2018年12月14日金曜日

山中氏を尋ねて(4)

子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。(1ヨハネ5・21)

 以下は雑誌「いのちのことば」1962年3月号に載っていた座談会の記録の抜粋である。座談会は「死と死後の問題」というテーマで山中氏をふくむ二人の有識者に三人の方(教師、神学生※、大学生)が日頃の疑問をぶっつけるという形で展開している。話はそれぞれ、「死とはどんなものか」、「信者の死後と未信者の死後」、「葬式・祖先崇拝に対する態度」と進んでいく。その中で主に山中氏が助言しているのは「葬式・祖先崇拝に対する態度」の項目だ。「 」の部分が山中氏の発言記録である。

身内のだれかがなくなって、お葬式に行かなければならないことにぶつかりますが、いろいろな問題があると思うのです。おじぎ、焼香、お供え物など、こういう儀式に参加していいかしらと。

「私どもは、死んだ人の中には何かがあるような気持ちになりがちです。だから死体の前に行って『だれだれ先生あなたは私を導いて下さいました』とか言っておじぎをしたり、もう食べられないものを供えたりしますが、魂が肉体から去って行ったもの、これが死んだからだです。空き家になった家へはいって『やあ先生、きょうは先生にお別れにまいりました』と言ったり、食べものを置いて行ったりするのはへんではないでしょうか。」

私どもなんか、ご父兄にご不幸がありますと、告別式とかお葬式に出席しなければなりません。私はクリスチャンだから行きませんというわけにはいかないので、非常に困ります。

「キリスト教のお葬式に出席する場合は別ですが、問題なのは、仏教のお葬式に行く場合ですね。
 香をたくことは、偶像に対することです。そのことは、旧約聖書のエレミヤ書第44章の5節に『彼らは聞かず、耳を傾けず、ほかの神々に香をたいて・・・』、また8節にも『なぜあなたがたはその手のわざをもってわたしを怒らせ、あなたがたが行って住まうエジプトの地でほかの神々に香をたいて自分の身を滅ぼし』、あるいは17節に『わたしたちは誓ったことをみな行ない、わたしたちがもと行なっていたように香を天后にたき、また酒をそのまえに注ぎます』とあります。この天后とは天のクイン、月のことであり、月をおがみました。酒を注ぐとか、香をたくとか、その他いろいろなことは偶像にするところのものです。」

偶像というのは

「唯一の真の生ける神のほかに人間が何かを神とするものであり、また神に並べて何かをつくるものです(出エジプト20・3、23)偶像礼拝というのは造り主の神のほかに、この造られたものをおがむことです。これに対して神は明らかに『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない』(出エジプト20・3〜5、申命記5・7〜9)とおおせになっています。『ひれ伏す』という原語を英語訳聖書では『頭をさげる、敬礼する』と訳しています。ですから、偶像に対して礼拝はもとより、いかなる奉仕、行事もしてはならないのです。」

祖先崇拝は、どうして偶像礼拝になるのでしょうか。

「祖先を拝することは、被造物をおがむことで、これは偶像礼拝なのです。ローマ人への手紙1章23、25節を見てもわかりますように。」

「私どもは仏教の葬式には出席しないことにしております。むろん親しい関係の者が死にました時にはおくやみにもまいりますし、遺族のかたを慰めたりして、できるだけお手伝いはいたしております。しかし、やはり近い身内の者とか友人関係になりますと、葬式に列席しなければならないこともあります。けれども仏教の葬式に列席しても、決して仏教の儀式には関係しません。聖書に明らかに『汝、偶像に遠ざかれ』と書いてありますから」

「いつでも、その時その時にどうすべきかは、やはり祈りをもって神様の導きを待つほかありません。ただはっきり保っていきたいのは、どこまでもこの世に対してあかしすべき立場にあるということです。キリストにつける者だということです。ここ4、5年ほど前だったと思いますが、私の家は京都の非常に古い家で、本家、総本家など軒を並べているのですが、総本家のおばあさんがなくなったのです。本家分家の関係で私もどうしても行かねばならなくなって、弟といろいろ相談しまして、薬のほうの専門の弟が全部湯灌をしてやりまして、ちゃんと着物を着せ、それからふたりで棺に入れて母屋のほうへ移しておいて、『私どもはクリスチャンですから、そういう仏教の葬式または儀式にかかわることはできませんから』と言って帰ってきたわけですけれども、葬式の日には出ないということもできないものですから、未信者のいとこたちに『ぼくはクリスチャンだから表であいさつだけはするから、他のことはきみがやってくれ』とたのんで表から来る五百人ばかりの人にあいさつをしました。」


 こうして、読んでいくと、京都の神官の出である山中氏が生涯、守り通し、証した生活の実際がどんなものであったかがよくわかる。なお編集者は、山中先生には「キリスト者の昇天の前後」および「キリスト教信仰と異教的習慣」という著書があります。と書き加えている。お目にかかりたいものだが、もはや無理だろう。でもこの座談会で私の願い「山中氏を尋ねて三千里の旅」は了としたい。

※実はこの座談会に出席している神学生は田辺正隆さんであった。田辺さんは2016年8月23日に召されたドイツ人宣教師ベックさんから、ベックさんの来日当時ドイツ語の手ほどきと信仰を受け継いだ。一方、ベックさんは田辺さんから日本語を教わったと言う。ベックさんの流暢な日本語の言い回しには田辺節もあるのだろう。『光よあれ』4集332〜333頁にそのことが触れられている。

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