2010年5月31日月曜日

小早川宏遺作展より(上)


 先ごろ、吉祥寺の創・リベストギャラリーで小早川さんの遺作展があり、出かけていった。十数点の油絵はじめ水彩画などが展示されていた。同時に残されたたくさんのスケッチブックも披露されており、大変興味深く拝見させていただいた。今も宏さんがスケッチブックの向こうから語りかけて来られるような感じがし、不思議な存在感があった。以下に紹介するのはそのおり、プレゼントされたA5サイズの64頁からなる貴重な遺作集に載せられていた奥様の文章である。題して「絵について(制作を見守って・・・)」である。

 「良い絵を描く力を与えてください」とは、主人の生涯の心からなる祈りでした。あらためて残された沢山の油絵、水彩、墨絵、スケッチなどをみるとその量の多さに驚かされます。また、どの絵にも描く喜びが満ちていて、絵を描くことがどんなに大きな喜びであったかを思わされます。
 生活を共にした二十五年間は、決して絵を描くのに最良の状態ではありませんでした。主人として家計を支えつつ、私の母の介護の重荷や、また自分の難病を抱えながら描き続けたのです。絵描きとしてこれからという七十の歳に、突然天国に召されたのです。
 長い間、主人の絵の成長を心から願い見守ってきた者として主人の制作の歩みを振り返ってみたいと思います。

 若い頃は主にパリやヨーロッパの街々がテーマでした。その間は印象派のモネなどに学び、手探りしていた時期でもありました。ある時は色彩に、またある時には線を画面に生かしたりしながらいろいろな試みをしています。
 けれども、仕事を辞めて長期に腰を落ちつけてパリに滞在できるようになってからは、沢山の地道なスケッチをもとに彼自身の活き活きとした世界を表現するようになりました。
 墨絵や淡彩で描かれた線は、線が線と呼応して画面に躍動感と清潔なすがすがしさと生命感を与えてくれます。

 見たままを描くことは簡単ですが、それを自分の心の世界まで昇華し、自由に活き活きと描かれた線は彼にしか至り得ない境地だとおもいます。けれども、また難病であることが分かってから召されるまでの三年間は、彼の心がどのようなところを通ったか推し量ることはできません。「もうあまり長く生きられないと思ったら、遠慮するのをやめた・・・」と言って、子供の頃に疎開していた沼田へ写生旅行に行き、その山々の風景を油絵で沢山描きました。
 その画面からは迷いが消え、決定された色面が思いきって塗られ、健康的な力強い明るさに満ちていました。さらに召される間際は、何かに憑かれたように「同じ構図で描けば何か分かるかな」と、ベニスの絵を描き、その連作は三十七枚にも及びました。

 初めの頃の作品は、手探りで迷いがありましたが、最後はこの世を突き抜けた、彼の明るい心の世界を表現していました。
 空にぽっかり浮かんだ白い雲には、あたかもこの世を越えた天上の世界を思わされます。生への執着を捨て切った者だけが描けるような青い空の白い雲です。ご一緒に彼の歩みをたどっていただけたらと思います。

 まだこの後、奥様の文章は「人柄と生活の思い出」「病気と最後の別れ」と続くが、それは明日以降に紹介させていただきたい。いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方がこう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(旧約聖書 イザヤ57:15) 

2010年5月30日日曜日

わたしの愛のうちにいなさい 


「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい」(ヨハネ15・9)

 私たちの心の家はキリストの愛でなければならない。私たちはキリストの愛の中で一日一日を送らなければならない。私たちの生涯はかくあるべきであり、またそうすることができるとキリストは仰せられている。キリストの愛を家とすることは、絶えずぶどうの木につながっていることである。

 私たちはいつも、より高い、より深い、より豊かな、より充実した生涯ということばを耳にしている。またいつも失敗したり、つまずいてばかりいた人が全く一変して、神に支えられ、力づけられ、喜びにあふれた生活をするようになったというすばらしい証を聞いたこともある。もし私たちがその大きな恵みを受けるようになったわけを尋ねたら、きっと、ただキリストの愛の中につながっただけだという答えが返って来るに違いない。

 神のキリストに対する愛は、感情ではなくて、神のいのちであり、限りないエネルギーであり、とうてい抵抗することのできない力である。この神の愛がキリストが降誕してから十字架につけられて墓に入るまでの生涯を導いたのである。父は子であるキリストを愛し、キリストの中に住み、キリストのためにすべてのことをなさったのである。

 同じように、私たちに対するキリストの愛もまた、キリストが私たちに与えることに喜びを感じられるすべてのものを私たちの中に造り出す限りない生命力である。私たちのクリスチャンの弱点は、キリストの愛が私たちの中でみわざを行っていることを信じようと努力しないところにある。それは私たちが、ぶどうの木が枝をしっかりと支えているのを見ようとしないからである。私たちはキリストだけがなすべきこと、キリストが私たちのために心から喜んでなさることを、私たち自身でしようというむだな努力をするからである。

 さて、キリストの愛を信じることが、前に述べたキリストの愛につながったことにより生じる一大変化の証拠であり、この限りない愛を私たちの内なる魂が知る時に新しい生涯が始まる。「わたしの愛のうちにいなさい」というみことばによって、一瞬一瞬生きていくことができると信じ、すべての困難はキリストが克服されることを信じ、愛は私たちにすべてを与え、けっして私たちを捨てないことを信じ、この信仰によって、私たちはすべてをキリストにゆだね、愛のみわざが私たちの中で行われるようにすることが、ほんとうのクリスチャンの生涯の秘訣である。

 それでは、この信仰に達する方法とは何であろうか。もし私たちが目に見えないものを見つけて、これを手に入れるように願うならば、目に見えるものからまず目を離すべきである。そして、父の愛の中に住み、私たちにもその愛の中に住むことを望んでおられる主をいつも注視し、主といっしょにもっと多くの時間を過ごすべきである。もし私たちの心が主の愛の確かさによって満たされたいと思うならば、私たち自身を、私たちの信念や努力を思い切って捨ててしまうことだ。

 主の中に住むこと以外はすべて捨ててしまって、私たちの心を主とその愛との上に置くべきである。そうすれば主の愛は私たちの信仰を呼び覚まし、強めるであろう。私たちがまず自分自身をキリストの愛で満たし、愛をあがめ、愛の来るのを待ち望もうではないか。そうするならば、愛は私たちのところに来て、その力によって私たちを愛の中に取り入れ、愛を私たちの住まいとすることを、私たちは固く信じることができるようになるのだ。

祈り

「主イエス様。『わたしの愛のうちにいなさい』と言われたあなたのみことばの意味がわかりました。あなたが父の愛の中におられたことが、あなたをぶどうの木としました。そして、そのぶどうの木は私たちのための愛と祝福とで満ち満ちています。私もぶどうの木の枝として、あなたの愛の中につながり、あなたの愛が私を満たし、私の周り一面にあふれ出ますように。 アーメン」。

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳90~93頁引用)

2010年5月28日金曜日

恩寵に頼れ


 先週の土曜日から長女の一番下の子が気管支喘息になり、入院して、今日退院してきた。まだ一歳そこらで点滴やら酸素吸入をさせられて可哀想だった。長男は年長組で幼稚園へ通う。長女は家でお留守番、父親はお仕事。どうしても手が必要だった。婿殿のお母さんが車をフルに活用し手助けしてくださり助かった。5日間のうち、私たちも一日だけ交代で手伝うことができた。

 不意に訪れた出来事にどう対処するかは愛の試金石だ。私自身その日予定していたことがあり、最初そのことばかり考えていた。でもすぐ諦めて、先に直行していた家内と一緒に長女の家で孫たちの相手に入った。孫たちは普段は中々来てくれそうもない「じいじ」、「ばあば」が一緒ではしゃいでいる。いのち芽生える幼児の迫力に何度も負かされそうになる。

 幼児の想像力は見ていて、楽しい。夢が膨らむばかりである。前日たまたまMさんの創意工夫をこれでもかこれでもかとふんだんに見せられていた私には、結構淵源はこの幼児の心にあると思わされた。ペットボトルをつくってくれとせがむ長女に色紙を切り抜いてずん胴の円柱に円状の底を貼り付けただけで大喜びだ。私の大人性は形状の不細工さに満足がいかないのに。手放しで喜ぶ姿を見ると、私もかくありなんと思わされる。

イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」(新約聖書 マタイ18:2~4)

 家内が絵本を見て紙飛行機をつくる。「イカひこうき」「つばめ」・・・実に様々な飛行機がある。長男は飛ばすことに夢中になる。私の内側にある童心にも火がつく。飛ばしっこをする。いかな鳥にも負けていない。部屋はいつの間にか空と化する。翌日帰るとき、何機もの紙飛行機の残骸が孫と過ごした時を証明するかのように部屋のあちこちに散らばっていた。

 三人の子どもを抱えて四苦八苦する長女家族を見るにつけ、私たちにも忘れているだけで、それはそれで苦労があった。その上、車も持たず、能力もなく、親元遠くはなれていた私たちにとって、私たちだけの力では五人の子どもをとても育てられなかった。その私たちがまるで何もなかったかのように今日あるのは「恩寵(おんちょう)」の二文字があるのみだ。五人の子どもたち、孫たちもこの恩寵の主イエス様から離れることのないように日々祈るのみである。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

2010年5月24日月曜日

雨中の粋な出会い


 朝から雨の降る一日であった。一月に初めて家庭集会に来られお会いしたMさんから、一度自宅に来てくださいと二回ほど電話や手紙でお誘いを受けていたが、今日やっと実現した。あれからすでに4ヶ月経っていたがどうされているかはわからないでいた。約11kmの行程で自転車で出かける予定であったが、あいにくの雨なのでお約束の今日でなく別の日にしてくださいませんか、と申し上げたところ、車でわざわざ迎えに来てくださった。

 昨年の2月に奥様を急に亡くされた。お子様はそれぞれ独立し、世帯を別の土地で構えておられる。七十二歳の今、男やもめの生活を続けておられる。もちろんお宅を訪れるのは初めてであり、前回お話をお聞きしていたので少しは想像できたが、見ると聞くでは違い、より親しみを覚えさせていただく訪問となった。

 何しろ、器用な方である。大は太陽光発電のソーラー設置から、小は竹とんぼまで、野菜つくりは広い畑にいちご、トマト、かぼちゃ、水菜、大根、ジャガイモ、里芋、人参、キャベツなどなど、作られていないものは一つもなかった。実のなる果樹もブルーベリー、ラズベリー、梅、みかん、イチジクと枚挙に暇なしである。すべて種から根気強く苗を育てて栽培される。おまけに烏骨鶏(うこっけい)も二羽いた。

 もともと畑作りや様々な工芸細工は手がけておられたが、奥様が亡くなられた後は、毎日の食事ごしらえが身にかぶさってきた。だから、それまで料理は一切奥様任せであったが、今はすべてご自分で工夫しながら調理なさっていて新鮮な野菜などを上手に冷凍庫にしまいこみ、何日後の食事まですべて確保されている。それらの食事は食物名はいうまでもなく、グラム数までが明記されているという周到振りである。

 何事もいい加減に済ますことができず、真面目な方である。お酒も飲まれないし、タバコもお吸いにならないでいて、生活の隅々にまで創意工夫がなされ、人生を何倍にも享受されている感じだ。私など何の趣味もなく、からきし工作が駄目な人間にとって想像もできない異次元のお方である。少年時代から苦労され、奥様とは最初の会社での馴れ初めだったとお聞きした。その奥様もご主人に劣らず多趣味で、また同じ趣味の持ち主で一緒に山歩きをされたり、旅に良く出かけられたようだ。

 その奥様が突然亡くなられたのだ。三ヶ月間毎日泣いていたと言われた。もちろん、今も心の中の空虚さは何者にも代えがたいと感じておられる。だからこうして一度会ったきりの私たち夫妻をわざわざ招待してくださったのだ。一緒にイチゴ狩りをさせていただいた。すべて無農薬で、大きくはなっていない、小粒のものばかりであるし、今日の雨で青味を帯びているものも多かったが二ザルほど採らせていただいた。その上、帰りには水菜や春菊や珍しい盆栽などのお土産をいただいて帰って来た。

 こんな初めてとも言っていいお交わりであったが、三ヶ月間泣いていたのがピタッとやんだのですよ。それはこの用紙のおかげですよ、とゴソゴソと出して見せてくださった。私たちには見覚えのあるものだった。集会に出席している姉妹がその頃仕事の関係で知られ、すでに渡されていた祈りのカードのようだった。それはベックさんが書かれた次の祈りのことばだった。

 愛する主イエス様
 私のわがままのために、代わりに罰せられ死なれたことを感謝いたします。
 あなたの流された血によって、すべてのあやまちが赦され忘れられていることも
 感謝いたします。
 あなたを信じますから、死んでからさばかれることがないことも感謝いたします。
 あなたを信ずる者は、死んでも生きると約束されていることも感謝いたします。
 死ぬことは終わりではありません。あなたと一緒になることです。
 私の国籍は天にありますから感謝いたします。
 今からのことすべて、あなたにおまかせいたします。
 あなたの御名によってお祈りいたします。
  アーメン

 このことばを読んで自分の涙はピタッと止んだと言われた。私たちはそれまでイエス様のことをほとんど何一つ話さなかった、また話できず、ただMさんの驚異的な生活に圧倒されてその一つ一つをお見せいただいてばかりしていたのだが、ある時からその話になった。イエス様はすばらしいと思った。

 Mさんが奥様の死という大きな十字架を背負って歩まれているそのことを十分お知りなのだと思うことができたからである。雨の降る一日とは言え、このような出会いを与えてくださった主イエス様に心から感謝したい。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(新約聖書 マタイ11:28~30)

2010年5月23日日曜日

集会が起こされた日


 二十年前の今日は水曜日だった。この日、私の家で初めて福音が語られる集会が行われた。その数日前、妻から家庭集会にドイツ人の宣教師が来てくださることになった、と聞かされた時、私は猛反対した。しかし幾ら反対でも昼間に行われる家庭集会は亭主である私の権限外という気もあったので、予定通り行なうことを不承々々認めざるを得なかった。

 当日仕事を終えて帰宅した私を待ち構えるようにして、家内が集会の様子を報告した。心を頑強に閉ざしていた私は、ほとんど内容は覚えていないが、集った人々の人数を聞かされて、びっくりした。家内に「何人の方が来られた、と思う?」と問われるまま、私が口に出したのは二十人内外の数字であったが、百名近い人が来たと報告したからである。信じられなかった。これはとんでもないことが起こった、と内心舌を巻かざるを得なかった。

 その後、毎週のように水曜日に集会が行われることになり、今日まで続いている。(さすがに二十年後の今は拙宅では月二回に変わり、拙宅以外にも二軒の家庭で別の時間・週に持たれているが・・・)当時は集会のたびに場所を確保する必要上私の机や本棚、ステレオセットなどは全部庭に出された。長い間、集会に非協力的であった私に婦人方は大変神経を使って、運び出しては元通りに戻されたと聞く。また不思議とその年は水曜日雨が降らなかったそうである。

 家庭集会はメッセンジャーによるみことばの解き明かし、また、その後の交わりが中心である。家がどうあろうと、人々が隙間を求めて座を占め、無礼講である。裃つけず、男女や年齢差やその他一切の人間関係を度外視してイエス様を中心とした交わりを続ける。

 ベック宣教師ご夫妻は今年で日本に来られて56年になるが、イギリスではオースチン・スパークス兄弟と親交を持たれ、また中国ではウオッチマン・ニー兄弟の同労者と交わられ来日されたと聞く。宣教師自ら自分を特別視されるところが少しもなく、ただひたすら人々に仕えられる。私たちの良き模範である。

 先ごろ国会図書館で『正しい告白』(ウオッチマン・ニー著)を読んだが、そこに聖句と次の文章があった。

あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(新約聖書 コロサイ3:9~11)

 この世の差別をみな教会の中に持ち込むならば、兄弟姉妹間の関係は決して調整され得ず、教会は神の前に確立できないのを発見することでしょう。(同書52頁)ひとたび私たちがクリスチャンになると私たちはそういったすべての区別を除外します。だれ一人その個人的な地位とか立場とかをキリストや教会――一人の新しい人の中に持ち込むことはしません。そうすることは古い人を持ち込むことになるのです。古い人に属するものは何一つ教会の中に運び込んではなりません(同書53頁)

 二十年経って、ようやくこのウオッチマン・ニー兄弟の文章を体験的に知るようになった。このように家庭集会から始まった集会は、さらに九月からは近くの幼稚園の施設をお借りして礼拝を持つように導かれた。二十年目の今日は日曜日であった。礼拝で開かれ読み上げられたみことばはそれぞれ次の箇所であった。 ヨハネ6:35、48、51 ローマ6:6~9、11 2コリント5:14~15 マタイ6:30~34 使徒2:1~4 黙示5:1、7~12 イザヤ59:16、20~21 イザヤ58:10~12 エペソ5:20 みことばの朗読、祈り、賛美が繰り返され、中ほどで十字架の主を覚えて主イエス様を信ずる者がまわされてくるパン裂きとぶどうジュースに預かり、捧げ物をする。この間一切プログラムはなく仕切る人もいない。各自がひたすら御霊なる神様に従う自主的な礼拝の形だ。

 そのあと、福音集会が行われ、今日の場合は、遠く新百合ヶ丘からお見えになった一人の兄弟を通してみことばの勧めがなされた。箇所はマルコ9:33~50であった。ひとつひとつわが身に照らし合わせて思い当たることばかりで悔い改めさせられた。それだけでなく、集会誕生二十一年目をスタートするのにふさわしいみことばが備えられた思いがした。

塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。(新約聖書 マルコ9:50)

 二十年前全く無であった地に、主は奇跡とも思える集会を起こされた。その集会が集会内においても世に対してもはっきりとした地の塩であり続けることが主イエス様のご命令だと聞くことができた。感謝である。最後に二十年前に示されたみことばを書き上げておく。

わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。(旧約聖書 出エジプト6:6~7)

(絵はF.ホフマンによる出エジプトの紅海渡りのシーンである。『聖書物語』から転写)

2010年5月22日土曜日

虫取り撫子と私


 玄関に「虫取り撫子」が咲いた。ピンクの可憐な花びらを咲かせている。なりは小さいが緑の中で一段と映えて見える。しかし、この花には不思議な仕掛けがある。茎の中ほどに見える茶色がかった部分がそれである。触ってみると粘々する。花に集まってくる虫はこの関門にひっかかり、それ以上上には昇れない、という仕組みだ。「虫取り」という名前の由来するところだろう。造物主によってこの花に埋め込まれた巧みな創造のみわざに改めて感動する。

 しかし、こんな綺麗な花も内なる腐敗が控えている限り、いずれはそれに耐えられずして、いつしか枯れて消え失せて行く。考えてみると、人間にも「良心」という自分を駄目にしようとする働きを阻止する心が備えられている。良心を通して人は道徳的腐敗から守られている。しかしそれはあくまでも外側の問題に過ぎない。人の心の霊的な部分、神様に従うという部分は破壊されたままであり、修繕が効かず、そのままでは滅びるしかない。一人一人に控えている死がその結果である。

 そのような私たちに、「虫取り」や「良心」という内蔵されたものとちがい、私たちの罪のために十字架にかかられ三日後によみがえられたキリストの「いのち」が一人一人に提供されている。今日動植物はじめ人類もまた様々な受難を日々経験している。しかしみことばは次のように語っている。

 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。(新約聖書 ローマ8:18~19、21)

 最後に、ウオッチマン・ニーの「REGENERATION(再生、新生)」という文章を紹介しておく。

 ヨハネによる福音書第三章七節でイエス様は言われました、「あなたがたは新しく生まれなければならない」。この新しいいのちが基本的に必要不可欠です。それは私たちクリスチャンの信仰の本質です。ここに偽クリスチャンと本物のクリスチャンとの相違があります。

 ヨハネの第一の手紙第五章十二節は言います、「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません」。十三節は続けます、「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです」。それは教理や働き、または道徳的振る舞いの問題ではありません。そうではなく、それは神の御子を持っているか持っていないかの問題です。

 人の命に対する神の解決は矯正ではありません。十字架につけることです。神は私たちの古い人をキリストとともに十字架に釘づけました。それ以来、古い人は終わらせられています。今や、わたしたちはキリストともに生きています。キリストが私たちの新しいいのちとなりました。私たちは新しい人です。私たちは新しい開始を待っています。私たちは新しい生き方をすることができます。これらすべてはキリストの中で(父なる)神が成就されたみわざです。

 人はここでは何事も行うこともできません。彼のなし得るすべては(キリストを)信じて受けることです。普通の宗教だけが人を改善し、修養し、改良することを求めます。しかし、キリストは私たちのいのちとなられるのです。

 私が福建省の南部で初めて伝道した時、約千五百人の人々と集会を持ちました。三つの集会のあと、全市の牧師たちは心配になりました。彼らは私を呼んで言いました、「ニー兄弟、私たちがあなたに来て説教していただこうとしたのは、あなたが私たちの会衆に(伝道に)熱心になるよう一生懸命働いて、主にもっと熱心に仕えるよう励ましてくださるものと期待したからです。ところが、ここであなたは、私たちは何もする必要はない、私たちの必要はキリストを受け入れることだけである、と言っておられます。彼らはもともと怠け者です。あなたの説教を聞いてからは、おそらくもっと働くことをしぶるでしょう! あなたはここに訪問に来られただけです。これが終われば、あなたは自由に去ることができます。しかし、私たちはいつまでもここにいるのです! あなたが去られた後、私たちはいったいどういうことになるのでしょうか?」。

 私は言いました、「これは大会の二日目にすぎません。まだ十六日あります。みなさん、少し辛抱して待ってください。終わりがどうなるか見ていただけませんか? キリストの内なる働きは人自身の外側の働きよりはるかに卓越しているのです! もし人が私の宣べ伝える福音を受け入れるなら、彼の中に決定的変化が起こることを、私は信じています」。

 彼らはその時、私の言葉をまだ信じませんでした。しかし、彼らが私を招いた以上、私をやめさせることはできませんでした。結果については、私が全責任を取ると言いましたが、彼らは依然として頭を振って言いました、「これはあまりに危険です!」。しかし、約一週間後、多くの牧師たちがやって来て、わたしに謝って言いました、「神の御子の内側の働きを受け入れることは、全くわたしたち自身の努力よりはるかにまさっています」。

(ウオッチマン・ニーの文章は全集27巻『正常なキリスト者の信仰』223頁から引用させていただきました。引用に当たって一部引用者が表現を変えたところがあります。今日は母が召されてちょうど49年目になる。あの夏日を思わせる長い一日のことは決して忘れることのない悲しい一日であった。しかし、今こうして私は福音に生きる者とされ、「死が終わりでない」ことを日々感謝する者と変えられた。)

2010年5月21日金曜日

十八、米と塩(下)


 「それではこれを見てください」と、ヴォーリズさんがわたしに見せたものは、学校長より外国雇教師ウイリアム・メレル・ヴォーリズにあてた、次のような解雇状であった。

 証明書
 ウイリアム・メレル・ヴォーリズ氏は西暦一千九百五年二月より滋賀県立商業学校に於いて英語科の教員であった。其の教授振りと、学生の陶冶に関することは、全然満足さるべきものであった。同氏が解雇されたのは、県民の反対意志により、即ち聖書を教えて、学生達をキリスト教に到る様に感化したる事を以って、県民の大部分なる仏教徒諸君の反対意志により解雇したのであります。
                         学校長 I氏 自署


 わたしは驚いた。その以前から、ヴォーリズさんに対して雲行きの悪いことをうすうす知っていた。県庁に勤めていた教育課のある人が、ヴォーリズさんに借金を申しこんで、受付けられないというので、腹黒いことを考えていることも、わたしは知っていた。また三十九年の一月から三月まで、近江新報その他の記事や論説に、ヴォーリズさんは商業学校を変えて宗教学校たらしむるのだと、書いてあったことも思いだされた。

 「わたしは、もう学校の教師ではありません。きょう、あなたといっしょに学校を卒業したのです。わたしは、今、神さまに祈りをもってその大御心をうかがっていたのです。わたしは八幡町を去れば、京都の同志社や東京のY・M・C・Aは、よろこんでわたしを迎えてくれます。しかし、わたしは、日本のびわ湖畔に、神の国の福音宣伝のため、命をすてたいのです。もちろん八幡町では、一銭の収入も与えてくれる道はありません。
 しかし、わたしは、あえて信仰の冒険をやります。そして、神にのみ頼って、生きてゆきます。その大決心を、今、ただの今、心のうちに誓ったばかりです。『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます』と聖書にあります。わたしはそれを確信して、自分を捨てます。そしてわたしの一生を湖畔の土に埋めましょう」

 わたしは涙がほおに伝わるのを覚えた。そしてメレルさんの腕を抱き、ふたりして長い間祈った。
 とつぜん、ヴォーリズさんは身を起した。
 「吉田さん、寄宿舎では学生一か月分の食費はいかほどですか」
 わたしはおどろいて返事をした。
 「四円五十銭です」
 「米と 塩ばかりで、ひとり一ヶ月の食費はいかほどですか」
 「飯と漬物でしたら、まあ三円五十銭ぐらいでしょう」

 ヴォーリズさんは、 再び、ひざまずいた。そして
 「天のお父さま。わたしに毎月三円五十銭づつ与えてください。わたしは、あなたがそれだけを保証してくだされば、わたしの一身を、この青年会館に埋めます。そして、びわ湖畔の福音宣伝に一生をささげます。アーメン」

 わたしは今までクリスチャンのひとりのつもりだったが、真の伝道心は無二も等しかった。今、目のあたりに真のキリスト魂をみた。十字架を負うひとりを目撃した今や、ためらうときではない。血の最後の一滴までも福音宣伝のために、利他主義の実行※のために遠く北米から来たヴォーリズさんの同僚として捧げたい、と感激した。

 「ヴォーリズさん、わたしは、自分の将来を捨てます。わたしは母から送ってくる、今までの学資を、そのまま送って貰いましょう。そしてとにかくあなたとふたりの食費だけをだします」と申しでた。その声は震えていた。
 ヴォーリズさんの目に熱い涙がみなぎった。そしてふたりは、再び、手に手をとってひざまづき、無限の感謝と感激の祈りとを神にささげた。

(『近江の兄弟』吉田悦蔵著より引用。※吉田氏が言うように「利他主義の実行」とはその通りであるが、人は生まれながらにしてそのような行為を実行し得ない。「利他主義」を実行し得るのは、ただイエス・キリストのみである。ヴォーリズさんは信仰によってそのイエス・キリストを内側に宿し、イエス様のいのちに生きておられたのだろう。今日の写真は昨年の2月ごろ撮影したもの。ヴォーリズ事務所設計になる旧彦根高商外国人宿舎である。彦根城内堀の土手から撮影したものなので、宿舎の裏口に当たり、アングルは良くなくヴォーリズさんには申し訳ない。お堀内にある二艘の船は彦根市が観光用に使っている屋形船である。彦根市内には同氏の設計になる建物がもう一棟ある。滋賀大学経済学部構内の陵水会館である。)

2010年5月20日木曜日

十八、米と塩(上)


 京都から請負師を頼んできて、ヴォーリズさんの設計した青年会館は、工費三千六百円で四十幾坪の二階建てができることになり、明治三十九年(1906)の十一月から起工して、翌四十年の二月初旬に落成した。

 ヴォーリズさんは大きな希望に輝きつつ、日本にふたたび帰って来たが、福音宣伝のことはそろそろ周囲の形勢が変化したため、青年会館の建築ができるにしたがって、逆比例に、だんだんむつかしく気勢があがらなくなってきた。滋賀商業のなかでは、東本願寺が後援する仏教青年会が盛んになった。時の校長がその愛子を失ってから非常に熱心な他力本願の信者となったことも、キリスト教青年会不振の原因の一つになった。バイブル・クラスも以前ほど盛んでなくなった。わたしはクラスただひとりのクリスチャンで、そのころ熱心に読書をするため、クラスの中で親しくしていた人たちにも無愛想になったのか、だれもわたしの宗教をかまうものがいなくなった。そしてちくちく淋しくなりつつ明治四十年(1907)を迎えた。

 二月十日に新青年会館で献堂式を挙行した。会館は珍しがりで、物好きな聴衆にみたされ、都会から知名の人たちが列席されて、とにかく盛会であった。だが、学生キリスト教青年会はひん死の重態で、バイブル・クラスも人影うすく、ポリ公(ヴォーリズさんのこと)は国賊を養成しているアメリカのスパイだなどと叫ぶものもできた。

 二月の中旬のある寒い日、ヴォーリズさんは貯金を全部ひきだして、京都の請負師に、青年会館建築費を支払った。そして、それから後は、大いに生活程度をさげ、倹約して暮らしてゆくことにして、自分の俸給から、会館の維持費をだし、家具や窓掛けやら敷き物を買うことに決心した。そして台所方面も思い切って金を締めたものだから、会館ができて、今までの暗い借家から新築に移転することになったとき、コックをしていた男が暇をくれといいだして、とうとう無理やりにでていってしまった。 
 
 二月の下旬、わたしとヴォーリズさんのふたりは、手伝いを雇ってきて、少ない荷物を、新築に運んだが、移ってみると、がらんとしていて敷き物も、窓掛けも家具もない、ひろびろした村役場のような感じのする青年会館に、人の香りはただ二つだけで、淋しいものであった。電燈はまだ八幡町には珍しいくらいで、もちろん会館には電燈をつける金がないので移った当時は小さい豆ランプの、五分燈心の光が、ぼんやり、ともっていたような始末であった。

 石油ストーブを買ってきて、ヴォーリズさんとわたしは自炊をすることにした。そして、そのときからふたりは共同生活に入った。

 いよいよ三月がきた。そしてわたしは学校を卒業することになった。会館が建てば大いに学生たちのために活動ができると、夢みた夢が全く裏切られ、献堂式の後の淋しさは、門前すずめの巣や、くもが網を張るという、中国流の形容詞でも、よくいい表わすことができない感じを日々に味わいながら、淋しくふたりで暮らしていた。そしてふたりして、淋しいことを神に訴えたりした。

 卒業式が三月二十五日にあり、わたしは卒業証書を受け取った。母からは、高等商業へゆくかまたはある人の世話でデンマークのコペンハーゲン商科大学に入学するようにとの、二つの道が提出された。そこでわたしは卒業式の終わりに、自分の荷物をまとめる心ずもりをして、会館に帰ってきた。

 ヴォーリズさんが二階の書斎兼応接室にぼんやりしていたが、わたしの姿をみると「ちょっと」といって、わたしを室の中に呼びこんだ。わたしは少し変だと思いながら、すすめられるいすに腰かけると、ヴォーリズさんは、青白く光る顔に強い確信のある目をもってわたしをみた。
 「吉田さん、わたしは今、神さまに祈っていました。わたしは今度、大決心をしました。あなたもいっしょに祈ってください」と話した。
 わたしは不意打ちをくったようだったが、
 「なんですか、どうしたんですか、くわしい話をしてくださいな」というた
 (この項続く)

(『近江の兄弟』吉田悦蔵著より。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。わたしの民がたくさんいるから。」<使徒18:9> どんなに孤独と見えようとも、「わたしがあなたとともにいる」とは変わらざる主の約束だ。果たしてヴォーリズさんの目の前には、 どんな事態が待ち構えていたのだろうか。写真はつる薔薇のその後。一週間ほどの間に見る見る花が咲いた。)

2010年5月19日水曜日

十七、旗あげ


 「吉田さん、Y・M・C・Aの会館を建てる土地は見つかりましたかね。今度シカゴの友人から五百ドルと他の友人たちから千ドルほどもらうことになりまし たし、わたしの今までの貯金とこれからの貯金が合わせて千五、六百円はありますから、合計して会館を建てましょう。図面はわたしが作りました」

  わたしは、ヴォーリズさんが図面のひけることをそれまで、少しも知らなかったし、また建築の設計などが、その頭の中にあるなどとは夢にも知らなかった。

  八幡キリスト教会の執事をしている西幸治郎さんと千貫久治郎さんは兄弟の牛乳屋さんで、兄の西さんはでっぷりした豪傑風の男、弟の千貫さんはやせた善人型 の人であった。兄弟は織田信長や明智光秀、森蘭丸などで有名な安土城址にほど近い村の、水飲百姓の兄弟であったが、徒手空拳で明治20年(1887)ごろ から牛乳商を始め、八幡町と京都市外の花園村で大きい牧場を経営していた。兄の西さんは明治20年ごろにキリスト信者となって、教会の会計をながく勤めて いた人で、常に会堂を建てよう、会堂が町の中央になければならないといっていた。

 「諸君、わたしはキリスト信者の生活は昔の戦争のよう に、堂々と旗をたててやるにかぎると思います。十字架の旗はつまり、“にしきの御旗”です。押したてたら、死んでも巻いてはならんのです。わたしは十字架 の旗を巻いて逃げた信者の末路をたくさん知っています。なにが悲惨だといっても、信仰生活の敗北者ほど哀れなものはありません」

 西さん は祈り会に、必ず旗をまくなという。
 「神様、わたしは真の罪人です。きょうもつまらぬことに腹を立てました。許してください。ああ、わたしは悪魔のようです。主イエス様、わたしを憐れんで、わたしとわたしの周囲を清めてください。アーメン、アーメン、アーメン」
 と真剣に唱えて、震えて 祈るのは弟の千貫さんであった。

 わたしは西さんに、ヴォーリズさんの青年会館建築の設計を、教会の集会後に話すと、西さんは、うれしそ うに口を開いた。
 「わたしは、今まで、だれにも話しませんでしたが、実は八幡町の中央に二百三十坪の土地を教会堂のために買っておきました。今 のお話は実にわたしの夢の実現です。よろしい。よろしい。あの土地を使ってください。わたしもその土地の西の角に、教会の方々と協力して来年は会堂を建て ましょう。ヴォーリズさんは東の半分に青年会館を建ててください」
 西さんは、本当にうれしそうにそういって、長年の夢が現実になってくると感謝して、その場で神に祈りをささげた。

 それでいよいよ、ヴォーリズさんはY・M・C・A会館を建てることになった。

(文章は『近江の兄弟』吉田悦蔵著から引用。 ヴォーリズ氏は病を得て、いったん日本から米国に帰った。その刀折れ、矢尽き果てて、尾羽打ち枯らしたはずのヴォーリズさんは病床で次のように言っていた。『吉田さん、私はね、今度帰国したら、お土産に、学生青年会館を八幡町の中央に建てようと思うんです。あなたは、町の中央に土地をみつけてください。私も 少々貯金ができたし、国に帰れば篤志の友人もあるからね。二十人位の寄宿舎と、三百人位の集合する場所をつくりましょう。私はいったんは、近々に日本の土 になると思うたが、何だかまだまだ働けるようになると思う夢をみているんです。お互いに太平洋をへだてて祈りをしましょうね』<十五、往復切符 参照> 。

 今日のところはその祈りが聞かれた何よりの事柄でないだろうか。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」<1ヨハネ5:14>

 ウオッチマン・ニーは聖書の「使徒の働き」の記事中に人間にとって最も重要な問題である経済、お金のことが一言も触れられていないことを注目しています。その理由は使徒たちが主なる神様が真実な方であることを体験していて、いつもその主である神の慈しみに信頼しており、経済的な必要がことごとく満たされていたからだと考察し、さらに次のような意味のことを言っています。「働き人の経済的な必要に対する態度こそ、それらの人たちが神様からその使命をいただいているかどうかを試すものです。経済の必要ほど現実的なものはないからです。何事にも理想はありますが、これだけは理想というわけにはいきません。この現実的な問題によって働き人は一番よく試されるのです」<正常なキリスト者の召会生活248頁以降>もちろん、ここで言われている働き人とは「使徒」であるので直接にはヴォーリズさんの働きには該当しないかもしれませんが・・・今後の考察のために一言付け加えました。

写真は昨日東京・西荻のAさん宅のお庭の一角で見かけた紫蘭の花です。いとこは不在でしたが、ご高齢のお舅さんご夫妻と楽しくお話できました。)

2010年5月18日火曜日

天国への凱旋


 4月初め、主にあって敬愛する兄弟が64歳で召された。私もその葬儀に出席させていただいたが、今もその折お話された、遺族であるご長男、奥様のご挨拶が忘れられないでいる。それは「天国への凱旋」とはどんなことかがよく分かる話だったからである。以下にご紹介するのはその折、話された奥様の話を聞き書きしたものである。前後のご挨拶は省略させていただいた。

 主人は司会者の兄弟からお話がありましたように、三年前癌の摘出手術をいたしまして、リンパの奥まで転移していたものですから、ずっと闘病生活をいたしておりました。それでも去年の秋までは体力も回復し普通の生活ができるようになっていました。その間、農大の成人学級にもリハビリを兼ねて通い農作業をしたり、お仲間とあちこち見学旅行に連れて行っていただいたりして、楽しい時を過ごしておりました。今日もその時のお世話になった方々が何人も来てくださって、とても感謝です。

 去年の秋ごろから腹痛を訴えるようになりまして、今年一月に検査をした結果、リンパにかなり癌細胞が転移している状態で、本人は色々迷いや不安はありましたが、体力的にも抗癌剤治療を再開する自信はなく、祈った結果、主イエス様の導きにゆだねるのが最善だ、と言って抗癌剤治療はしない決心をいたしました。「あと半年ぐらい、でしょうか」と言われたお医者様のことばを、動揺する様子もなく、静かに受け止めておりました。主人は、その事実に絶望的になる様子もなく、とても平安でした。イエス様にすっぽりと包み込まれ、守られていることを実感しました。

 お腹と腰の痛みがひどかったものですから、「痛みを緩和する効果は期待できます」というお医者様の勧めもあって、2月15日から3月24日まで放射線治療のため、広尾の日赤医療センターの緩和ケアー病棟に入院いたしました。放射線治療の効果のせいか、治療が始まって日に日に痛みがなくなり楽になっていました。ただ、まだ自分の足で歩けるほど体力は回復していませんでしたけれど、毎日のように集会の兄弟姉妹や農大でお世話になった方々が訪ねてくださりとても喜んでおりました。少しぐらい気分が悪くても、皆さんが来てくださると、気分の悪いのも忘れるらしく、途端に元気な顔に変わっていました。

 とても大勢なお見舞いの方々で部屋がいつもいっぱいになっているのでお医者様や看護婦さんが「○○さん疲れませんか、大丈夫ですか」と心配されてましたけれど、主人は「体は疲れますけれど、元気になります」と言って、長い時間、兄弟姉妹とのお交わりのときをとても喜んでおりました。

 家にいると、それぞれ自分のやることや行くところがあって、中々二時間も三時間も主人に寄り添い、聖書を読んだりゆっくり話したりすることがなかったですし、また集会でお会いしても中々ゆっくりと兄弟姉妹とお交わりする機会もなかったので、私にとっても、とても恵まれた豊かな時を与えられ嬉しかったです。一ヶ月の放射線治療が終わり、痛みもなくなったので退院することになり、自宅でおいしいものでも食べて体力をつけて、少し歩けるようにリハビリをしようと本人も言っておりました。

 ちょうど桜の花が咲く頃なので車椅子でお花見に行こう、とか、4月中旬に長野の御代田でバイブルキャンプがあるので行きたい、と言っておりました。ところが、退院して三日目ぐらいから具合が急に悪くなり、ベッドから起き上がれない状態になり、坂を転がり落ちるように弱っていきました。そして召される四五日前から話すこともままならない状態になり、ほとんど寝ていることが多くなってしまいました。

 「お祈りしてくれる?」と聞くと「ウン」と言うようにうなずいて「愛するイエス様・・・今まで自分のことしか考えていませんでした、悔い改めます・・・ごめんなさい、悔い改めます、悔い改めます・・・イエス様のお名前によって、祈ります」とやっと聞きとれる声で祈りました。私が「今まで64年間生きてきてどんな人生だった?」と聞くと、しばらくして「いまーが、一番いい。いまーが、一番しあわせだ。一日、一日、幸せが増してくる」と涙を流して言いました。それを聞いて、私も「いまーが一番しあわせよ、はじめさんが病気になって痛くて苦しい思いをしたでしょうけど、そのおかげで、私はこんなに幸せだと思えるようになったのよ、ほんとうにありがとう」と二人で泣きながら感謝しました。

 今まで36年の結婚生活でこんなに主人と心をひとつにして喜べたのは初めてでした。私の理解をはるかに超えた喜びでした。夫の命がもう余り長くないとわかってから、私はただただ「主イエス様のご栄光を見たいです、私たちに見せてください、夫婦で心をひとつにして喜びたいです。どうぞよろしくお願いします!」と毎日必死で祈っていました。その祈りをイエス様は聞いてくださり、想像を絶する形で願いをかなえてくださったのだと心から主を恐れ、また感謝しました。

 そして召される三日前から二日前に変わる深夜、私と長男じゅんいちと次女マナが主人のベッドのそばにいる時、じゅんいちとマナの手を握り、今までになく毅然としたはっきりとした声で今じゅんいちが証ししたような話をし、その後私に「まだ僕はこの世にいるから自分に汚い黒い罪がいっぱい付いている、今水をかけて体を洗い流してほしい、この汚いものが付いているまま天国に行くのは申し訳ない、自分は今まで天国に行けると、確信はあると、口では言っていたけど、今このように出発しようという時になって、確信なんてなかったことに気がついた、天国に行くのが嬉しい、本当に嬉しいんだよ。こんなにうれしいのに今までこの喜びをみんなに伝えて来なかったことを本当に申し訳なく思う、本当に恥ずかしい」と心から悔い改めているのがよくわかり、みんな感動と感謝で涙を流しました。

 私が「わたしたちも皆(み)んな、おんなじよ、でもイエス様は十字架にかかってくださって、私たちの罪をすべて帳消しにしてくださったじゃないの、そのまんまでいいから、わたしのところに来なさい、と言ってくださっているじゃないの。だから何も心配しなくていいのよ」と言いますと「本当に、そう? 本当に、そう? 本当にそれでいいの。安心した!軽くなった!今までずっとそのことがひっかかっていたんだ。ずっと。」と言って「よし、行くぞ!」と言ったのです。「どこへ行くの? 天国?」と聞くと「ウン!」とうなずいたので「まだ行かないで!『あと一日待ってください』、とイエス様にお願いして! だって、あすは兄弟姉妹方が来て礼拝をしてくださるし、ミサも帰ってくるから・・」と言うと、うなずいていました。

 翌朝私が主人に顔を見に行くと、私の顔を見て「まだこの世なの」って言うんです。「そうよ、この世よ」って、「ナーンだ」って言うんです。それでそのあと、私の両親が顔を見に主人のところに行くと「今まで何もできませんでした。今までお父さんとお母さんのこと嫌いになったこともありましたが、ほんとうは大好きです。ぼくには天国の中心にイエス様がいるのが見えるんです。イエス様の顔が見えるんです。だから、お父さんとお母さんにもイエス様を信じて天国に来てほしいです。」と必死に伝えていました。最後の力を振り絞って、イエス様が実際に生きて働いていることを伝えたかったのだと思います。

 兄弟姉妹が来て礼拝をしてくださり、良く話し顔つきも嬉しそうで「よかった、ほんとうによかった!」と言っていました。兄弟姉妹と「天国でまた会いましょう」と約束し、しばらくの別れを告げて帰られるのと入れ替わりにドイツから長女のミサが帰宅し、夫と最後に話すことができ、すべて整えられ祝福をたくさんいただいて翌朝五時前に天国へ一足先に行きました。

 今年一月から本当に短い間でしたが、奇蹟と思える喜びや感謝にあふれる出来事をたくさん与えられ本当に幸せな毎日でした。この三ヶ月の間、与えられた喜びや感謝を忘れることなく、一日一日を天国で再会できるのを楽しみにして、残されたこの地上での生活を歩んでゆきたいと思っております。今まで主人と親しくしてくださったお友達の方々、学校で関わりお世話になった方々、また子供たちの友人の方々、会社でお世話になっている方々、そして毎日祈ってくださり交わってくださった集会の多くの兄弟姉妹の方々、ほんとうにありがとうございました。心より感謝申し上げます。そして今日ここにイエス様が呼んでくださったすべての方々が全員主イエス様に導かれ、豊かに祝福されますように、またそうなることを確信してお祈りいたしております。最後に主人が好きであった聖書のみことばを二箇所読んで終わらせていただきます。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい、神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。(旧約聖書  伝道3:11)

いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(新約聖書 ローマ5:2~5)


(写真は絵葉書『ノアの箱舟に入る動物たち』PAUL DE VOS作<フランドルの画家 1595~1678>より転写。1ペテロ3:20。)

2010年5月17日月曜日

閑話休題


 ヴォーリズさんの日本における働きを連載していて、この数週間中断させていただいている。この稀有な人物が滋賀県の近江八幡市にやってきて極めて目覚めた主の証し人としての働きをされたことはこれまでの叙述でもわかる。
 
 しかし、私には疑念があった。なぜこれほどまで大きな働きをなされたヴォーリズさんの信仰は結局、メンソレータムや様々な建築、また学校事業に収斂していって、肝心のイエス・キリストの救いの直截な伝達から離れていってしまったのだろうかという疑問であった。

 高校受験のとき、県立高校の合格の自信がなく、「近江兄弟社」の高校入試を受けたのが、物心ついての私が初めてこの団体の名前を知ったときであろう。「兄弟」という名称をふくむ、およそネーミングとしては異質なものをふくむ学園名は私にとってなじめない存在であった。(学校といえば真理の伝授のみと考えていた私にとって「兄弟」という人情的なものが入るのは胡散臭いと考えて嫌だったのだが・・・)その私も10数年後に、キリストの福音に触れ、救われ、兄弟姉妹と言われる人々とのお交わりを今日まで続けるに至っているから、人の考えは当てにならない。

 それはともかく、近江兄弟社学園の出身者、またその学園の経営に関わる人々など私の身近にはザッとあげても十指に余る人々を思い浮かべることができる。しかし、そのいずれの方ももはや福音とは縁遠い立場に置かれている人が多い。だとすると、この明治30年代にはるばる米国からやってきた一青年の志とは何だったのだろうかと思わされるからである。

 日本には各地にミッションスクールがある。ミッション出身ゆえに「キリスト教」はすでに自分の体の一部だと自任する方も多いのでないだろうか。一方、このことは聖書そのものを読むと、誰もが主イエス・キリストと個人的に出会わなければ、神の子とは決してなりえない事柄であることにも気づかされる。創設者はいずれも神の子としてそれぞれの事業を行なった。その恵みは尽きないと思う。それにもかかわらず、その創設者の意志がそのまま生かされているとは思えない。一体どこに原因があるのだろうか。

 最近、ウォッチマン・ニー全集30巻『正常なキリスト者の召会生活』をゆっくり読んでいる。それは私の聖書理解に新しい光を与えるものになっている。そして同時に上述の私の疑問に答えるものの一つであるように思えてならない。そのことに直接触れた個所があるのだが、今日はミッションにかかわりがないところであるが、主の働きを、いかなる働き人も妨げ得ない、またはそれはするべきでないということのウォッチマン・ニーの記述を総論として読みたい。以下、その彼の叙述を引用させていただく。

 主のために働くすべての使徒たちは、必ず霊的なことを多く追求して、霊的な真理の上で光がなければなりません。霊的ないのちの経験が豊かで、神に喜ばれる働き人、また諸集会に喜ばれる働き人になるよう、よくよく努めねばなりません。さまざまな事柄で勝利を得たいと思うなら、ただ霊において勝利すべきであって、絶対にあなたの権威を用いてはなりません。もしあなたが霊的であれば、必ず当地の集会の権威の下に服することを学ぶでしょう。

 当地の集会があなたを受け入れないなら、通り過ぎて行きなさい。あなたと特別な関係のあるいわゆる「集会」を別に立てることはできません。多くの宗派が成立したのはすべて、地方集会の権威に服そうとしない神のしもべによります。特別な教理を掲げているいわゆる「集会」が起こるのはどうしてでしょうか? それは、ある者たちが地方集会から拒絶されたために、別に新しく一部の人たちを集めて、自分たちのある種の教理を維持しようとしたためです。これが宗派です。

 もし真に神の光が与えられて、ある地方に行こうとするなら、神が門を開いてくださるよう求めなければなりません。ある地方集会がわたしたちの真理を受け入れたなら、神に感謝します。もしわたしたちの真理を受け入れず、反対する兄弟がいるなら、ただ神が門を開いてくださるように待つだけです。多くの神のしもべたちは、神が真理を啓示してくださることを信じるのですが、神が真理のために門を開いてくださることを信じません。わたしたちは、神が光を与えてくださることを信じますが、神がかぎを握っておられる方であることを信じようとはしません。

 ですから、わたしたちは血肉の力をもって人々を自分たちに従わせようとして、神の子たちの間を破壊するような働きをするのです。あるいは、地方集会以外に別の「集会」を立て、集会の合一を破壊し、神の集会に損害を与えるのです。わたしたちはただ光が与えられることを求めます。そして、神が伝道の門を開いてくださるよう待ち望むのみです。神は光を与えてくださり、また門を開いてくださる神ですが、たとえ環境の中で神が門を開いてくださらなくても、わたしたちはただ神が按配してくださった環境の中で満足するだけであり、神の子たちが分散しないようにします。(If God Himself does not remove the obstacles in our circumstances, then we must quietly remain where we are, and not have recourse to natural means, which will assuredly work havoc in the Church of God.)

 以上が同書236頁以下の文章の引用であり、『近江の兄弟』の再開に当たって同書をそのような視点で引続き読んでいきたいと思う点である。基本的には『正常なキリスト者の召会生活』の翻訳文にしたがっているが、文中「集会」は原語ではChurchで翻訳本では「召会」となっている。だから、「教会」と訳せるところであろうが、私は「集会」とあえて置き換えさせていただいた。最後にこれらの文章の根拠になっているみことばを一つ載せさせていただく。

こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(新約聖書 使徒28:30~31)

(写真は古利根川左岸の風景。虞美人草、ポピーが一面に咲き誇っている。どうして主なる神はこんなに豊かな絵の具をあの土に隠しておられるのであろうか)

2010年5月16日日曜日

天国(下) ハーマン・ゴッケル(柴田千頭男訳)


 “しかし、キリストがこれらの約束を、果たしてくださる力があると確信できるだろうか” そうです、わたしはそう確信できます。どうして? キリストご自身が死からよみがえり、罪と死と地獄に対する勝利者としてのご自身を、あきらかになさったからです。主の死と復活と昇天後、約60年以上もたってから、主は愛する使徒ヨハネ(父なる神の家についての、救い主の慰めに満ちたことばをしるした人)にあらわれて、こう言われました。

「わたしは最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている」(新約聖書 ヨハネ1:18)

 その死よりの復活によって、キリストご自身、約束を守る力を持ったかたであることを証明なさったのです。主が墓に打ち勝った事実は、わたしたちの永遠のいのちの保証でもあります。からになった墓は、いつかわたしたちの墓も同様にからになることを宣言しているのです。「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」と、主は信仰者ひとりひとりに保証してくださっています(ヨハネ14:19)。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」(ヨハネ11:25~26)。

 キリストの復活という事実があるので、使徒もこう宣言しています、

「『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」(1コリント15:55~57)。

 同じ使徒は、ほかのところでも、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」と言っています(1コリント15:20)。初穂は、次にくるものへの前ぶれであるとともに、さらに全般的な収穫への初ものの味を持っています。それと同じように、キリストの復活は、わたしたちの永遠のいのちへの復活の保証であり、前ぶれでもあります。キリストの復活は、神の子によるあがないのみわざの最終的な承認なのです。そしていまや――わたしたちは、主が生きるゆえに、わたしたちも生きるのです。

 わたしは知っている
 あがない主が いま生きておられる
 この一言の与える なぐさめ!
 主は生きておられる 死んでまた
 いま生きておられる
 わたしの永遠のかしら
 主は いま生きておられる

 主は生きて 愛でわたしを祝福し
 主は生きて わたしのためにとりなし
 主は生きて かわいた魂をいやし
 主は生きて 苦難のときにお助けになる
 
 主は生きて 日々のいのちをお与えになる
 主は生きておられるため わたしも 死に勝つ
 主は生きて わたしの家を備え
 主は生きて わたしをそこへお導きになる

 そうです、主は「われを導き、かしこにいたる」ため、いま生きておられます。あのはるかなる家において、わたしの最も深い望みは、いっさい完全にかなえられてしまうのです。そこには、わたしのために所を備えてくださった救い主が、また、その所のために、わたしを備えてくださった救い主がおいでになるのです。「わたしが、いちばん心から愛した」人々がいるのです。そしてそこに、わたし自身、住むようになるのです! なんとすばらしいことでしょう。

 しかし、わたしがそこに住めるのも、神の無償の恵みと愛によるのです。その神の賜物こそ、「私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」なのです(ローマ6:23)。使徒中の使徒といわれた者が、その人生の終わり近く、この世の悩み、むなしさなどに思いをはせたときに、こう言わざるをえなかったのも、すこしも不思議ではありません。

「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。じつはそのほうが、はるかにまさっています」(ピリピ1:23)「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(ピリピ1:21)

 われ罪人の かしらなれども
 主はわがために いのちをすてて
 尽きぬいのちを 与えたまえり

 あまつみくにの 民とならしめ
 幹につらなる 小枝のごとく
 ただ主によりて 生かしたまえり    (讃美歌249番)

(以上が先週の金曜日Aさんの枕辺で私が朗読させていただいた文章です。文章中にありましたように「主は生きて」が何と12回もリフレインとして繰り返されたのでした。さしも鈍い私の心の耳朶を打つのに極めてふさわしいことばでした。私が昨日Aさんのお顔に心持ち赤味がさしたのではないかと申し上げたのは実はこの時のことでした。私どもは滅びなければならない肉体をかかえていますが、復活なさった「主イエス様」は確かに今も「生きておられる」お方です。だから私たちも死に打ち勝って生きることが約束されています。このお方に今日も真実の礼拝をささげる者でありたいです。)

2010年5月15日土曜日

天国(中) ハーマン・ゴッケル(柴田千頭男訳)

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住 まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あ なたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(新約聖書 ヨハネ 14章1~3)

 父なる神の家についての(この)主(イエス様)のみことばには、ひとつひとつに深い何かがあります。主はかつて、自分がそこにいたものとして、話しておられるのです! 「もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう!」。山頂に立って、はるかむこうの峡谷を見おろし、あとから来る同僚たちにいま見ているものを語って聞かせる人のように、主は、父なる神の家であり、わたしたちのものである家について、語っておられます。永遠の都の通りのひとつひとつに、主は通じておられるのです。父なる神の国の家々が、主の眼前には、はっきり輝いて見えるのです。主は谷のむこうに何があるのか知っておられるのです。主はそこからおいでになったかたです。

 ですから主は、「もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう」と言われるのです。かつて永遠の父なる神の家で、永遠の時を過ごし、そこにいたる道をも知っているかたを、自分の親友として持てるということは、じつに心強い保証ではありませんか。

 罪もないのに、わたしたちのため十字架の上で苦しまれ、死なれ、そこにいたる道を主はわたしたちにひらいてくださったのです! このように、神より来たあがない主のみ手の中に、わたしたちは自分の魂を、この地上だけでなく永遠にわたってゆだねることができるのです。

 この晩、主が少数の忠実な人たちに語ったみことばの中には、ひとつのしらべがあります。――そのとき以来、キリスト者の心に信仰と勇気をそそいでいる、心あたたまるしらべとなったひとつの保証です。

 それは、「また来る!」ということです。ちょうど、子供としばらく離れていなければならなくなった母親が、泣きじゃくるわが子の耳もとで、「また来ますよ」と保証するように、主も、そのきたるべき再臨という慰めの保証をなさって、弟子たちのおそれをなだめようとしたのです。「わたしは、いま去っていかなくてはならないが、しかし、『心を騒がしてはなりません・・・また来て』」と言われているのです。

 聖書の歴史は、主のこのお約束が、それ以来、どんな新鮮な勇気を、おじまどうかれらの心に効果的に与えていったかを告げています。“試練と困難、苦しみと迫害、これらのすべてに耐えぬかなければならないことはたしかだ・・・。しかし、それも主が再びおいでになるときまでなのだ。そのときが来たら、万事が完全にうまくいくのだ”――この世の終わりに再臨があろうと、弟子たちの死の際に再臨があろうと、この再臨ということがかれらの前途をくまなく、こんじきに明るく照らし出してくれたのです。かれらは、再臨の光にむかって進んでいったのです。この光の中においては、いっさいの影は自分たちのうしろになってしまいます。

 救い主の力と恵みに信頼している人たちすべての生活においても、それは同じです。いっさいの悲しみ、いっさいの心痛、いっさいの失望、死別さえも、「わたしは、また来る」という救い主のお約束の甘さの中で、にがさを消されてしまうのです。「わたしはあなたがたの悲しみを喜びに変え、心痛を歓喜に変え、死別を天の父なる神の家での再会に変えるため、再び来る」。

 また、主が父なる神に祈ってこう言われたのも、同じ夜のことです、

「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです」(ヨハネ17:24)。

 そして、これを再び弟子たちに繰り返したときには、主の願いと神の願いが、ひとつの約束になっております。

「また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:3)。

 イエスは、すでに父なる神の認可を得て、ご自分の友が、ご自分と共に父の家で栄光をわかちあえるようになさったのです。そのお苦しみと、死と、復活によって、主は父なる神の家の戸のかぎをお開きになったのです。そして、天がいまや開放された! これが、主が「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせる」と言われるわけです。この場合、あなたがたとは、主によって父のところへ来た人々のことです。

 主とともならん とこしなえ(永久)に
 Forever with the Lord!
 あめ(天)なるいのちぞ かぎりもなき
 みむねならば そのいのちを
 いや(卑)しき身にさえ 与えたまえ      (讃美歌483番)

(出典は『イエスがわたしにいみするもの(What Jesus Means to Me)』ハーマン・ゴッケル著柴田千頭男訳コンコーディア社です。この本は、小冊子ですがピリッとした良い本です。内容は「いのち」、「ゆるし」、「平安」、「ちから」、「備え」、「交わり」、「希望」、「真理」、「保証」、「喜び」、そして「天国」となっていますので、この部分は最後に当たるものです。この文章を私がAさんの枕元で朗読している間に、部屋に招き入れられていて最初は吼えていたAさんの愛犬メイ嬢もいつしか足元でスヤスヤと寝入ってしまいました。Aさんは病身の身を横たえながら、私の朗読を静かに聴いておられましたが、衰弱して来られたお顔に心持ちいくらか紅潮<あかみ>がさしてきた思いさえしました。聞き終えての談の中で「メイもお父さんと一緒に天国へ行くんだよ」と語りかけられるのでした。今日の写真はつる薔薇・カクテル。このところ薔薇の花が庭のあちらこちらに咲いて私の気を引きます。毎日不順な気候が続き気温も低く野菜をはじめとして植物の悲鳴が聞こえそうですが、Aさんとともに再臨の主を待ち望む日々でありたいと思います。)

2010年5月14日金曜日

天国(上) ハーマン・ゴッケル(柴田千頭男訳)


 ひとりの少女が、父親と一緒に、いなか道を歩いていました。夜の空はすっかりすみわたっていました。天空の果てから果てまで、輝く星に照らし出されている華麗な空の景色に、少女は心を奪われてしまいました。しばらく考えてから、少女は急に父親を見上げてこう言いました、「わたし、今、こんなことを考えていたのよ。天の反対側がこんなに美しいのだから、向こう側はどんなにすばらしいかしらって」。

 いまだかつて、天の父である神の家の、栄光、荘厳、華麗さは、ことばによっても、筆によっても、うまく表現されたことはありません。使徒ヨハネが黙示録の中で、天の栄光を、高価な宝石、装飾品、得がたい鉱石などを用いて言い表しているのも、かれはそれによって父の家が、こうこつとした美と、比類ない荘厳さをそなえた所であることを示唆しているのです。

 天国が美しくないところであるはずがありません。わたしたちの神がおられるところ、王の王たるものの王宮です。そしてその王宮に、神の子が、ご自身を救い主として信じている人たちのために所を備えにおいでになったのです。すばらしいことではありませんか。主のあがないの恵みを信じることによって、かれらはいつか天のかなた、主の家にのぼっていくのです。人間的なことばでは語りえない、精妙で、荘厳な、すばらしい主の家にです。

 エルサレム 黄金のみやこ
 乳と蜜(みつ)とが 満ちているところ
 あなたを思うとき
 心も声も いきをのむ
 わたしは知らない
 ああ わたしは知らない
 どんな喜びが
 どんな栄光の輝きが
 どんなに比類もない祝福が
 そこに わたしを 待っているだろう

 わたしはたしかに、そこにどんな喜びが待っているのか知りません。しかし神のみことばが真実であると同様、この天の栄光がわたしのものとなることを、わたしは知っています。そしてその確証を、わたしは、わたしの救い主であるイエス・キリストのうちに見つけたのです。聖書全体を通じて、もっとも心あたたまるみことばの一つは、主が裏切られたその夜に、数人の忠実な弟子と、荘厳な集まりをしたときの描写です。主はまさに迫りくる死の影の中で、ご自分にすがる弟子たちを慰め、次のような、忘れることのできないみことばを語っています。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。・・・・わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(新約聖書 ヨハネ14章1~3)

 ここには墓のかなたのいのちについての、何かがあります。そして、それがわたしたちの心を、全くおそれと厳粛な喜びで満たしてくれます。言い知れぬ栄光と荘厳さを備えた天についての思いだけでさえ、ときにはわたしたちをおそれさせ、こんな質問をさせます。「天国で気軽になれるだろうか。天の家で、のびのびしていられるのだろうか」。しかし、こんなわたしたちのおそれも不安も、わたしたちが救い主と共になり、天をさして「これが父なる神の家だ」と言うときがきたら、いっさい消え去ってしまうでしょう。この回転をしている宇宙の支配者が、キリストによってわたしの父となったのです。天へ行くことは、楽しい家路、父と子の楽しい再会となったのです。永遠という門の向こう側に、なつかしい父の家がある――この思いの中には、なんという慰め、力、喜びが、わたしのものとされていることでしょう。

 また、この夜、救い主は将来のことまで見通しております。そして、主に対する信仰を持つようになる無数の群れのことをお思いになって、これらの人たちにも父なる神の広さが無限であることを告げておくのがよいとお考えになりました。主への信仰をもって父なる神のもとへくる人のために、じゅうぶんに場所が備えてあるのです。主は信者たちにそのように保証なさって、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」と言われているのです(ヨハネ14章2)。

 わたしもまたじゅうぶん、自分のために住まいがあると、確信できるのです。愛をもってわたしをあがないの恵みにあずからせてくださったかた、また、天なる主の国に入る日までわたしを守ってくれると約束されたかたが、わたしのために所を備え、とっておいてくれると約束なさったのです。主が永遠の家の中にわたしのために所を要求し、備えていてくださるのです。「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」と使徒パウロは言っています(2テモテ1:12)。

 「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:8)

(今日はAさんの枕辺でこの「天国」についての文章を読ませていただいた。長いので三回に分けて掲載させていただく。すでにこのブログや前ブログでも紹介しているように二年越しにAさんと主にあって不思議と友情が保たれている。一昨年の末に不治の病を得たAさんは親友を通して主イエス様の救いを伝えられ信じ受け入れられた。そして今死を常時意識して病に伏しておられる。Aさんの心のうちにおられるイエス様がAさんの苦しみ・悩み・不安・恐れを一手に引き受けていてくださる。ともすると弱音を吐きそうになられるAさんを主イエス様が天の父なる神様のみもとに引き上げてくださることを確信している。)

2010年5月11日火曜日

母の日に寄せて(下) クララ


 日々己を捨てて神の国を建設して行く所に人類の貴さと幸福が生ずるのではありませんか。現代の混乱の根がどこにあるかと言えば、婦人達が天職を理解し得ず、苦難から身を引こうとする弱さと、賢く善処する力が足りないのではありますまいか。

 育て易いという扱われ方で育てられて来たお互いは、境遇の浪を乗り切る力も足らず、幸、不幸も運命の祭壇にまかせ、唖の座にいますなら水準を引き上げて行くことは出来ません。さりとて婦人達が男子の先に立つとか、動かすとかいうことがよいのだというのではありません。婦人は何々をしたということよりむしろ、如何に存在したかということに重点がおかれましょう。もし男子の存在が道なき所に道を開く瀑布の水であるとしたら、婦人の存在は花園に置く夜露のような水で、自分の姿を消して他を生かすものでありたいと思います。

 ずっと以前、私が不快で床づいていますと小さな娘が一本のしおれきった花をもって来て「お母様、お花を上げましょう」と枕元のコップに水をさしてくれました。暫くすると花はうなだれた首を静かに上げ始めまして見る見る元気を回復しました。ああ生命の水、目に見えぬこの力こそ、婦人のもつべきものではないかと自らを訓したことでした。

 パウロが婦人達を称賛した言葉は、彼女等が多くの人の保護者であり、また自分の保護者であった、わがために生命を惜しまず苦労をいとわず尽くしてくれたということでした。か弱い婦人達の心づくしが世界的偉人の活動の助けとなり、心のうるおいとなったのであります。もしや私共婦人達の生活の目的が、肉の一生を美化し、楽しんで行くというところに満足を求めているのであったとしたならば、何と失望を多いことでありましょう。私共はブラウニングとともにうたいたいと思います。

 もし人が歓楽のみを追い求め、味って、
 それに生くるように造られたならば、
 生の誇りのいかに貧しきことよ。
 歓楽おわりなば、
 もはや最後あるのみである。
 されば地の平滑を破るところの
 おのおのの惨害を歓迎せよ!
 座せしめず立たしめず進ましめるところの
 おのおのの刺をも。
 努めよ、毀害を軽くかぞえよ。
 学べ、苦痛を意とすな。
 勇め、痛苦をつぶやくな。 

 我々は婦人の水平線を伸ばすのではなく高めて行きたいと願うのです。

 その生活様式が金殿玉楼であろうと九尺二間であろうと、そこを使命の場としてそこから人類へ幸福の種を蒔き散らしましょう。およそ婦人のつとめは有用な人物、世を祝福し得る人物を送り出すことではありますまいか。それゆえに、お互いの胸がよき苗床とならねばなりません。お互いにこの一貫した目的のために苦労を忍んで戦いましょう。有意義な苦労には必ず力が加えられます。

 使命に対して高度な意義を学び、退かず諦めずして進み行きますならば「終わりは初めより善し」と過ぎし日をかえりみて、深い感謝をもつことでしょう。よしや時代思想の急流が親子の考えを通じ難いものとしても、失望する必要はありません。新しき善きものの生まれ出ずることを期待して待ち望むなら、希望は恥を来たらせずです。

 お互いに母としての私共は、世にある日も世を去って後も、子供らの心の胸を飾るカーネーションであり、彼等の道に香りを残すカーネーションの花であり得ますように!

(文章中、パウロ云々と書かれていますが、それは内容からすると「ローマ人の手紙」に二箇所あるのがそれでないかと推察されます。「あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。」<ローマ16:6>「主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。」<同16:12> )

2010年5月10日月曜日

母の日に寄せて(中) クララ


 幾度となく、男子より女子の方が育てやすいという言葉は耳にして来ました。たしかに苦難に堪え得るように婦人の体は強く出来てはいますが、それは肉体のことで、人類としての婦人という意味ではありません。

 女の子を社会人たる婦人にまで、ことに母たる婦人にまで仕立て上げることと、男子を社会人たる男子にまで育てることを思いますと、「いずれが易き」と口走ってしまうのです。女子は育て易いというような安易な考え方をもって来た長い伝統が、今日のような婦人を、そして社会をつくり上げたのではありますまいか。母たり妻たることの至難さを思いますとき、自らは娘等を育てることの難事を身に浸みて感じます。

 私は自らがもつ母たる幻、描いている母の像、妻の姿、婦人としてのあり方などを考えまして、あまりにもおよばぬ自分を見ますとき、婦人の教育の容易ならぬことを思います。女子は育て易いという所に婦人の天職への無理解があり蔑視があると考えられます。婦人自らもその天職を軽視しているのではありますまいか。

 男子はある意味において各自の性格に合う方向を定めてそれに邁進し努力しますなら、社会人として遜色なく生活して行けますが、婦人は結婚によって、その相手によって、方向も趣味も万事を整えて行かねばなりません。移植された場所でよい花を開き実を結ぶように育てねばなりません。婦人は氏なくて玉の輿に乗ることもあれば、手鍋下げることもありましょう。町家の娘が学者と、芸術家が教育家と、東北人が関西人と・・・これ等は避けたい取り組といわれますが、それであっても征服し得る心を育て、事情境遇を善きに変え、時には逆風を利用して前進し、無風にも停滞しない訓練をしておくことが必要です。何と考えましても婦人を育てることは容易でありません。ソロモン王の伝道の書に「わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった」と記していますが、それほど婦人たることは容易ではありません。

 近頃の社会の嘆かわしい現実は、離婚数の激増であります。これは自らの不幸を避けようとしての方法でありながら、実は世を不幸に追い込む道程となるのです。嵐に巻き込まれた子供らは、ベース・ボールの玉のように、あっちにやられこっちにやられ、安定しない生活の惨めさと、不健全な愛のもとに育つ人々の社会は、結局婦人に不幸という贈物が届けられるのです。

 男子の身勝手は別として婦人の心構えを充実させたいものです。性格の相異などという言葉の流行が離婚を正当化して行く現代、もしこの言葉を勝手に利用するなら、親子も、嫁姑も、また兄弟同士さえも分離争闘が当然化して、そこには自制も聖書のみことばの命令(※)も道徳律も却下されて、敵を愛するなどとは全く寝言に過ぎないものとなります。(続く)

(昨日に引続き、小原鈴子さんの文章である。名門徳川家に生まれた彼女は、「幼少より真理と自由を求めての志は止みがたく、ついにキリストに至って開花する。二十一歳で東洋宣教会聖書学院に入学、わけても笹尾鉄三郎師の導きをうく。1916年<24歳>小原十三司と結婚、案ぜられた病弱の身に神は11人の子らを恵まれた。うち5人は召さるるも・・・」とこの本のしおりには紹介されている。なお文中で引用されている聖句は伝道者7:28である。この聖句の前の26節には「私は女が死よりも苦々しいことに気がついた。」とある。※部分の原文は「宗教」とあったが、「聖書のみことば」と変えさせていただいた。「われもまた 庭の片隅 凛と咲く 石楠花にぞ 婦人思えり」)

2010年5月9日日曜日

母の日に寄せて(上) クララ


 母の日! 現在世界的行事となっていますこの日も、源を尋ねませばヴァージニア州の片田舎の教会に端を発しています。この教会の日曜学校教師、篤信のジャービス夫人の永眠後、教会の婦人会によって追悼会が開かれました。その折アンナ嬢が母の生前の言葉を思い出し、恩愛を偲ぶために一箱のカーネーションの花を贈ったことが基となり、遂にジョン・ワナメーカーの協力を得て氏経営のデパートの店頭で、五月第二日曜を期して開かれました母の日の催しが、僅々十数年の間に(1914年アメリカ合衆国の議会で五月第二日曜を母の日と定む)世界的行事となったものだと記されています。今後ともこの美しい行事は年毎に拡大され、母への感恩と母たる反省の心が育ち行くことでしょう。

「母の日に祝福あれ!!」

 私はなき人を偲ぶ白カーネーションを胸に香らせつつ、在りし日の母を思い浮かべて、今は退場した特権階級の、隷属の唖の底にすえられた女の一生を考えますとき、胸にたぎるものを覚えます。そして婦人自らの精神的水準がこのままであってはならない、与えられたレベルでなく、かち得た座をしみじみと願うのであります。

 人類が存続する限り、母と子の関係は在りつづけます。そして、世界が擾乱に渦まいても、よき母と子とがいる所に、良き原型が存在します。よき原型なしによき社会は構成され得るものではありません。

 一体人類の道徳的水準、進歩発達は母を如何に扱うかによって定まるものだという言葉は思考させるものがあります。

 人間の最も有りのままの姿は母と子の在り方です。何の不自然さも加えられず、少しの疑惑も混じらない、純な魂と愛情をそのまま母の懐にゆだね、母は愛情の乳を注ぎこんで育てる所に未来への期待が結ばれていきます。

 昔イスラエルの国が道徳的に頽廃し、恐ろしい混乱状態を呈しました時、エレミヤという預言者の歌の中に記されていることは、「山犬さえも乳房をたれて、その子に乳を飲ませる。ところが、わが民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった」と、婦人が己が使命を忘れ、己が乳飲み子さえかえりみないと嘆いています。母が子を忘れるということは人情の最後、愛情の滅亡であります。たとえ世界がどんな事情の中にあっても、母という字は希望の灯であり、巌のはざまに咲く紫のすみれのようになつかしいものです。私は自らが母となった時、子供の生涯の幸・不幸の種をまくのは母の手であると思いまして、恐ろしさにただ神の助けを祈るのみでした。

 女性の歴史も時に伴って幾変遷していますが、その本質的使命、造られし目的は昔も今も変わりなく毅然として保たれています。紀元前三世紀半頃記されたという箴言のうちに、理想的婦人を描写したところで「その子らは立ち上がって彼女を祝し」とありますが、これこそ母の日の真髄であり、真のあり方ではありませんか。母を貴み得る家庭とその子等とは幸福であります。

 「よき母をもつ家庭は最高度の幸福を享受し得る」との言葉は味わい深いものであります。種々と婦人を軽侮した書物を見ますとき、多くの場合著者がよき母に恵まれていなかったか、妻に恵まれなかったため、性格にさえ欠陥が生じたことと思われます。もし善き母、善き妻に恵まれていたなら、その人は婦人を敬愛し、その人格さえ美しい香りを漂わせます。

 我が国でも過ぎし時代においては、婦人のあり方が軽んぜられ、高度の教育をうける機会さえ与えられておりませんでしたし、母の重要性さえ見のがされていました。これは国にとっても社会にとっても悲しむべき大きな損失であります。

 ある日、遠来の客と炬燵を囲んで話し合っていました。話題は将来のこと、お子方のことにおよびました。その中に、
 「女の子は育て易いのですが」
との一言が耳をうちました時、私の心の底から猛然として頭をもたげた反発をどうしようもありませんでした。
 「先生、それはちがいます、私はそうは思いません」
と思わず強い否定を私の唇からすべらしてしまいました。

 元来弱い私は十一人の子供をもちましたが、その中男の子は八番目に唯一人でした。ですから私共より他の方々の方がその誕生を喜んで下さったほどでした。ところが僅か一ヶ月で亡くなりました。私はその意味を悟りますのに長い月日が必要でした。結論として私の得たものは、もし男の子が一人でもありましたら、その教育に心を奪われて婦人のあり方についてこれほどには考えずに過ぎたと思いますが、残されました六人の女の子を育てましたことは、私にとっては幸福であり有益であったと思います。女の子の教育に成功したというのではありませんが、婦人の使命とあり方について考えつづけて、少しでも学び得たということを今日感謝しています。(続く)

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著134頁以下より引用。文中の聖句はそれぞれ「エレミヤ哀歌4:3」、「箴言31:28」である。「母の愛 カーネーション ささぐ子等 箴言示す 祝福なり」)

2010年5月7日金曜日

・・・偽善者たちのようにはしない  ウオッチマン・ニー

 最近、「報い」ということを考えます。自分のしていること、思っていることが、本当に主によって嘉(よみ)せられることなのか。たとえば、この「ブログ」は目に見える形で私の死後も残存するでしょう。しかし本当にそうと言えるのでしょうか? なくてならないもの、永遠に残るもののためにこそ、自分の人生を使い果たしたいです。以下の文章はこのところ読んでいます中国人ウオッチマン・ニー兄弟の「このように祈りなさい」という文章の抜粋です。

 主は言われます、「またあなたがたが祈る時、偽善者のようであってはならない。なぜなら、彼らは人に見られるために、会堂の中や街角で立って祈ることを好むからである。まことに、わたしはあなたがたに言う。彼らは自分の報いを十分に得てしまっている」。祈りは、神と交わるためであり、神の栄光を表すためです。しかし、偽善的な人たちは、神に栄光を帰す祈りを用いて、自分の栄光とします。ですから、会堂や街角で立って祈ることを好みます。彼らがこのように行なうのは、わざと人に見られるためです。会堂や街角は公の場所で、人が行き来するところです。彼らの祈りは、神に聞いてもらうためではなく、人に見られるためであり、結局、自分を表したいのです。彼らのこのような祈りは極めて浅はかです。それは神に対する祈りとは言えず、神との交わりとは見なされません。この種の祈りの背後にある動機は、人から栄光を得ようとすることであり、神の御前に少しの蓄えもありません。ですから、神から何も得ることができません。彼らは今日、その報いを受けており、人の称賛を受けています。ですから、将来の王国では、覚えられるものが何もないでしょう。

 それでは、わたしたちは祈る時どうすべきでしょうか? 主は言われます、「あなたは祈る時、自分の密室に入り、戸を閉めて、隠れておられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れて見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださる」。ここの「密室」は比喩です。「会堂と街角」は、公の場所を指し、「密室」は隠れた所を指します。兄弟姉妹よ、あなたは会堂の中に隠れたところを見いだすことができますし、また街角にも隠れた所を見いだすことができます。あなたは人の行き来する所に隠れた所を見いだすことができ、列車の中にも隠れた所を見いだすことができます。隠れた所とは、あなたと神とがひそかな交わりをする場所です。すなわち、あなたが故意に自分を表そうとしない場所です。「自分の密室に入り、戸を閉めて」という意味は、この世を外に締め出し、自分を内側に閉じ込めることです。言い換えれば、あなたは外側のどんな声をも顧みず、ひたすら静まり、一人であなたの神に祈ることです。

 あなたはこのように、「隠れておられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れて見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださる」。これは何という慰めでしょう! 隠れておられる父に祈るのには、あなたの信仰が必要です。あなたは外側では何の感覚もありませんが、あなたは隠れておられる父に祈っていることを信じなければなりません! 神は隠れておられます。神は隠れた所に、人の目には見ることのできない所におられます。しかし、神はそこに実在しておられるのです。神はあなたの祈りを軽んじず、そこであなたを見ておられます。これは、彼がどれほどあなたの祈りに注意しておられるかを告げています。彼はあなたを見て、それで去られるのではありません。彼は必ずあなたに報いられます。兄弟姉妹よ、この言葉をあなたは信じることができるでしょうか? 兄弟姉妹よ、主は報いると言われたなら、必ず報いられます。ここで主は、わたしたちが隠れた所で祈ったことは決してむなしくならないと、保証しておられます。あなたの真実な祈りに、父は必ず報いられます。すなわち、今日は報いがないようであっても、必ずある日報いられます。兄弟姉妹よ、あなたは隠れた所での祈りを、父が隠れて見ておられるのを経験したことがあるでしょうか? あなたは、父が隠れて見ておられ、必ずあなたに報いられることを信じるでしょうか?


(ウオッチマン・ニー全集第二期第22巻「集会の生活・召会の祈りの務め」228頁~230頁より引用。今年も「木香ばら」が咲いた。今が盛りである。)

2010年5月1日土曜日

望みの門(下) F.B.マイヤー


 たぶん、ある人々は、これを読むうちに、自らの写真を発見されるであろう。すなわち、自らの生活になぜこうも多くの失敗と敗北があるか、その内的理由を発見されるであろう。八方ふさがりで、道にはいばらのかきが立てられている。御使いたちは狭い道に抜き身の剣をもって立ち、両側には壁があり、一歩も前進できない。苦々しげに、彼らは、「ナオミ」と呼ばれることを断わる。※(1) それは、主が彼らをひどく苦しめられたと思えるからである。彼らが航海しているその船は、彼らがその船に乗って渡航しているので、船員や積荷とともに沈没する運命にある。※(2) ヨシュアのように、彼らは衣服を裂き、主の前にひれ伏し、ちりをかぶる。しかし、ヨシュアに対するごとく、彼らにも主は、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。・・・イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当たることはできないであろう」(ヨシュア7:10~13)と言われる。

 われらの忠実な大祭司

 心のうちに、おごそかなる召集がなされるまでは、アコルの谷から救い出されることは不可能である。すなわち、私たちの内的生活の動機・目的・意向のいっさいが召喚されなければならない。くじは厳粛に引かれなければならない。それは内的生活か外的生活か? もし内的生活なら、それは心か霊か? そして、もし心なら、それは過去か現在か未来か、過去にあったものか前途にあるものか、追憶か希望か? そして、もし、これらのいずれでもなく、現在、何かの悪を心に許しているなら、それは感情にあるか意志にあるか? このように私たちは、次から次へと、失敗の原因と思えるものをふるい分け、ついに私たちは聖霊に導かれて、いわば、「ユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカン」が、いっさいの敗北と不幸の原因であることを発見する。そして、ひとたび彼が指摘されたなら、私たちは決して彼にあわれみを示してはならない。私たちが自ら救われるために、私たちの敗北と失敗の原因は滅ぼされなければならない。もし私たちがいのちにはいることさえできるなら、結局、かたわになることも高すぎる代価ではない。

 そして、もし私たちが、私たちの敗北と損失の原因であったアカンをば強力に処理するには柔弱すぎるなら、私たちのあわれみある忠実な大祭司のもとに行こう。彼はその手にたましいと霊の分かれ目さえも刺し通す鋭利な両刃の剣を持ちたもう。※(3) 私たちは自分でなし得ない、または自分であえてしようとしないことを、彼が私たちのためにしてくださるよう懇願しよう。彼は私たちが苦境にある時、私たちを見捨てられない。彼は事情に応じて、やさしく、また、徹底的に仕事をされる。そして、アコルの谷で仕事が終わった時、私たちに「望みの門」が開かれる。

 勝利への道

 この記事を書いている時に、私の手もとに届いた一つの手紙のうちからここに引用させてもらうことにしよう。――「去る6月、クリスチャンではないひとりの青年との婚約を継続することについて、先生のご意見をうかがいました。そして、その時、私はあまりにも自らの力に頼っていたと思いますが、きっぱりと断念することを心に堅く決しました。ですが、しばらく前に、私が弱きをおぼえている時に、その問題が再燃いたしました。その時以来、私の生活は敗北と失敗以外のものでなくなりました。ですが、数週間前のアカンについての説教は私がどんなにまちがっていたかを明らかにしました。そして、激しい苦闘の後、神の御力によって、私の生涯のいっさいを神の御手にお渡ししました。この婚約は私にとって、みこころでないということを確信して、私はいま非常にしあわせです。ああ、もし人々が、神さまが彼らを通して生きられるように自らを明け渡すなら、もっと彼らはしあわせであり得ましょうに!」 この場合、アコルの谷に「望みの門」が開かれたのである。

 なんとしばしば、私たちの大敵は、もし私たちが不屈の精神をもって敢行するなら、必ず味わわなければならない苦痛を示すことによって、ある必要な自己否定の行為を私たちにさせまいと試みることだろう。しかし、彼は、もし私たちが、あえて、神の御霊の励ましに従うなら、いかに多くの祝福が私たちの生活に傾注されるかを告げることができないし、また告げたくないのである。ただ私たちは、もし、あえてアカンを石で撃ち殺そうとするなら、どのアコルの谷にも、望みの門があることを信じようではないか。そして、この谷に、アカンが横たわる石塚が築かれる時、私たちは連綿と続く勝利の道に上っていくことができる。神が真実であるごとく、たしかに、どのような悩みのうちにも、そこから確実で栄光ある勝利にはいる道がある。ただ私たちが悩みのうちにあって、アカンに対する神のみこころを行いさえするならば。

 かの望みの門から私たちがどのような祝福の道を行くか、そのすべてを語る時間がない。そのいくつかを数えてみよう。
 「彼女は歌をうたうであろう」(15英訳)。心から失せていた喜びが帰ってくるであろう。「あなたはわたしを『わが夫』と呼ぶ」(16)。神を知る、より深い知識ができるから、神は「主人」よりもむしろ「夫」と呼ばれる。「わたしは契約を結ぶ」(18)。すべて造られたものとの祝福された調和が実現するであろう。「わたしは答える」(21)。祈祷に新しい力ができる、そして、祈りの答は、めいめいの足跡に続き、すみやかなる応答が与えられるであろう。

 こうして私たちは、悩みから祝福に、墓から生命に、鉄の門を通って自由にはいるであろう。そして、最後に、私たちが、多くの人々にとっては、まこと、アコルの谷である死の陰の谷を歩むとき、そこでも、突然、望みの門が開かれるのを見いだすであろう。その門を通って、私たちは光まばゆい御父の宮殿に、また、太陽の没することなき地にはいるであろう。

(引用者註:※(1)民数22:21以下 ルツ記1:20他 (2)使徒27章、ヨナ書 (3)ヘブル4:12)