児玉煕子さんと金子暁子さん ロサンゼルス喜びの集い参加 1993年6月 |
妻であるミサヲさんは皮膚がんだったが、その癌は転移が進み、口内の舌にまで及び、そのため一切話ができず、筆談に頼らざるを得なかった。そのことがこのような遺稿の集積となった旨語っておられたのだ。「塞翁が馬」とは中国由来の日本語の言い回しだが、まことにミサヲさんのお気持ちが後塵を拝する私たちに過不足なしに伝えられることになったのは、このような激烈な病との戦いの中でもたらされた恵みだったのだ。このことは聖書の成り立ちにも関係することだ。
新約聖書の中にはパウロの手紙がたくさんあるが、彼が獄に捕らえられ、行動の自由を奪われた結果、やむを得ず、各地の集会に手紙を出した。ある場合には口述筆記の形態を取った時もあったが、そのようにして2000年近く、今も私たちが自由に、しかも完全に主なる神様の御心を知ることができる聖書となっている事実だ。
さて、5月17日(水)に持たれた金子暁子(としこ)さんの記念会についても、この機会に触れておく。なぜなら、野村ミサヲさんはご主人の弘さんに、絶筆とも言うべきご主人への遺書では最後に「ありがとう」という言葉を連呼されたからである。「ありがとう」と五回繰り返し、しかも最後は無限に続くように「・・・・」で書き遺されたたことは昨日述べた通りである。
しかし、実は私はこの病妻が看病してくださった夫に謝意を表される姿が、金子暁子さんの場合にもあったことを知らされていた。夫である光男さんの記念会でのご挨拶のうち「ご臨終」について述べられた言葉を引かせていただく。(なお、初めの方で「暁子はベックさんから、『理由を問うのはやめなさい、神様からのことばを素直に受け入れなさい』ということばに接して救われたんだというお話が(今)ありました。それを聞いて深くうなずくことがございました。ああーそうだったか」と、おっしゃり、三年間の闘病生活の中でも、祈りが中心であり、癌病室のまわりの人々が苦しみを訴える中で、そういうこともなく、平安に過ごした。それは今に至るまでも最大の慰めであり、「こういうこともあるんだということで感謝しております」と語られもした。しかし癌性の腫瘍のため、徐々に体力は低下していき、食事もおかゆから、重湯、ついには水しかうけつけなくなったことに触れられ、最後、次のように語られた。)
二月に入り、二月二十五日臨終の時になりますが、病院から電話がございまして、「血圧が落ちてきた。早目にお越しください」ということで、取るものも取りあえず、車で病院に駆けつけたわけでございます。最初は私の方を見ておりましたけれども、段々呼吸が荒くなって、今まで見たこともない呼吸をするわけですね。「苦しいのか」と言うと、頷いて、六時五分でしたか、変だなと思いながらジッと見ておりましたら、「あ」「あ」と言うんですね。口を大きく開けて。その声が大きな「あ」だったのか、小さな「あ」だったのか、今となってはよくわかりません。とにかく口を開けて「あ」と言っているわけです。
で、「何だ、何が言いたいんだ」。それでまた荒い呼吸に戻るんです。二回目にまた「あ」と言うんです。「何だ、『ありがとう』と言いたいのか」と言ったんですね。そしたらまた荒い呼吸になって・・・。今思うと、あれは「あ」だ、「ありがとう」に違いないと思っております。「う」だとちょっと気味が悪いですね。「うらむぞ」となるわけですから。そう言われてもしょうがない亭主でしたから。家族をほっぽり出して、大学の仕事を、中学・高校の校長をやったりなんかして、そっちのほうが大事だったんですかね、あるいは出世したかったと言う浅ましい根性があったのかも知れませんけど、とにかく家庭はほっぽり出して。だから「う」と言われてもしょうがない。でも「う」と「あ」では口の形が違いますから、あれはきっと「あ」に違いない。そのことを持地さんに伺いましたら、それは「あ」でいいんだと言われ、ホッとしました。
その時、思いました。人に与えられる最大のものは何であろうか。最後は結局はことばなんだ。そういう意味で、人間はこれをやる、あれをやる、そういうのはないわけであり、そうすると、心の中にこもっている思いを、自分の相手にキチンと伝える。そして、それに感謝のことばがあれば、受け取っている人間に、これによって「ああ、赦されたんだ」そのことを深く受けとめ、そして私は深く慰められた。良かった。「最後はことばなんだなあー」ということをつくづく知った次第であります。
このようにご遺族のご挨拶の中で述べておられた。まさに、絶筆ならぬ絶語である。光男さんは先頃の春の叙勲で瑞宝賞中序賞の栄典に浴された。永年の教育者としての働きが認められたのだ。そのうちには奥様の暁子さんの内助の功、祈りがあったことは言うまでもないが、今回のご挨拶はまさにそれに対する感謝のご挨拶ではないだろうか。
私は10月27日に暁子さんのお見舞いに、わずか一度しか行かなかったが、その時、暁子さんが晴々と「主人は変わりました」と言われたことばとその明るさがなぜか印象に残った。そして記念会のメッセージを準備している時、暁子さんに関する一つの夢を見させられた。その内容は省略するが、光男さんのこの「ことば」と「赦し」の二語に一致していることに今新たな感動を覚えている。
だから、野村さんの遺稿集が今週の日曜日に私の手元に舞い込んできて、身近にある人の死を(母の死をふくめて)改めて思わされ、天の御国を益々実感させられたのは決して偶然ではないと思う。
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(新約聖書 1ヨハネの手紙 1章9節)
われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。われらの神、主をあがめよ。われらの神、主は聖である。(旧約聖書 詩篇99篇8節〜9節)
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(新約聖書 ヨハネの福音書1章1節)
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(新約聖書 ピリピ人への手紙3章20節)
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