2016年3月10日木曜日

一時的でなくとこしえに

主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。(1歴代誌29・18)
 
 守られるべきものとは何だったのでしょうか。それは神様がすでにゆだねられたものです。なぜなら最初にそこに置かれるまでは、あなたはいかなる場所においてもひとつのものさえ維持できないのですから。

 民は王の「きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。」(5節)という訴えに答えました。この奉仕のあらわれとして民はすすんで喜んで主にささげました。彼らがささげたものは全部主のものでした。「御手から出たもの」(14節)でした。

 それでダビデ王は民が「このようにみずから進んでささげ」(14節)られるものは全部主のものであることを知っていたのです。この献身と喜びのすべては一日だけのものだったでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。ダビデ王は大きく御霊に満たされて私たちだけが霊的ないけにえをささげるまことの王であり、執り成し手であるお方を予兆して「主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。」(18節)と祈っています。

我が主よ、あなたはまことに私を覚えておられるのでしょうか
だから忘れません
おお、あなたのやさしさはいつまでも
あなたのとこしえに続く愛は今日も
甘美なとこしえの思い出の中で
私をじっと見つめ
私の愛を呼び覚まし、私のいのちを讃美へと引き上げてくださいます
あなたは「私はあなたを覚えています」という信仰をくださったからです

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-10-not-for-time-but-for-eternity/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97234です。今日の詩の個所も好い加減な訳である。彼女の詩想を日本語に置き換えるのは至難である。それに比べると散文はふんだんな聖書語句が引用されているので訳しやすく恵まれる。これもひとえに彼女が聖書本文を暗唱していたから可能だったのだ。この彼女に類稀な才能を与えられた主をほめあげたい。

第2章 光彩(15)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスにとって一日に三回プライベートに祈るのが習わしであった。彼女は自分の聖書に一枚の紙を挟んでそこに注意深く整序した祈りの時間のそれぞれの主題を書いていた。早朝のデボーションの主題は主に霊的な賜物や恵みを求めたものであった。それに対して夕べのものは赦しや自らの罪深さを眺めてのものであり、朝の眠気の特別な弱さに抗するものであった。それは彼女の繊細な健康状態や休息の必要がそうさせるものだったからである。彼女が賢明にも夕べの祈りを自らの働き過ぎる傾向に抗する祈りに代えていたら、価値あるいのちはあるいは延ばされたのかもしれない。実のところ、彼女は弱い体を最大限に酷使していて、昔からのやさしい召使やまた疑いもなくたくさんの彼女を愛する人々を悩ませていた。というのは彼女は朝食が始まるずっと前にラテン語の本に取りつくは、半端の時間を惜しんでは仕事や勉強のために使い切っていたからである。
 だから彼女がしょっちゅう健康を壊し、「寝たっきり」になって怠惰な状態におかれることは自然の成り行きだった。せいぜいそれがいのちが引き受けなければならない憐れむべき状態だったのだ。) 

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