2023年5月23日火曜日

不思議な「遺稿集」との出会い(中)

私のおかあさん 小4 吉田浩
 懐かしい絵を、今日は引っ張り出してきた。これは全国小学生図画作文集(講談社発行昭和27年)に掲載されている私の絵だ。今も大切に保管している。昭和27年というと、1952年、今から71年前になる。私はこの絵を描いた。「描かされた」と言ったほうがいいかも知れない。今だから言えるが、この絵を先生と一緒になって包装し出品する前に、先生が手にして、さっとエプロン姿の袖に赤を入れた。絵はその瞬間見違えるように明るくなったことを覚えている。

 母は熱心だった。小学校に入る前から、この先生のところに通わせた。何とか私のために「情操教育」をと考えたのであろう。一方この先生も熱心でその指導には県下で定評があった。学校に行っても放課後になると、この先生が好きでその図画工作の部屋に行っては絵を描いては、疲れると寝っ転がっていたりし、この先生に言い寄って来る男の先生などとの会話を耳にしたりして、私にとっては結構、家庭だけでは知ることのできない男女の機微などを知る場でもあった。私はこの先生と母のおかげで4年生まで絵を描いては、県下だけでなく全国の絵画展で何度か賞をいただいた。アンデルセンの童話や牛小屋の乳搾りの姿などをせっせと描いては、雑誌に絵が掲載された。

 さて、この本には「この全国小学生図画作文集『私のおかあさん』は、母の日運動の趣旨を小学生児童に理解させる目的から、昨年同様本年春、主催森永母を讃える会 協賛母の日中央協議会 後援文部省・厚生省 で募集した『図画作文』の入選作品で、図画19点、作文63を収録してあります。」とあり、絵には伊原宇三郎さんの選評が載っている。

 その選評を見ると、私の絵が応募数5万数千点の中から、19点の中に入り、文部大臣賞、厚生大臣賞、森永賞に次ぐ金賞として選ばれたのかが書いてあった。そして絵の題材が審査委員の方の目を引いたのでないかと思った。私にとっては、大根をせっせと洗っている母を何度も描いた記憶があるので、この絵は井戸端の母の姿をいくつか描いた作品の中の一つだった。ばけつの上、下の文字は今思うと矛盾だが、なぜと言えば、上用(かみよう)と下用(しもよう)に分けているのだが、なぜ、下用のばけつが絵の中で上の棚に置かれているのかだ。何か恥ずかしい思いがする。今もこの場所は残っている。そして何よりも、私にとってこの「母」は健在である。

 そんな母は44歳の若さで死んだ。今振り返ってみると、それは私にとって、もちろん大きな出来事であった。母は胃がんを患っていたのだ。今もその闘病を記した手帳を大切に保管している。その中に走り書きした次の文章がある。

私が宿命的な病気、分けても最も恐るべき胃癌であった(手術によって一層確認された)事実が受験期の高校生にどんなショックを与えただろうか。でもそこから何かを学びとり(プラスになるものを得)人生に対する覚悟というか、心持ちをしっかりと身につけてくれたことと思う。自分の方向にまっしぐらに進む勇気が出来たとしたら何十万のお金で購えない尊い報酬(と言わねばならない)となろう。今度の私の病気によって浩が何を体得してくれたか、涙を拭い拭い、時々こんな甘いことを考えて見るこの頃である(尊い何かを体得してくれたろうと)

 今までも私はこの母のことばを何度となく見ては反芻している。母にとってイエスさまはどういう存在であったのだろうか、と考えるからである。今となってはわからない。正式な日記として「婦人之友社」発行の主婦日記を使っていた。そこには主管者である羽仁もとこ氏を通してであるが、福音の片鱗は覗いていたのではなかろうか、と我が身を慰めている。北海道森町にいた頃どうだったのか、以前書いたことがある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2020/05/blog-post_22.html

 さて、前置きが長くなってしまったが、本題である。同じ44歳で野村ミサヲさんは召された。その遺された「愛する我が子へ」と題する文章は昨日も少し紹介したように、そこにはキリスト者としての行き届いた母としての助言がある。以下は昨日の続きの部分である。

 また、これからは異性の友だちもできるでしょう。この世の人たちはどんなことをやっていても、神さまは結婚前に性的な行ないをすることを禁じています。それは結婚後に祝福がいくためです。どんな誘惑があっても、そのような性的なものを求めている人なら特別な交際をしないほうがいいです。相手と自分との間にいつも神さまを見ながら清い交際をするなら、相手にも自分にもよい思い出が残ります。
 さらにその人が主のみこころなら、結婚まで導かれるでしょう。その時こそハッピーな二人になり、神さまと二人と三よりの糸となって、長い人生に信頼し合える夫婦になります。性的行為ほど汚くもなり、美しくもなる差の大きいものはありません。結婚を抜きに、神さまを無視した性関係は恐ろしい泥沼です。拭おうとしても、拭えないことでしょう。しかし、主に祝福され結婚しての性行為には、二人が一体となるために神さまがくださった恵みがあり、とても美しく、生命を共に受け継ぐ喜びがあります。あなたたちに信仰の素晴らしい子孫の与えられることを祈ってやみません。

 この文章のあとにも、隣人を愛するためにどうあったらいいのか、キリスト者の仲間だけでなく、すべての人を愛することの素晴らしさ、また家族同士のあり方などを書き留められている。同じ44歳とは言え、私の母の走り書きのものと異なり、ここには懇切丁寧な地についた母親としての生活を通しての助言が事細かく書かれている。私は今までこの手の本を何度か手にしたことがあるが、このような助言が、困難な病の中でミサヲさんによって書き遺されていたことを大いに主に感謝する。ちなみに三人のお子様の名前は睦代さん、良也さん、知一さんである。それぞれ聖書のみことばから取られていることも明記されていた。

 その聖書の個所をご紹介する。
 
見よ、兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133篇1節) 睦代さん

強くあれ。雄々しくあれ。(ヨシュア記1章6節) 良也さん

主を恐れることは知識の初めである。(箴言1章7節) 知一さん

 この本の序文で渡辺信男さんは次のように書いておられた。

 野村姉は危篤状態において、ご主人に遺書を書き残しました。その最後には、「本当にありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・」と記しています。これは野村さんご夫妻が、いかに深い愛の絆で結ばれていたかを教えてくれると共に、奥様の長い苦しい闘病生活中に、どれほどまで野村兄が、奥様を励まし、力になったかを物語っています。この遺稿集『天を夢みる枯れない葉』を通して、本当の意味での家庭、夫婦、子供の教育のあり方等について、深く学ぶことができます。
 経済的には、豊かになった今日の日本、しかし、家庭の崩壊、子供たちの非行、病に苦しむ人たち、孤独に生きる老人、自殺する若者等、様々な問題を抱えています。どんな試練の時にも、聖書を読み、祈り、キリストと共に歩み続けた野村姉。その生き方は、これらの多くの問題に対して、解決の糸口を与えてくれるばかりでなく、光となり、私たちの日々の生活に、ますます勇気と希望を与えてくれるものと確信します。

 私たちは30年ほど前に認(したた)められたこれらの文章を読む時、時代が確実に悪くなっていることを思わされる。まして井戸のつるべで汲み上げては炊事、部屋の掃除に勤しんでいた我が母の時代からは70年が経過している。この間人心は少しでも進歩してきたであろうか。全く逆である。改めて次のみことばを覚えたい。

愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ愛は律法を全うします。あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(新約聖書 ローマ人への手紙13章10節〜14節)

0 件のコメント:

コメントを投稿