彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。(ゼカリヤ6・13)
キリストにあって堅くされる心はまたキリストのために堅くされるのです。その心は主の王座となり、もはや主の敵によって支配されることなく、ゆるがされることも安定を欠くこともありません。その時、私たちは 「その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて」という約束が美しくもかけがえのないものであることを知るのです。それは支配するだけでなく、油注がれることです。治められるだけでなく、聖めをなさるのです。このようにして王座は恵みのうちに、しかも義によって樹立されるのです。
私たちは時々悪魔と交渉することによって地歩を失うと思います。私たちには簒奪者と交渉する事柄はありません。私たちが主イエス様に身をおゆだねしたので王座はもはや主のものです。だから、なぜ私たちは一瞬でもまるでまだ保留にしている疑問があるかのように悪魔と議論する余地があるのでしょうか。
耳を傾けないでいなさい。ただ悪魔にイエス・キリストは紛糾された王座に着かれ、もはや決着がついていると言いなさい。そしてただちにあなたの王に向きを変え、あなたを支配する主の統治権がどれほど栄光にあふれる守り手であるかを主張しなさい。それこそすばらしい現実であり、あなたはその現実をその通り知ることでしょう。主は放棄されないし、あなたが王無きまま、防御無きままに置き去りにされることはありません。なぜなら「主は私たちの王、この方が私たちを救われる。」(イザヤ33・22)からです。
主に目をとめよ
主はとこしえに生き
ご自身の民のためにとりなす
求めよ、恵みを勝ち取れ
祭司である主は
王座から恵みを自由に与え
汝の力を天からの露の如く
御霊でよみがえらせ
新しくされる
主はとこしえに生き
ご自身の民のためにとりなす
求めよ、恵みを勝ち取れ
祭司である主は
王座から恵みを自由に与え
汝の力を天からの露の如く
御霊でよみがえらせ
新しくされる