道端にすわっていた、たった一人の盲目の乞食。けれども、ナザレのイエスは彼が叫んだとき、お立ちになったままだった。その乞食は群衆をかきわけて手探りで近寄ることができなかった。しかし、イエスは乞食に命令された。近くに連れて来てもらうように。主はなぜその貧しい男が叫び出したかをご存知であったが、主は彼に話させたかった。そこで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」と。
その中にすばらしい約束を包むすばらしい主の問いだ!なぜなら 、神様の権能ある御子はこの貧しい盲目の乞食が求めていることは何でもなさる用意があったからである。彼はどのように求めたか。先ず何よりも彼自身が最も求めたということだ。彼が求めなければならないと考えたことでなく、誰かが彼に求めるように教えたことでもなく、他の人が求めたことでもなく、ただ彼が求めたことであった。
次に彼はすぐに奇跡を求めた。ふさわしいかどうか、ナザレのイエスはどのようにそれをするのか、あまりにも大仰なことので直ちに求められないかどうか、人々が彼を大胆過ぎると考えるかどうか疑問をもって立ち止まりはしなかった。彼は自らが求めるものを知っていて、ナザレのイエスができることを信じていた。だから求めたし、それで十分だった。
おお、やさしいお方。
おお、権能あるお方、決して追い払われることがない
罪人や悩める者を、あなたは今日でも同じお方だ
愛においても、力においても同じ、
あなたは依然として待っておられる
愛においても、力においても同じ、
あなたは依然として待っておられる
身許に来る多数の人々をいやすために。
そうだ「思う者は」(マタイ16・25)来たれ!
そうだ「思う者は」(マタイ16・25)来たれ!
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-31-ready-to-do-what-is-most-needed/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97255です。
4章 ただあなたのために(5)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
1872年には登頂する彼女がスノードン※の山頂にいることを知る。彼女に言わせるとウエールズはスイスと比べて「バラのそばの忘れな草」ほど劣ってはいない。彼女のお気に入りの山の句は「おお、主よ、私たちはあなたに感謝をささげまつる。あなたのお名前近くあるものは、あなたのすばらしき作品であることを宣言しています。」※イングランドとウエールズの境にある山
1873年にはフランシスは再び彼女の愛するスイスに今度は友だちであるスネップ夫妻と彼らの娘のエミリーと一緒に戻った。ちょうどこの訪問の間に彼女の高揚せる精神と体活動の喜びはあわや悲しむべき大惨事に導かれそうになった。彼女は凍れるスロープをすべり、折にかなって慎重さが必要な興奮をもたらす「制動滑降」に完璧な情熱を燃やしたが、彼女とガイドは底なしの断崖に真っ逆さまに落とされたのだ。二人のいのちを救ったのはスネップ氏の沈着冷静さであった。
1874年にはスイスがフランシスの姪と他の友人たちを仲間に加えての彼女の再び再訪問の地とされた。「ファウホルンの日没」ということばの絵はこの旅路の期間、故郷に「回覧する手紙」の逸品となったが、余りにも長文なのでここに引用するわけにはいかない。
※昨日、読み終えた本の表紙絵である。一人でも多くの人にこの作品を読んでいただきたいと思わずにはおれなかった。2012年に亡くなった囚人写真家ポーランド人ブラッセのアウシュヴィッツ収容所内の生活を再現したノンフィクションの作品である。最後の最後、この本が記す次の言葉は重い。「善良の神だろうと写真家だろうと、一人の女を心の底から幸せにはできないということを忘れてはならない」。しかし、敢えて言いたい。聖書の神は「思う者は」〈マタイ16・25〉「来たれ」と今日も呼びかけておられる。)
4章 ただあなたのために(5)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
1872年には登頂する彼女がスノードン※の山頂にいることを知る。彼女に言わせるとウエールズはスイスと比べて「バラのそばの忘れな草」ほど劣ってはいない。彼女のお気に入りの山の句は「おお、主よ、私たちはあなたに感謝をささげまつる。あなたのお名前近くあるものは、あなたのすばらしき作品であることを宣言しています。」※イングランドとウエールズの境にある山
1873年にはフランシスは再び彼女の愛するスイスに今度は友だちであるスネップ夫妻と彼らの娘のエミリーと一緒に戻った。ちょうどこの訪問の間に彼女の高揚せる精神と体活動の喜びはあわや悲しむべき大惨事に導かれそうになった。彼女は凍れるスロープをすべり、折にかなって慎重さが必要な興奮をもたらす「制動滑降」に完璧な情熱を燃やしたが、彼女とガイドは底なしの断崖に真っ逆さまに落とされたのだ。二人のいのちを救ったのはスネップ氏の沈着冷静さであった。
1874年にはスイスがフランシスの姪と他の友人たちを仲間に加えての彼女の再び再訪問の地とされた。「ファウホルンの日没」ということばの絵はこの旅路の期間、故郷に「回覧する手紙」の逸品となったが、余りにも長文なのでここに引用するわけにはいかない。
※昨日、読み終えた本の表紙絵である。一人でも多くの人にこの作品を読んでいただきたいと思わずにはおれなかった。2012年に亡くなった囚人写真家ポーランド人ブラッセのアウシュヴィッツ収容所内の生活を再現したノンフィクションの作品である。最後の最後、この本が記す次の言葉は重い。「善良の神だろうと写真家だろうと、一人の女を心の底から幸せにはできないということを忘れてはならない」。しかし、敢えて言いたい。聖書の神は「思う者は」〈マタイ16・25〉「来たれ」と今日も呼びかけておられる。)