『クリスチャンの希望』39頁 |
今日掲載した写真は『クリスチャンの希望』のものである。いったいこの図は何をあらわすか、以下は著者山中為三氏がつけられた注釈である。
(A)イスラエルがキリストを殺すまでの歴史をしめします。(使徒2・22、23、使徒3・13〜15、使徒10・36〜39、使徒13・16〜29など)
(B)キリストのご昇天をしめします。(ルカ24・51、使徒1・9、10、使徒2・33など)
(C)いまのめぐみの時代、すなわち神が教会をあつめていられる時代をしめします。その前に、アベル、ノア、アブラハムなどの信者はありましたが、これらはいずれも個人的に救われた聖徒であって、御霊によってキリストと一つからだにされた教会ではありません。(第1コリント12・12、13、エペソ1・22、23、エペソ3・6など)
(D)めぐみの時代のおわりに、キリストが空中までくだって、教会をとりあげなさることを示します。(第1テサロニケ1・10、1テサロニケ4・16、17)
(E)刑罰の時期、すなわち、この地上にさまざまのおそろしい事件がおこる時をしめします。(黙示録第6章以下)ダニエル書にある70週の最後の1週、7年がこの時代にあたります。後半の3年半は「大きな患難」のときです。(マタイ24・21、エレミヤ30・7など)
(F)黙示録第4、5章にあるように、教会がとりあげられたのち、キリストと共にふたたび地上にあらわれるまで、天において礼拝讃美しているときをしめします。「小羊の婚姻」(黙示19・7)もこの時におこなわれます。
(G)主が雲にのり、権威と栄光とをもって、聖徒とともにこの地上にあらわれなさることをしめします。(ゼカリヤ14・4、5、マタイ24・30、マタイ26・64、黙示1・7、黙示19・11〜16など)
(H)千年王国時代です。(イザヤ60〜62章、黙示20・2〜6など)
(I)千年ののち、サタンがしばらく解き放されることをしめします。(黙示20・7〜10)そして天地はうせ去り、最後の大審判(大きな白い御座の前における)が行なわれます。(黙示20・11〜15など)
(J)新天新地をしめします。(第2ペテロ3・13、黙示21・1〜4)
以上キリストの再臨についてすこしばかり聖書に基づいて書きました。もちろんその教理を知ったばかりでなく、実際に主の御愛心を知らされ、神のご計画を示されて、いまかいまかと主のおいでを待つべきです。現在のユダヤ人の行動、ヨーロッパの動静、世界のうごきは聖書のみことばを成しとげつつあります。わたしたちはこれを知らされて、おごそかな感にうたれます。しかしそれにも勝って「見よ、わたしはすぐに来る」という愛する主のみことばを信じ、目をさまして、そのおいでをまちのぞむべきであります。どうか、日夜このみことばを思って「アァメン、主イエスよ、きたりませ」と心の底からお答え申しあげたいものです。
(『クリスチャンの希望』39〜42頁より引用。明日から山中為三氏にちなむ話を展開したい。乞う、ご期待。)
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