2016年4月24日日曜日

弱い時こそ強い


気をつけなさい。・・・あなたが食べて満ち足り、・・・あなたの所有物がみな増し加わり、 あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。(申命記8・11〜14)

 不思議な助けをいただく時は危険な時だ。ニレからつたを外すな。直ちに倒れる。もし主が私たちにもっとも忙しい仕事にもかかわらず、もっとも喜ばしい成功を与えられる時、自分自身には自らを助けるどんな力もないということを知り、神に感謝せよ。そうするなら、主の継続的な助けを妨げるものは何もなくなるだろう。
 「私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121・2)と心から言っている限り、主の助けは来る。「あなたは私の助け」(詩篇40・17)と言っているかぎり主は私たちの助け、まさしく今ある助けを与えられる。それに対して私たちは自分には力があると感じているというただそれだけの理由で、私たちは全能の助け手から期待するような小さな助けを得られないだろう。

 ペテロは上手な泳ぎ手だったが、「主よ、泳ぐのを助けてください」とは言わなかった。彼は言った。「主よ。助けてください。」(マタイ14・30)と。だから主の助けは直ちになされ、完全であった。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(2コリント12・9)

愛する主よ、私は弱い者です
私は立つこともできません 
あなたなしには一瞬でも 
けれども、
あなたのつつんでくださるやさしさ 
あなたのささえてくださる誠実さ 
そして
あなたの右手の強さ
それだけで私には十分です 

4章 ただあなたのために(14)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより 
  禁酒の働きはフランシス・リドレー・ハヴァガルの語りと書き物がもっとも心の暖かさを持っていることを証拠立てるものだった。彼女は徐々にキリスト者の働き人の間における全面的な禁酒の絶対的必要性を認識していったように見える。1871年にスイスを訪ねた時、彼女は数人の親しいイタリヤ人とトーストを食べる際にお互いに「赤ワイン」を飲んだことを記録しているが、そのイタリヤ人たちはある日彼女と仲間たちと一緒に同じ場所で食事をしたのだが、その時のことであろうか。死後まもなく完成することになる、『主の御用のために、私の唇をとりあげてください』という章は次の一連の言葉で結ばれている。
 「私はここで言うだけです。これまでも言って来ましたが、『私の唇をとりあげてください』とそして紳士淑女の手足を縛り、その手足を絶望的にサタンに手渡すその唇にその祈りを繰り返します。もう一度あなたの心からあなたの唇を通してこれらの祈りをしましょう。そうすれば、私はあなたがこのような地獄のしわざの手段にやられることを愉快に感じているとは思わないでしょう」
 まことにハヴァガル嬢の心を生涯の最後の数週の間にも捕えていたのはまさしく禁酒の働きであった。そして直接致命的な病をもたらす健康に関しては軽率な誘因となったのは実にこの特別な理由を持つ彼女の情熱だった。〈訳者注 なおこのくだりも文章が入り組んでいて、訳がむつかしく、果たしてこのとおりか自信がないが一応意訳として記しておく。〉) 

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