2016年4月12日火曜日

A Look That Transforms


見よ。あなたがたの神を。(イザヤ40:9)
さあ、この人です。(ヨハネ19:5)

    すべて他のものから、目を離し、十字架に釘づけられたお方をじっと見て、「わたしのところに来なさい」と今もおっしゃっていることを思い出しなさい。深い悲しみからも、栄光の高みからもそのどちらからもこの素晴らしい招きがあなたにかけられているとは。あなたがたは誰もかれもそこを通りすぎるだけで何とも思わないのですか。

    この招きは、十字架に釘づけられたイエスだけでなく、支配者イエス、再臨されるイエスからのものです。「語っておられる方を拒まないように注意しなさい」(ヘブル12:25)。なぜなら、主は生きている者と死んだ者をさばかれるために来られるのです。主は今統治しておられるのです。だから、主の王国にあっては中立は許されません。

    すべての人は進んで王のしもべとなるか、それとも実際に反抗者であるかのどちらかです。すなわち、王の呼びかけにしたがって来る人々か、「気にもかけず」(マタイ22:5)来ない人々であるか、そのどちらかです。あなたはいったいどちらですか。

見よ。あなたがたの王を。
あなたがたにとっては何でもないのか。
王の額から苦悩のしるしとして、
ゲッセマネの身震いする影を通して、
血が露のように落ちねばならなかったのに。
イエスご自身、いのちの君が、
不思議な死闘の中で
膝をかがめられている。
おお、主の悲しみを思え。
知られざる苦しみのうちにある、
知られざる愛を
私たちが知ることができるように。

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