお勧め致します。神の子どもにしていただくため、今主のみもとにいらっしゃい。そして、このメッセージが語られている時にも、主を救い主として受け入れることを拒み、またもや神に向かって「ノー」を言い、このことによって、あなたの生涯に境界線を引き、夜中の時刻が鳴るのを用いて外に取り残されぬよう、心してください。

いつの日か、あなたが神との正しい関係に入る機会は、打ち切られてしまいます。あなたが祝福の喜びと神の御前における満足をもって永遠の中に案内されるか、それとも泣いたり、叫んだり歯ぎしりしたりしなければならない外の暗黒に投げ入れられるかは、あなたが夜中の前になす決心にかかっているのです。

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』 と言った。しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。(マタイの福音書25・1〜13)

刈り入れの日があります。しかし、刈り入れが終わりを告げる日もあります。機会に恵まれる夏の時があります。しかし、夏が過ぎ去る時もあるのです。あなたが夜中すぎまで外に取り残され、刑罰の宣告を受けて地獄にいる者らとともに、永遠の暗黒の中から、「刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。それなのに、私たちは救われない」(エレミヤ8・20)と絶望の叫びをあげないように、あなたが夜中前に扉の中に入ることを、神が許されるように。

(『真夜中すぎ』15〜17頁より引用。主を受け入れることに関して、自分自身の経験を振り返って見ると、最初から「ノー」と言って、自ら境界線を引く力は強かったように思う。しかしほぼ三年半の抵抗のうちに、いつの間にか主を受け入れていた。もしそれがなかったら、というのは今日それから40数年が経つのだから、主を受け入れることは私にとってより困難になったただろう。かたくなであり、心をセメントにも等しきもので固めていたあの若き時に主を受け入れることができたのは主のあわれみとしか言いようがない。もっとも主にとっては、人が老年に至るまで主に対していかなる境界線を引こうとも、主の愛は変わらないことを、私は自分のまわりにいる、救いを経験したたくさんの高齢者の方々の証を通して今も日々教えられている。「やみと死の陰に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったのである。それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれた」詩篇107・10〜16。)