2018年12月2日日曜日

クリスチャンの希望(7)

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。(1コリント15・51)

 すでに書きましたように、教会のための「空中携挙」は奥義(第一コリント15・51)で旧約聖書には示されていません。「地上顕現」は預言の問題で旧約にはかず多く記されていますが、いま創世記第24章から、キリストと教会のこと、そして空中でお目にかかるところをにおいて学ぶことにします。

 ここはアブラハムがそのひとり子イサクのためによめを求めるところです。これは父神がひとり子キリストのために教会(新婦)を召しなさることを教えています。リベカ(教会の型)がアブラハムのしもべ(聖霊の型)につれられて、荒野を通ってイサク(キリストの型)のもとにいく、この章の最後の美しい光景(天然色映画にでもすればすばらしいでしょう)を見ることにします。(61節以下)
 
 「リベカは立って彼女たちと共にらくだに乗り、その人に従って行った。しもべはリベカを連れて立ち去った。さてイサクはベエル・ラハイ・ロイからきて、ネゲブの地に住んでいた。イサクは夕暮れ、野に出て歩いていた(黙想していた)が、目をあげて、らくだの来るのを見た。リベカは目をあげてイサクを見、らくだからおりて、しもべに言った、『わたしたちに向かって、野を歩いて来るあの人はだれでしょう』。しもべは言った、『あれはわたしの主人です』。するとリベカは、ヴェールで身をおおった。しもべは自分がしたことのすべてをイサクに話した。イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。」

 わたしはこれを説明しません。説明の要がないのです。聖霊が兄姉の心に、キリストのご愛を示してくださるように、主イエスがわたしたちがみ許にいたるのをどんなにお待ちになっているかを知らされて、その心が燃やされますように祈ります。

  一、くらきやあらし うれいのなか
    ひとつのひかり われぞみる
    あすはいかにか さちなるらん
    わがためキリスト きたまいなん
  二、ひかりややすき さかえのなか
    ちちのいえにて キリストは
    わがため目さめ まちたもう
    わがいたるまで まちたもう
  三、あまつほめうた かこえども
    きみがみみには あらのなる
    あしおと日々に ちかよるを
    なおたのしとぞ ききたもう
  四、かがやきひかる うるわしき
    さかえのなかに ましますも
    ちちのあたえし はなよめぞ
    いまだそこには かぐるなる
  五、きみとわれとは さかえにて
    おなじくふかき よろこびせん
    われ主よきみと きみわれと
    ともなるともに よろこびなん

 クリスチャンのただ一つの希望は、主にお目にかかることです。主イエスこそ「わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子」でおいでになるのです。この御方にお目にかかるのです。しかも主イエスのほうでご自身のものをみそばに迎えることを待っていてくださるのです。クリスチャンの希望は空中携挙であります。

 しかし地上顕現とその預言を学ぶことによって、すでに働いている不法の秘密の力がいかなるものであるかを知り、わたしたちの心がさばかるべきこの世より離れて、ひたすら主につかえるようにされます。さらにわたしたちが主と共にうくべき栄えがいかにすばらしいかを知らされると同時に、王の王、主の主のみ栄えのあらわれを讃美せずにはいられません。地の民イスラエルはこの栄えを現実に見せられて驚きますが、わたしたち天の民は信仰によって、暗きの中に主の勝利を見せられます。イエスを殺したこの世にクリスチャンの分はありません。わたしたちは主のみ足跡をふみつつ、滅び行く世人に、めぐみの福音を宣べ伝えて、主のおいでをお待ちしているのです。

 実際にこのキリストの再臨の希望は、あらゆる困難にあってもたえ忍ぶ力をあたえ、かなしみのときに慰めをうけることができます。またこの「悪しき世」にとらわれず、クリスチャンにきよい生活を送らせるのであります。「彼についてこの望みをいだいている者はみな、彼がきよくあられるように、自らをきよくする」とヨハネ第一の手紙3章3節に記されてあるとおりです。

  一、まもなく主きます われら野におらじ
    まずゆきたまいし ちちのいえにすみ
    主のみかおはいし めぐみのさかえほめん
  二、まもなく主きます よく時をもちいん
    みこころいためず したがいつかえて
    主にまみえんとまつ これよろこびなり
  三、まもなくすぎさらん いかで十字架さけん
    すべてをそんとして みあとをぞいそがん
    しばしのくるしみ むくいは主のえみ
  四、まもなくきませよ はなよめまちいぬ
    たびびと取りあげ みすがたにかえよ
    みさかえみまつり にい歌をぞうたわん

(『クリスチャンの希望』山中為三著33〜39頁より引用)

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