2010年5月9日日曜日

母の日に寄せて(上) クララ


 母の日! 現在世界的行事となっていますこの日も、源を尋ねませばヴァージニア州の片田舎の教会に端を発しています。この教会の日曜学校教師、篤信のジャービス夫人の永眠後、教会の婦人会によって追悼会が開かれました。その折アンナ嬢が母の生前の言葉を思い出し、恩愛を偲ぶために一箱のカーネーションの花を贈ったことが基となり、遂にジョン・ワナメーカーの協力を得て氏経営のデパートの店頭で、五月第二日曜を期して開かれました母の日の催しが、僅々十数年の間に(1914年アメリカ合衆国の議会で五月第二日曜を母の日と定む)世界的行事となったものだと記されています。今後ともこの美しい行事は年毎に拡大され、母への感恩と母たる反省の心が育ち行くことでしょう。

「母の日に祝福あれ!!」

 私はなき人を偲ぶ白カーネーションを胸に香らせつつ、在りし日の母を思い浮かべて、今は退場した特権階級の、隷属の唖の底にすえられた女の一生を考えますとき、胸にたぎるものを覚えます。そして婦人自らの精神的水準がこのままであってはならない、与えられたレベルでなく、かち得た座をしみじみと願うのであります。

 人類が存続する限り、母と子の関係は在りつづけます。そして、世界が擾乱に渦まいても、よき母と子とがいる所に、良き原型が存在します。よき原型なしによき社会は構成され得るものではありません。

 一体人類の道徳的水準、進歩発達は母を如何に扱うかによって定まるものだという言葉は思考させるものがあります。

 人間の最も有りのままの姿は母と子の在り方です。何の不自然さも加えられず、少しの疑惑も混じらない、純な魂と愛情をそのまま母の懐にゆだね、母は愛情の乳を注ぎこんで育てる所に未来への期待が結ばれていきます。

 昔イスラエルの国が道徳的に頽廃し、恐ろしい混乱状態を呈しました時、エレミヤという預言者の歌の中に記されていることは、「山犬さえも乳房をたれて、その子に乳を飲ませる。ところが、わが民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった」と、婦人が己が使命を忘れ、己が乳飲み子さえかえりみないと嘆いています。母が子を忘れるということは人情の最後、愛情の滅亡であります。たとえ世界がどんな事情の中にあっても、母という字は希望の灯であり、巌のはざまに咲く紫のすみれのようになつかしいものです。私は自らが母となった時、子供の生涯の幸・不幸の種をまくのは母の手であると思いまして、恐ろしさにただ神の助けを祈るのみでした。

 女性の歴史も時に伴って幾変遷していますが、その本質的使命、造られし目的は昔も今も変わりなく毅然として保たれています。紀元前三世紀半頃記されたという箴言のうちに、理想的婦人を描写したところで「その子らは立ち上がって彼女を祝し」とありますが、これこそ母の日の真髄であり、真のあり方ではありませんか。母を貴み得る家庭とその子等とは幸福であります。

 「よき母をもつ家庭は最高度の幸福を享受し得る」との言葉は味わい深いものであります。種々と婦人を軽侮した書物を見ますとき、多くの場合著者がよき母に恵まれていなかったか、妻に恵まれなかったため、性格にさえ欠陥が生じたことと思われます。もし善き母、善き妻に恵まれていたなら、その人は婦人を敬愛し、その人格さえ美しい香りを漂わせます。

 我が国でも過ぎし時代においては、婦人のあり方が軽んぜられ、高度の教育をうける機会さえ与えられておりませんでしたし、母の重要性さえ見のがされていました。これは国にとっても社会にとっても悲しむべき大きな損失であります。

 ある日、遠来の客と炬燵を囲んで話し合っていました。話題は将来のこと、お子方のことにおよびました。その中に、
 「女の子は育て易いのですが」
との一言が耳をうちました時、私の心の底から猛然として頭をもたげた反発をどうしようもありませんでした。
 「先生、それはちがいます、私はそうは思いません」
と思わず強い否定を私の唇からすべらしてしまいました。

 元来弱い私は十一人の子供をもちましたが、その中男の子は八番目に唯一人でした。ですから私共より他の方々の方がその誕生を喜んで下さったほどでした。ところが僅か一ヶ月で亡くなりました。私はその意味を悟りますのに長い月日が必要でした。結論として私の得たものは、もし男の子が一人でもありましたら、その教育に心を奪われて婦人のあり方についてこれほどには考えずに過ぎたと思いますが、残されました六人の女の子を育てましたことは、私にとっては幸福であり有益であったと思います。女の子の教育に成功したというのではありませんが、婦人の使命とあり方について考えつづけて、少しでも学び得たということを今日感謝しています。(続く)

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著134頁以下より引用。文中の聖句はそれぞれ「エレミヤ哀歌4:3」、「箴言31:28」である。「母の愛 カーネーション ささぐ子等 箴言示す 祝福なり」)

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