2016年4月27日水曜日

神の御力のための通りよき管


私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(2コリント12・9)

 大きな生まれながらの賜物があると、人々は恵みの代わりにそれらの賜物を信用するものです。実は恵みだけがほんとうの働きをなして来たのですが、このようにして神様はご自分の栄光をだまし取られるのです。うやうやしく言わせていただければ、神様は弱い器に栄光をより多く与えることのできるお方です。その時には、力の卓越性は神からであって私たちからではないということはもっと明らかでありますゆえに。

 あなたはほんとうは信じていないのではないですか。聖霊は雄弁な一時間にわたる説教と同じく、まさしくもし一つのことばで「来なさい」とささやかれるなら、イエス様のもとに一人の魂を引き出すことができるのです。私は信じています。

 そうは言っても、こういう私たちのものである知性を通して働かれるのが神様の方法であることが明確であるように、主のご用のためにふさわしいものならどんなものでもわざと無視し心をくだかないような心を主が用いてくださるように要求する権利がないのは当然であり、それは、もし私が美しい献辞をわざわざぬぐって直したくないのに、あなたに私のペンで書くように要求することと同じです。

おお、時々不思議なことに
私は忘れてしまいます
何度も何度も学んでいますのに
私は以前学んだのです
涙を流さんばかりの試練を
主は私を叱責されないで待っていてくださいます
それから私の涙で一杯になった目を拭ってくださいます
おお、私たちの神様は何という教師でしょうか
あまりにも忍耐強くお賢いのです
もしも他の人たちが悲しくも私に
厳しくも新しい試練を与えるなら
私には絶えずわかります
彼らを助けることもまた私を訓練するものだったのです
それとも私は随分前にそのことを学んでのではなかったでしょうか
私の骨折りは無駄だったのでしょうか
もしそうなら
涙あふれる眼はより明白にされた試練を知ることができるのです

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/april-27-a-channel-for-gods-power/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97282です。

 4章 ただあなたのために(16)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 ついに6月3日の火曜日の早朝、解放がやってきた。臨終前の数分ハヴァガルは歌うことができた。「きっぱりと、たとえぼんやりであっても」「イエス様、私はあなたを信頼しています」彼女の"Hermas"の旋律にあわせた歌詞であった。
 そしてそれから、姉のマライア・ハヴァガルの書いたものを引用すると最後はこうであった。「10分間、私たちは彼女が王なるイエス様とほとんど目に見える形で会っているのを見ていた。彼女の面立ちはまるですでに主イエス様と話ししているかのように喜びに満ちていた。彼女は一生懸命歌おうとした。しかし一声の甘くも高い調子で「主は・・・」と発したきり、その声は落ちていった。兄が彼女の霊を贖い主の御手にゆだねたとき、彼女は召されて行った。私たちの大事な妹は、王なるお方の宮殿へと召され、満ち足り、栄誉を着せられたのだ。」
 「素敵な歌い手」の亡骸はアストレーに運ばれ、愛する父君のそばに葬られた。墓のまわりには薔薇の花々や詩人の冠となる月桂樹が多くの献花とともに人目を引いていた。その日は物暗く風の激しい日であったが、ちょうど葬儀が終わる頃、たくさんの弔問客の心は6月の日の光が射込み、小鳥たちが一斉にさえずり和まされた。
 父によって植えられた樅の木の枝ふりのもと家族の墓の北側に碑がある。
      フランシス リドレー ハヴァガル
    牧師 W.H.ハヴァガルとその妻ジェーンの末娘
 1836年 12月14日 Astley Rectory で誕生す
 1879年  6月 3日 Caswell Bay, Swansea で死す
      享年 42歳
 彼女の詩と聖書の間に挟まれていた聖句「彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」ヘブル11・2「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」1ヨハネ1・7 長らくご愛読ありがとうございました。今日でこのJennie Chappellによるハヴァガル伝のシリーズは終りです。彼女はなおその他スポルジョン夫人など三人の女性の伝記を書いています。興味のある方はそちらの方もお読みください。) 

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