麦秋 主を賛美す 桜桃 |
主の救いは個人に始まり、自ずと家族に及ぶ。だから妻である女性だけでなく、当然夫である男性にも主の救いは及ぶが、中々男性陣が主の救いを受け入れない。科学者に男女差があろうはずがないとは永年物理学の研究に打ち込まれてきた米沢さんの信念だが、当然の如く、イエス様が指し示してくださった福音もまた男女差がない。けれども米沢さんのお話をお聞きしていて、他分野のことではあるが、男性にはこの「直感と忍耐」が乏しいゆえに、なかなか男性が、折角の主の救いを拒んでいる原因となっているのではないだろうか、とさえ思わされた。
昨日の今日であるが、全くふさわしい話を聞くことができた。しかも同氏の第一回目は、「二人で紡ぐ人生」という題名の文化講演会の中で、同氏のご主人との最後の別れを語っておられたが、まさに過去考えさせていただいた三回にわたる「不思議な『遺稿集』との出会い」と題する投稿拙文と通底するものを覚えた。http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/05/blog-post_24.html
しかも、この集いを提供されている建物は、歯科医院として本来建てられたものである。上の写真の左窓越しに見える看板がそのことを示している。
提供されているご主人夫妻家族は別のところで医院を開いておられる。このご夫妻家族がどうして主イエス様の救いに預かられたかは、それだけで大変なドラマを構成している。この場で簡単に紹介はできないが、稀有な出会いのうちに、主イエス様が働かれた栄光の証がある。(左の表紙絵はその様子を漫画化して自費出版なさったものである。)
人に歴史あり、こうして私がはるばる伊勢崎まで出かけるのが、義務ではなく喜んで出かけていく理由がわかっていただけるだろう。途中二時間ほど電車の旅だが、その間には大利根川を通過するし、水田風景を堪能しながら、ところにより白鷺が田んぼ一つに一羽のなわばりを保つところや、一方麦秋盛んなる田園地帯を次々通過する。そして、かつて住んでいた足利を横目にしながら10数名の方々との三ヶ月に一度の再会を期して、車内でメッセージの用意をさせていただくのである。
ちなみに、私のこの日のメッセージ題名は『羊飼いであるお方の祈り』であり、引用聖句は下記のものであった。シモン、シモン、見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、たち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(新約聖書 ルカの福音書22章31〜32節)
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