2025年3月1日土曜日

輝かしい希望


 今日から、弥生三月に入りました。庭の山茱萸(サンシュユ)の花が咲きほころびました。毎年のことですが、このように時至って花を咲かせてくれる木に心からなる感謝を申し上げたい思いです。でも、すべては主なる神様のご配慮なのですね。

 毎日毎晩、岩手県三陸大船渡市の山林火災に胸を締めつけられる思いがします。一日も早い鎮火をと祈ります。さて、今日は下記の文章を載せさせていただきました。『重荷も軽く』(A.ドーフラー著)の「輝かしい希望」と題する文章の引用文です。愛する友が重篤で入院中です。その方に読んでいただきたいと決心してお送りしたものです。皆様もお読みくだされば感謝です。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新約聖書 コリントへの手紙第一15章19節)

 希望は人生の源泉です。私たちの生活から希望を取り去ってしまったならば、私たちは平安を保つことができなくなり、絶望へと追いやられてしまいます。

 神を無視する者でも、この世に希望を託しております。彼らは生計を立ててゆくことを望み、より良いことに会うことを望み、健康でありたいと願います。

 しかし、イエス・キリストの復活ほど、私たちを大きな希望で満たしてくれるものはありません。イエスの復活は、イエスが神であることを示し、神のみことばとお約束が常に真実であることを物語っています。イエスはいつも私たちと共に居てくださることを約束してくださいました。イエスは私たちに慰めを与えてくださることを約束してくださいました。神は私たちに、イエスが生きていらっしゃるように、私たちも生きると確信させてくださいます。

 人生においてさまざまな苦労に出会っている時や、苦痛と病気のために閉じ込められている時ほど、この神のお約束は必要なのです。これらの約束は、私たちが決してひとりではないことを確信させてくれます。私たちは主イエス・キリストの永遠のご臨在をいただいているのです。

 その上私たちは、イエスの復活によって、もう一つの希望を持たせていただきました。イエスの復活は、イエスが私たちの救い主であることを語っています。キリストを死から復活させることによって、父なる神はイエスの犠牲が十分に完全に、私たちの罪の代価を支払ったことをお述べになりました。

 イエスは悪魔の象徴であるヘビの頭を砕きました。イエスは悪魔に対して勝利を得られたのです。それゆえ、キリストを身の隠れ家としている限り、何物も私たちを損なうことができないことを知り、希望に満ちて将来を望み見ることができるのです。

 キリストが死から復活なさったのですから、私たちの、苦痛を受け病気をしがちなからだも、ついには朽ちない状態によみがえり、主イエス・キリストの栄光のからだに似たものとしていただけるのです。私たちはこの世において、いろいろと多くの試みを受けます。私たちキリスト者も、神を無視し、キリストを否定する人々と同様に苦痛を受け、痛手をこうむります。もし現世にのみ希望を託するならば、私たちはすべての人々のうち最も哀れむべき存在となります。しかし死のかなたにおいて、この苦しみを受けているからだが完全な状態においてよみがえるというところに、私たちの希望が存在しています。そこにおいて私たちの目から涙がすべてぬぐい去られます。そこにはもう、この世の苦痛はありません。もはや死ということも無いのです。主の御前は、永遠に喜びに満ち満ちているのみです。それゆえ私たちの希望は、この世の生活を超越した果てしない永遠にあるのです。これらすべてのことは、イエスの復活によって絶対確実なものとなります。

 それですから復活祭は、私たちに世界で最も幸いに満ちた喜び、最も希望に満ちた神よりのことばをもたらしてくれるのです。パウロがローマ人への手紙8章18節で言ったとおり、私たちも「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」と心から言うことができます。そして十分自信に満ちて 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」(新約聖書 コリント人への第二の手紙。4章17〜18節)と付言することができるのです。

 祈り

 永遠に生きていらっしゃる救い主イエス様。あなたは罪と死に打ち勝ち、栄光ある復活をなさいました。それによって罪の赦しと平安が私たちに保証されました。私は心からあなたを讃美いたします。今日もまたあなたの慈(いつく)しみを私にお示しくださり、私のすべての罪をぬぐい去ってください。悩みと痛みと苦しみとを受けている私を、罪のくびきや苦難から永遠に解放してくださるというあなたのお約束によって、私は希望に満ちてあなたを仰ぐことができます。どうか御恵みによって、常に私の近くにいてくださり、一日のすべての時を、輝かしい栄光の福音によって慰め、揺るがぬ信仰をお与えください。

 あなたのみことば、および、あなたに対する信仰から、私たちすべてが最後まで離れることなく、神の国民を待ち望む栄光に連れて行っていただけますように。イエスの御名によってこの祈りをおささげいたします。 アーメン 

2025年2月26日水曜日

『神の愛』は何処にもあり


 昨日は、ひさしぶりの投稿に対して、早速ありがたい励ましのコメントをいただいた。同氏はせっせとご自身のホームページ(https://sakota575.webnode.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/)で日々、写真と共に俳句を載せておられる。私もそれにあやかるべく、日々の観察怠りないのだが、中々詩心もなく、ほぼ一月余り投稿を休んだ。

 この間、何もしていなかったわけではない。写真はなるべく撮るようにしていた。今日、掲載の写真は先週水曜日、病院に出かけた際に、見かけた「タイリクセキレイ」の姿である。セキレイは写真に撮るのが難しい。ところがこのセキレイ君はどうしたわけか、歩道を歩いていた。それだけでなく、近寄って来る。自転車を降りて、彼の姿を追った。手元まで近寄って来る。またとないシャッターチャンスであった。その余りにも熱心な当方の姿に敬意を表されたのだろうか、通りがかり(多分同じ病院通いなのだろうが)のご婦人が立ち止まって、私に「撮りなさい」と言わんばかりの意思表示を示された。

 私は、この変わったセキレイ君の姿にすっかり安心しきって、逆にご婦人にどうぞ構わず先へ行ってくださいと手招きした。それまでのセキレイ君の行動ぶりから、ご婦人の通行の邪魔を詫びる余裕があっての私の所作であった。ところが、あにはからんや、と言うより、セキレイ君本来の彼らしき行動を発揮して飛び去ってしまった。残念!身近でバッチリ撮れるという思いは敢えなくも潰えた。けれどもご婦人も残念がられたが、セキレイ君は道路脇の人家のお庭に入りましたよ、と丁寧に教えてくださった。確かに自分の希望通りの写真は撮れなかったが、病院行きの束の間の爽やかなひと時であった。

 ところで、この病院行きこそ、ブログを休んでいた理由の一因であったことに思い至る。それはここ二、三年右手人差し指が痛んでいた。家内は私がおびただしくキーを叩く所作を目にしては、心配して、いつも「やめろ」と言わんばかりであった。だから「痛い!」なんて口に出したくなかった。そして内心では折れているのではないかとビクビクしていた。そのため整形外科に出かけたのだった。幸い、骨は折れていず、「経皮鎮痛消炎剤」なるものを処方されて帰って来た。それを塗っても症状は今まで通りであまり変わっていないが、意を決しての病院行きはパソコンに向かう我が生活に少なからず後押しをしてくれた。

 病院通いのついでに書くと、もう一つの根本的な理由がある。病院行きは待ち時間で多くの場合、辟易するのは皆さん共通の思いではないだろうか。そんなおり、待ち時間をどう過ごすか各自様々な工夫をなさると思う。私はこの病院行きに一冊の本を持ち込んだ。

 その本の題名は『なにものも私たちを神の愛から引き離すことはできない(上巻)』(G・ベック著)という恐ろしくも長い題名の本である。新約聖書の「ローマ人への手紙」をはじめから終わりまで、そこに表現されているみことばを今の私たちにわかるように書かれている本である。

 新約聖書の中にある「ローマ人への手紙」は、誰しもが一度は挑戦したことのある手紙であろう。私も何度か読んでいるが、いまだに初めから終わりまで貫通して読み切ったことがない。それで昨年末ごろからであったか、別の方の書物『 ロマ書講演』(パゼット・ウィルクス)を随分時間をかけて読み切ることができ、大変感銘を受けた。

 ただし、この講演自体は昭和6年(1931年)であり、文語体で書かれており、すごく読みづらかった。そこで、お膝元であるベックさんの書かれた本をとにかく読んでみよう、それを読み切った後でないともう何も言えない、言いたくないという思いであった。パゼット・ウィルクス(1871〜1934)は明治期から昭和期にかけて日本伝道のために働かれた宣教師だったが、紙上でしか拝見できない方であるが、私の尊敬してやまない英国の宣教師だ。それに比べて、わがベック兄は2016年8月23日に召されるまで、我が家に26年間、来てくださり、ある時は旅先の四国の坂出では一緒に枕を並べ、寝食を共にさせていただいたこともある。

 そのベックさんが召されて9年になるが、その御本を丁寧に読み切ったことがない。それで時の間を惜しんで、その本に没頭していたためである。ブログ休止はそれが最たる理由である。

 さて、整形外科の待合で多分、これまたその『神の愛』に没頭していた時に、Bさんから声をかけられた。Bさんは二日前にその病院で心房細動のためステントを挿入する手術を受けて退院されたばかりで、その日は、その術後手当で来院されていた。私は、その前日にはBさんのお見舞いに同じ病院に出かけたが、あいにく退院なさった後でお会いできなかった。その翌日、こうして病院で会うことができたのだ。

 顧みれば、セキレイ君に出会い、Bさんに声をかけられる。昨日今日の短い間にも丁寧にコメントを寄せてくださる愛読者の方々がいる。『神の愛』はこのような形でも貫通されていることを思わざるを得ない。ただし私の『神の愛』の読書は上巻の237頁あたりを今通過しているところであり、まだまだゴールには程遠い。なお、この『神の愛』のもとになるベック兄の音声があるのでそれも並行して聞いている。「耳」と「目」で、『神の愛』を味わいながら、春を待ち望んでいる。これほど贅沢なことはない!

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(新約聖書 ローマ人への手紙8章38〜39節)

2025年2月25日火曜日

トーゴーさん、こんにちは

壮観なり 大池親水公園 2025.2.17
 今朝の朝刊を見て、懐かしい思いがした。トーゴーさんのお写真が出ていたからである。1年半ほど前、トーゴーさんとは信濃鉄道「中軽井沢駅」で乗り合わせた。と言っても、ご挨拶したわけでない。こちらは無名人であり、先方はこちらをご存知ない間柄だからである。

 東京新聞は昭和100年、戦後80年を記念して「昭和20年に生まれて」と題して、今年80歳になるそれぞれの方の戦後(史)を伺い、それをもとに紙面構成をしている。見出しには「『51』譲り『49』取る覚悟 終戦交渉の祖父 残した信条」とあり、元外交官・東郷和彦さんへのインタビューによる編集記事であった。

 私はほとんど眺めるようにこの記事を追った。一読するまでもなく、1年半ほど前、トーゴーさんの祖父東郷茂徳さんに関する書籍を次々読んで、東郷氏が類まれなる人物であることに痛く感心もし、もっと調べてみたいと思わされた記憶がよみがえってきたからである。

 そのことを家内に話したところ、家内は案の定、忘れている(※1)。だから無駄だとは思いながらもそのトーゴー氏との出会いについて少し話してみた。と同時に、本ブログに東郷茂徳氏について熱っぽく書いていた数篇の記事の投稿を思い出した。

 一方、今朝、いつも聞いているTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」で、森本氏がウクライナの停戦の行く末を心配する中で、珍しく石破首相の言を評価していた。それは武力でなく、外交で決着をつけるべきだという真っ当なことばを首相が述べたと言うことだった。

 外交交渉がいかに大切なものか、また外交官がいかに苦労するか、かつて遠縁にあたる方(※2)を通して、その一端を知らされていたし、今朝の新聞・ラジオを通して端(はし)なくもそのことを痛感させられた。

 昨日、三男が突然一人で訪ねてきた。「お父さん、お母さんの顔を見たい」と思ったようだ。また、一枚の新聞記事ではあったが、ひょっこりトーゴーさんのお顔を拝見して、「顔」の大切さを思い、久しぶりにブログ記事を書く気になった。これも親しい友人から、昨日LINEで「もうブログは終わったのですか」と問われての今朝だった。愛のみがしからしめる持ちつ持たれつの間柄を、歩ませていただいている今日この頃である。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/07/blog-post_5.html この日をきっかけに数篇投稿している。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/02/20102.html この本の著者は父君が外交官であった。「子どもたちはその困難さを知ってか、それぞれ外交官の道を選ばなかった。しかし、その孫が再び外交官になった、不思議なものだね」と言われた。このお孫さんは今は外交官の道を退いておられるが、別の形で尊い宮仕えをなさっている。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。(新約聖書 1ヨハネ4:8)

愛は決して絶えることがありません。・・・完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。・・・今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(新約聖書 1コリント13:8、10、12)

2025年1月21日火曜日

『財布君』と私たち

朝日浴び 新春の気 漲(みなぎ)れり  2025.1.4
 昨夕、家内の財布が見当たらなくなった。家内は、買い物袋、ポーチ、服のポケット、また部屋の中などありとあらゆるところを必死に探してみるが、どこからも出てきそうにない。そう言えば先週、友人が雑談の中で、自転車で外出して財布を落としたが、拾った人が警察に届けてくれて見つかったと嬉しそうに話したのを耳にしたばかりだった。その際、友人は「(悪いニュースばかり流れるが、)こんなふうに、世の中には正直に届けてくれる人がいるんだよね」と感にいると言わんばかりであった。それもそのはず、友人はその財布に大切なものを一切合切入れていたのだ。

 こんな時、いつもなら家内の失策をあげつらって私はガミガミ言うのだが、昨晩は我ながら、落ち着いていて、家内を責めるでなく、一緒になって、室内をなめるが如く、徹底的に探した。かれこれ一時間程度探したであろうか。それでも見つからない。こうなるとどこかで落としたに違いないと結論づけるしかなかった。記憶できない家内に代わり、財布の所在を遡って思い出すことにした。昼前、「ダスキン」の人が来て、家内がお金を払った。その後、自転車に乗り、古利根川べりの散歩に出かけ、その足で「ベルク」に買い物に出かけ、そこでも家内が代金を払った。自転車で家に戻る途中、何とかと言う薬チェーン店に立ち寄ったが、お目当ての品物がなく、買わずに店を出てきた。そこまで思い出せた。

 多分、その間のどこかで財布が落ちたのに違いない。でも見つからないだろうと、思いながら、先日の友人の話もあるので、とりあえず警察に電話した。受付の方が丁寧に応対してくださった。遺失物届けである。遺失物の内容を問われて家内が出たが、一枚のキャッシュカードが入っていることは確かだが、その他のものは思い出せなかった。生憎、警察には現時点では届いていないと言われ、万事休すであった。ただ、その時、「ベルク」や「ウエルシア」に立ち寄られたのなら、そちらのお店にも聞いてみられてはどうですか、と言われた。

 それで先ず、「ベルク」に電話したが、「(そのようなものは)ありません」という答えだった。「ウエルシア」では店内には入ったが、お目当ての品物がなく、買い物もせず、そのまま出てきたので、電話しても無駄だろうと思ったが、一か八かで電話した。しかし、何とそのお店に件(くだん)の財布はあった。その一報を耳にして家内も私もどんなに喜んだことか。家内は自分の不注意で夫にも迷惑をかけ、またキャッシュカード紛失届に銀行に赴かなければならないと覚悟していただけに大変な「救い」を体験したに違いない。

 買い物をしなかった「ウエルシア」にその財布(実は「小銭入れ」だったが)が届けられていたとは不思議だった。つらつら考えてみると、お金を持っていなかった私が家内から小銭入れを預かって、店内に入り、お目当ての品物がなく、店外で待っていた家内と合流して帰ってきたのではなかったか。その辺の記憶は家内には全然ないし、私にも記憶がない。ただ合理的な根拠を次々と時系列で詰めてみるとそうではないかと思った。

 財布の手渡しが駐車場で行われ、その際どちらかが意識しない形で『財布君』は私たちの手元を離れたに違いない。そして、通られた来客のどなたかに拾われ、お店の人に届けられ、のちに持ち主である私たちからの電話で、『財布君』は無事に私たちの元に帰ってきたのだ。数日前の友人の話に続き、また新たに人の善意を覚える昨夕の出来事となった。そして財布をなくした妻をいつものようには責めなかった私に、主なる神はすでに私の不注意だということを知らしめようとしておられたのではないだろうか。

 これらの文章の最後は私の推測であって、本当のところはどうだったかはわからない。ミステリーと言えばミステリーである。さて、このような失くしものとそれが見つかった時の喜びはこの上もないことはどなたも経験しておられるのではないだろうか。

 私は家内のなくし物を家内と一緒になって探したが、それは言うまでもなく、下の聖句にある女の人の「あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか」に促されての行動だった。だから、それが出てきた時の喜びを一瞬のうちだが、家内と共に共有できた。そこには拾ってくださった方の善意があっての結果だったことを覚える。それは小さな喜びであったが、ここでイエス様は、なくなった銀貨が見つかった人の喜びがたとえようもない喜びであったことを、私たちに注意させておられる。その喜びはまた「わき起こる」とも言っておられる。私たち自身が『財布君』であることを覚えたい。

女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(新約聖書 ルカの福音書15章8節〜10節)

2025年1月20日月曜日

甲乙付け難し

鴨くん ごめんね みんなで寛いでいたのにね 2025.1.11

 歌は人間生活に欠かせない。そこには、「詩」がある。漢字は言偏に寺を宛てている、まさしくそういうものであろう。ところでキリスト者生活にはこの歌が欠かせない。この一ヶ月間年末から年始にかけても、聖書輪読と散歩は日々欠かしたことのない日課としてきたが、それに少しずつ讃美を加え始めた。その中で出会ったのがかの有名な『いつくしみ深き友なるイエスは』(※)「と三度も繰り返される讃美歌312番である(今の世、この歌に思い当たらない方も、you tubeで存分に聴くことができますね)。この歌が生まれるにあたってはそれなりの一人の人間の心が、「詩」があった。そして今やその「詩」は全世界に伝えられるようになった。

 この機会に邦文で知ることのできるその「詩」を三つ順次にあげた。いずれの邦文も甲乙付け難しである。読者諸兄姉はどう思われるだろうか。

讃美歌312番の歌詞は

いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを  とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、などかは下さぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは、我らの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰めたまわん。

いつくしみ深き 友なるイエスは、かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友我らを 棄て去るときも、祈りに答えて 労(いたわ)りたまわん。

と、なっている。
聖歌607番の歌詞は

罪とがを荷のう 友なるイエスに 打ち明け得るとは いかなる幸ぞ。
安きのなき者 悩み負う者 友なるイエスをば 訪れよかし。

試みの朝(あした) 泣き明かす夜 気落ちせずすべて 打ち明けまつれ。
われらの弱きを 知れるきみのみ われらの涙の もとを読みたもう。

気疲れせし者 重荷負う者 隠れ家なる主に すがれ直ちに。
なが友は笑い 迫害すとも 主はなれを抱(いだ)き 慰めたまわん。

一方、キリスト集会が使用している『日々の歌』180番の歌詞は

心を主イエスに注ぎ出す時、主はいと優しく語らいたもう。
悩みと憂いに沈むその時、主イエスは呼ばれる、みそば近くに。

試みにもだえ涙する夜、痛む心をば主イエスの前に。
私の弱さも涙のもとも、優しい御手もて、抱きとめたもう。

重荷を負う者、疲れた者に、「来なさい」と主イエス呼びかけたもう。
浮世に責められ嘲られても、主はいつも我と、共にいたもう。

※原曲歌詞は”What a friend we have in Jesus ”Joseph Scriven

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、我らの避け所である。(旧約聖書 詩篇62篇8節)

2024年12月17日火曜日

人よ、主を褒めよ

鴨の群れ ピヨー一声 従いぬ
 随分ブログから遠ざかってしまいました。この間、日常の生活はそれなりに続けておりました。古利根川縁の散歩は欠かさず行なっております。毎日のように目にするのは、写真の鴨諸君の姿です。家内が数えるところによると百五、六十匹はいるということです。大変な数です。彼らは絶えず群れをなして行動しています。誰かは定かではありませんが、先頭に立つと思われる鴨が「ピヨー」と実に可愛い号令(?)を発します。すると、それに合わせて彼らは行動するようです。時折、何かの拍子に一斉に飛び立ちます。その姿こそ壮観です。残念ながらタイミングが合わず、未だ一枚たりとも写真に収めたことがありません。けれども、鴨が一方向に向かって前進する姿は私にとって感銘深いものがあります。なぜなら、もし人が、不信仰を捨て、主の示される方向にまっしぐらに歩むことができたなら、こんなに幸いなことはないと思うからです。

 冬は寒く、例年は古利根川にまで足を伸ばしたことはなかったので、言うならば今冬は初体験の毎日です。何かカメラに収めるべき被写体はないかと探すのですが、中々見つかりません。その代わりになるべく二人で会話をするように心がけているのですが、それも最近は湿りがちで、気がついてみたら、口数の少なくなった家内と黙々と歩き続けることが多いです。そうならないよう気をつけて、いるのですが・・・。ただ、時折、家内がすれ違う方々と「こんにちは」と言葉を交わすのが私には救いとなっています。よく聞くと、先方が「こんにちは」と言われたので、自分もそれに応えたのだ、ということでした。私には全然聞こえなかっただけでしたが、それでも元気に反応しているのを知るのは嬉しいものです。。

 最近は私自身が「物」の名辞がすぐに出て来なくって、説明するのに難儀します。先日も病院に行くのに「マイナンバーカード」という言葉が出て来なく、「カードが」としか言えず、家内に「あの悪名高きカード」、と説明するのですが、かえって家内にはとんと通じず、しばらく経ってから、「個人番号カード」こと「マイナンバーカード」と名前が思い出せて一件落着となりました。それ以前は「キウイ」という言葉がどうしても出て来ず、そのキウイを、「切ると緑の果物で、丸いもの」とか、説明するのですが、中々通じず、ややあって家内から「ああ、キウイね」と正解をもらったのはいいが、私の中では「キウイ」は「キウリ」としか聞こえず、まさに名前を覚えるのにこれは幸いとばかりに頭の中で「木瓜」と置き換えてしまい、家内から「瓜」じゃない、「キウイ」だと訂正される始末です。

 一番困るのは人の名前です。これまで実にたくさんの方々と二人して交友を保って来、それぞれに素晴らしいお付き合いをさせていただいてきましたが、そのことを、説明するにも、お名前そのものが思い出せず、話にならないもどかしさが付き纏います。やっと名前が思い出せても、家内は過去のことはすっかり忘れているので、諦めざるを得ません。幸い、私自身はそれぞれの方々のその都度お出合いした写真を撮らせていただいているので、今後はその写真を整理して説明してみようかなと思うのですが・・・。でも過去を振り返ると、もう十分なほど主はたくさんの方々と交友関係を結ばせてくださって、恵んでくださったのだ、そのことを感謝しようと思っています。

 次の歌は「福音子ども讃美歌」の歌詞ですが、なぜか、今の私にぴったりです。多くのことを忘れても、イエス様のことを忘れなければ良いんだな、と思わされるからです。ましてや12月25日はクリスマスですね。この前も歯医者さんに治療に行ったら、クリスマスにちなんだデコレーションの絵とともになぜか英語で確か「I wish you a merry Christmas」と綴ってありました。I wish youはわかるんですが、「merry」ってどんな意味だろうと思っていましたら、翌る日の子どもクリスマス会で、遠くつくばから来てメッセージしてくださった方が、「メリー」は「楽しい」、「クリスマス」は「クリスト、すなわちイエス様、マスは『礼拝する』」という意味だよ、だからクリスマスはイエス様のお誕生を祝う日だよ」と子どもたちに説明していました。私は聞きながら、前日の「merry」というちょっとした小さな疑問にもすぐイエス様が答えてくださるんだと思えて内心嬉しくなりました。

子どもよどこを見てる 子どもよなにを見てる
気をつけなさい 天から見てる
お方がいるのですよ


子どもよなにを聞いてる 子どもよなにを聞いてる
あなたのために十字架にかかり
イエスさまは死んだのよ

子どもよなにをしてる 子どもよなにをしてる
ただイエスさまのみことば聞くの
しずかに聞いていましょ

子どもよだれにたよる 子どもよだれにたよる
イエスさまだけが天のお国へ
入れてくださるのです (ふくいん子どもさんびか22)

 さて、話を私と家内が日課としている「散歩」に戻し、アダムがエバを得る以前に、名辞と助け手にちなんで経験した一連の聖句を思い浮かべましたので、下に紹介しておきます。このアダムの孤独にも主はちゃんと答えてくださっているのですね。

 鴨たちはピヨーという一声にみなが信頼して従い、孤独からの解放を経験しています。「人よ、主を褒めよ」とはクリスマスの時期、「孤独」をかこつ私たちに、主が発せられる一大音声(呼びかけ)ではないでしょうか。すべての人がその思いに浸られますようにとお祈りしたいです。

神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2章19〜22節)

2024年12月4日水曜日

思い新たなり、師走のひととき

 12月に入って、のどかな日が続いています。ありがたいことです。これがいつまで続くのやら、いずれ寒い日々が来るかと思うと、今のうちにこの暖に浸っていたいという思いにさせられるのは果たして私だけでしょうか。午前中のわずかな時間の散歩ですが、梢から聞こえてくるたくさんの小鳥の囀りに耳を澄ませることができます。河岸を見れば、日向ぼっこをする鴨の群れ(彼らは時折思い思いに泳ぎ遊ぶかにも見えるのですが、後掲の亀もその仲間です)、また抜かりなく餌を求めて河岸を歩き回る白鷺も眺められます。確か、漱石の言葉だったと思うのですが、「午前中の創作は、午後の愉悦をもたらす」とありましたが、こちらは凡人で、かつ老残の身、散歩のひとときは、身をしていかに体力を維持するかだけに腐心している有様です。

 そんな今朝の散歩中、またしても躓きそうになりました。10日ほど前、躓き、しこたま足を強打し医者にもかかったほどにもかかわらず、性懲りもなく、同じ過ちを繰り返しています。まったく我ながら情けないです。先日の同窓会の席でも、皆さんに「躓かれませんように」とご注進申し上げたばかりなのですが、この様(ざま)で、話になりません。そこへ行くと、同行の家内は幸いそのようなことがないのは年齢差三歳の違いですかね(※)。

 今や短期記憶のできない家内と、補聴器なしには耳の不自由な私とでは、二人で一人前だと、これまで、やや自嘲気味に今の夫婦関係をなぞってきましたが、最近、肝心の私自身の記憶も怪しくなって来ました。それだけでなく思い込み、思い違いが激しく、この歳になって、自らの自己像も大いに修正されるべきだと思うようになりました。その上、昨日の閣議で、認知症施策の指針となる基本計画が決定され、新聞報道によれば、「急速な高齢化で認知症は『いまや誰もがなり得る』とし、みんなが支え合う共生社会の実現に向け取り組みを推進すると明記した」とありました。そこまで認知症は喫緊の全国民的課題になっていると思わざるを得ませんでした。

のんびりと 親がめ子がめ 日向ぼこ
 省みますれば、43年前の11月29日に、父は六十九歳で今でいう認知症を患って召されました。当時は原因もわからず、治療法と言うより、対応の仕方もわからず、家族としての認知症患者の父を抱え、混乱するばかりの悩みと苦悶の八ヶ月でしたが、ただひたすら主なる神様の救いと助けを祈る日々でした。その時の気持ちは、裸一貫荒野を行く心境でしたが、不思議と主のご支配は完全で、振り返れば「恵み」ばかりでした。

 今、認知症について、国民的理解が進む中で、我がこととして新たな決意のもと、どのように向き合っていけば良いのか、主イエス様の知恵と助けを叫び求めながら歩みたいと思わされています。
 
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(旧約聖書 詩篇107篇1節)