見事なり えのころぐさの 群れるさま(※1) |
しかし、礼拝の中身は、二十年間の「教会」生活のそれと、それ以後導かれた三十余年の「集会」生活の礼拝とでは大いに異なっている(※2)。
教会時代は、あらかじめ決められた礼拝の「式次第」があり、それに則った礼拝であった。そして、礼拝の中心は牧師さんのメッセージであった。集う一人一人は牧師さんが解き明かしてくださる聖書の個所を通して、神様を礼拝する。だから牧師さんにとって一つも気が抜けない、真剣勝負のひとときだった。一週間に一度とは言え、大変な激務だと思わされた。それだけに牧師さんを尊敬し仕えていた。信徒は口を開けて牧師さんが解き明かしてくださる聖書のことばを、ありがたくいただく生活、受け身であれば良かったからである。
ところが「集会」では、異なった。あらかじめ決められたプログラム(式次第)が一切なく、集った男性陣は主を信ずる「兄弟」と呼ばれ、それぞれの兄弟が(御霊なる神様から)示されたまま自由に、聖書の朗読と祈りがなされる。賛美もその場でリクエストされる。それらをとおして主を礼拝する。だから信徒一人一人が自ら聖書をしっかり日頃から進んで読み、生活の中で味わっていなければならぬ。牧師任せの生活でなく、信徒一人一人の自主性・積極性が求められるのだ。
その上、教会の牧師さんのメッセージに当たるものは、「礼拝」とは別に、礼拝後持たれる「福音集会」の中でなされる。これは一人でなく、様々な兄弟が毎聖日担当することになっている。確かに牧師さんが語られるような神学に裏づけられたメッセージではないかもしれないが、それぞれのメッセンジャーがそれこそ神様から直接導かれたみことばを土台に話をされる。だから「礼拝」ですでに十分満たされるのだが、さらに「福音集会」をとおしても、互いに主のご臨在を覚えさせられる貴重な時となっている。
そのような「福音集会」は、それぞれの地域から人々が遣わされる場合が多い。そうして、ひとつの集会が独善的になることなく、自然と他の集会の様子に触れ、集会同士の交わりをもつことが期待されている。私の近江八幡行きも、そもそも故郷が滋賀県だということで始まった。三ヶ月に一回参加させていただくようになってから、もうかれこれ何年になるのであろう。20年は優に越すのではないかと思う。今回は21名の参加者に、ZOOMで15名の方が参加されていた。その皆さんが心からなされる賛美の歌声には、それまで萎(な)えていた私の魂は、毎回決まって、その都度覚醒される。
果たせるかな、当日私が用意したみことばは、出エジプト25章21〜22節で「その『贖いのふた』を箱の上に載せる。・・・わたしはそこであなたと会見しよう」であり、題名は「神に会う道」とさせていただいた。司会をお願いした兄弟は、今はやめておられるが、京都の名うての理髪師さんだった方であるが、びっくりされた。それは私の引用聖句が礼拝の折り、ZOOMで奈良から参加された兄弟が読んで祈られた個所とぴったり同じだったからである。それもそのはず、その奈良の兄弟も私も、その日(6/18)の『日々の光』に掲載してあったみことばに感銘を受けたからにちがいなかった。
私の場合、その朝、『日々の光』を読み、その日お話ししようとしていた、ルカの福音書15章とこのブログでも紹介して来た『柏木義円』を結びつけるのにふさわしいみことばと考えたからであった。柏木義円は「倫理的宗教を談ずるの学者必ずしも贖罪的宗教を信ずる匹夫匹婦に先立たざるなり」と言っていた。イエス様は、律法学者とパリサイ人が、取税人や罪人を指弾してやまない姿をとらえ、三つのたとえを語られているが、最後の放蕩息子のたとえでははっきりとその32節で「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか」と語られた。まさに主なる神が会われる個所はこのような贖いの場所でしかないことを示されたからである。
しかし、福音集会後、私の心は晴れなかった。もちろん、毎回そのように落ち込むことが多い。今回は帰省したはいいが、連日留守宅にしておく雑草の処理に心底エネルギーを奪われ、メッセージの推敲のための準備が不足していて、自分でもその欠陥を自覚していたからである。しかし、一方で、たとえ自分のお話ししたいことが十分伝えられなかったとしても、主イエス様がそれぞれ聞いて下さっている皆さんに直接語っていてくださるのだから、くよくよしないでいいよと、自分の心に語りかけることができた。
その上、来られなかったご婦人に代わり、送り迎えしてくださった兄弟はご婦人の中学の同級生である。その方を通してこれまた車中で十分な交わりをいただいた。13年前に、事業が失敗し、すべての生活が破壊され、絶望のどん底に突き落とされ、道を悄然として歩いている時に、同級生のご婦人とばったり会われた。するとその場でその同級生であるご婦人から福音を伝えられたそうだ。彼は藁をもすがる思いで、イエス・キリストの贖いを受け入れられて、今日に至っている。まさに「わたしはそこであなたと会見しよう」のぴったりの経験のもと十三年間守られたのである。それだけでなく、今も続いている、集会内のさまざまな兄弟姉妹間の助け合いの実際を、兄弟の口を通して、教えていただいた(近江八幡集会では以前から、集われた方が、それぞれ昼食をともにし、互いに交わることを喜びとされていることは知っていたのだが)。
こちらに戻って来て、昨日(6/21)は印旛の兄弟が来られて春日部の家庭集会という場でメッセージして下さった。お聞きしながら、近江八幡の自らのメッセージでは等閑(なおざり)にしてしまった信仰者に及ぶ御霊なる神様の働きについて教えられた。いずこにあろうともこうしてみことばを通して互いに励まし合う生活が主にあって保証されていることを思う。
来月の春日部の家庭集会(7/12)では図らずも、近江八幡集会の責任を負っておられる兄弟、日曜日お会いできなかった方からメッセージをいただくことになっている。このことも主が導いて下さっている目に見えない証ではないだろうか。
※1 こちらに帰って来て、近くの「えのころぐさ」の美しさに思わず、目を見張ったが、私の故郷の留守宅での畑は芒塚(すすき)が伸び放題になっており、その根っこから引き抜くのにたいそう苦労させられたのをすっかり忘れさせるほどであった。
※2 「教会」と称しようと「集会」と称しようと志向するところは同じだが、あまりにもキリスト教会が、「教え」の集まりになっていることを危惧して、敢えて、そうならないようにと、私たちは「集会」と名乗っている。「教え」でない、「贖い」をもとに集められているという自覚のもと、「集会」(エクレシア)ということばを使っている。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/10/blog-post_13.html
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新約聖書 ローマ人への手紙3章23節24節)