王様ご自身は王であることを隠して少数の忠実な従者と一緒に歩かれたが、従者たちの多くが帰ってしまい、もはやそれ以上歩かなかったということからすれば、より適切に言えば、来ることがつき従うことになるということは当たり前のことではないと言える。
しかし、主の側からは、怒りや非難のことばは一語もなく、ただ主のやさしいくちびるから洩れ出た、限りない心の思いがあっただけである。 「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」(ヨハネ6・67)
今日、私たちの耳にこの声を鳴り響かせましょう。もっとも真実な心からする忠誠と奉仕をさせまいとする誘惑の瞬間だけでなく、日ごとの仕事の全時間を通しても。 私たちのあまりにも安易な休息から積極的な進軍へ進ませ、遠く離れて従って行くのでなく主のあとにすぐ従って行き、私たちが「ダビデよ。私たちはあなたの味方。」という祝福された確信を、より大胆にまた高潔に「エッサイの子よ。私たちはあなたとともにいる。」(1歴代誌12・18)と言えますように。
あなたを信頼し、あなたのもとに憩います、
ああ親愛なる我が救い主、祝福された贖主。
地上に友なく、兄弟もなし、我が弱さ、我が欠乏、
我が悲しみを知る者は一人として。
私はあなたに呼ばわります、すべてをご存知のあなたに。
ああ親愛なる我が救い主、祝福された贖主、
あなたを信頼し、あなたのもとに憩います。
我が悲しみを知る者は一人として。
私はあなたに呼ばわります、すべてをご存知のあなたに。
ああ親愛なる我が救い主、祝福された贖主、
あなたを信頼し、あなたのもとに憩います。
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-4-cleaving/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97228です
第2章 光彩(10)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
もちろん私たちの目下の素描の主題は一人の熱心な日曜学校の教師にあった。フランシスは彼女の日曜学校の生徒について日記のようなものをつけていた。彼女が大層愛した子どもたちについてであったが、日付が1846年から1860年に置かれているように、彼女が最初から、すなわち9歳から10歳の時にその教師としての立場をかなり責任あるものとして受け取っていたことをあらわしているものであろう。この年頃にあって幼い生徒を導こうとする人々の中で継続的に増進させる成果をおさめていたとは信じられないようにも思えるが、別の例では、近隣における小さな村々で、かなり早い年齢のもとで、その年ごろのよく訓練されたこども、特に聖職者の娘たちが教え始めていることが言及されていた。
※久しぶりに古利根川の土手を歩いた。様々な水鳥が足繁く川を行き交う。桜並木の中でこの一木だけが赤い蕾を見せていた。「水鳥に つき従いて 川歩む」)
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