2012年2月7日火曜日

「目に見えないもの」とは?

 日曜日、久方ぶりに礼拝に出席された方と何年ぶりかでお会いした。集会後のパンとコーヒーの交わりにもその方は残られ、互いにお交わりをした。キリスト者にとってこの交わりは礼拝についで欠かせないものである。パウロはローマの人に向かって、次のように言っている。

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」(ローマ1:11〜12)

 信仰者の交わりには一切上下関係はない。ともに主イエス様を見上げての交わりである。その話題は時勢のこともあり、個人生活の出来事もあり、また信仰上の話題もあり、実に様々な話題がある。それぞれが自由に示されたままお互いに思うところを交換し合う場である。

 日曜日、その方は私に、聖書でよく言う、「目に見えない」ということばがありますが、あれはどういう意味ですかね、と問われた。お聞きするうちに、その方のうちにご自身が理工学部出身であるとしてその思考法から脱することができないでおられること、すなわち「目に見えるもの」しか信じられないという考えがおありになることがありありと私にはうかがえた。そして、その方は「目に見えない」ということは思想なのでしょうと、言われた。

 ところが私はすぐにそうですとは言えなかった。聖書は何よりも霊的存在を前提としていると考えていたので、そのことをどのように説明していいか適当な言葉が見つからなかったからである。いくつかの聖書のことばを頭に思い浮かべながら、私は「目に見えないもの、霊的なものの実在」をその方に説明していたが、なおその方も私ももう一つ腑に落ちず別れざるを得なかった。

 それで家に帰ってその方の問いを更に考えていたら、次の聖句に思い至った。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:1〜3)

 上述のことばに照らし合わせれば、目に見えないものとは、神のことばであると言えるのでないかと思った。私がその方が「目に見えないもの」は「思想」のようなものでしょう、「人間の考え」でしょう、と言われた時に、すぐに「ハイ、そうです」と言えなかった理由のようなものをつかんだ思いになったからである。

 というのは、聖書で言う「目に見えないもの」は限りなくその実在が確かなものであり、それは神様ご自身であり、神様ご自身を信ずる人間の霊そのものを指していることが明らかであると思ったからである。そんなことを考えて、電車内でたまたま今日読んでいたバンヤンの『罪人らの首長に恩寵溢る』という作品の彼の自叙伝に、次のようなことが書いてあった。第12章の118というところだが「人の知恵による偽りの信仰と、人が神から生まれたことによって授かる信仰の間には大きな違いがあるのを知った」。

 聖書中にしばしば登場する「目に見えないもの」は決して人間の知恵を指すのでなく、生けるまことの神様がおられ、その方にあずかっていのちを得ること、すなわち啓示(上から示される)をとおして新生のいのちを得ることと著しく関わっていることだと思わされた。

 その方は、3月には故郷の東北に帰り、震災者の悩み苦しみの中でその方々の友となりたいと抱負も語ってくださった。目に見えないお方が私たちすべての人間の創造者である。この方の働きのうちに主がともにいて「望みの神」である主イエス様を指し示してくださると確信している。

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。(1コリント2:9〜10)

2012年2月6日月曜日

『聖戦』読者へより、その4

人霊は喇叭(らっぱ)の鳴るを聴けるのみならず、
その豪奢(おごり)の地に委するのを見ぬ。
さればいと大いなる熱心も戯談(たわむれ)に過ぎざる者や、
大いなる戦いの猛烈なる威嚇(おどし)も、
談判か言葉争いに終わる者と
人霊とを同視するなかれ。

人霊よ、その大いなる戦いは、
幸不幸の分かれ目にして世の終わりに至る。
さればその怖れの同一日に終始する者や、
いかに戦うも生命と手足を失うほか、
他の害を受けぬ者よりも、
人霊の懸念は一層大なり。(※1)
宇宙に住める者誰かは
これを告白し、この物語を語らざるべき。

人々をして星を凝視(みつめ)しめ、
あれ見よ、星には大胆なる
生き物住めりと、おもむろに、
彼らを説きつけ驚かす、
輩(やから)とわれを同視するなかれ。
物の道理を弁え、指の長さを知る人に、
星にはそれぞれの世界ありと、
首肯(うなづ)かしむるは斯かる輩の能ならじ。

あまりに長く門口に読者を留めぬ。
日光を離れて炬火(たいまつ)の下に留めぬ。
いざや進みて戸のうちに歩めよ。
珍しき物さまざま内にあり、
心の欲するまま幾度にてもそれを見よ。
卿(おんみ)が基督者にてあるならば、
それにて眼をば養えよ、
その見るところは小さからず、いとも大なり。

わが鍵なしに往くなかれ。
迷宮の中に忽ち途を失わん。
わが謎を解かんとせば、
わが牝牛の子をもて耕さんせば、真っ直ぐに向けよ。
そは窓の内にぞ横たわる、いざさらば。
われは次に卿(おんみ)らの葬(とむらい)の鐘を鳴らさんかな。

ジョン、バンヤン

(※ 1 ここの文章はこの物語の要諦と言える。イギリス人の編者は以下の文を補っている。The death of the body, or loss of a limb, is as nothing compared with the eternal loss of a neverーdying soul.時代も異なり全く別の著者の本に以下の一節があった。「この世に国民の死よりもいっそう悪いものがある。肉体の死よりもいっそう悪いものがある。それは罪と咎との中に沈んでいる人々の霊的な死である。人間の霊魂の状態は、エゼキエル書の幻の谷における骨のようなものであって、それは甚だ多く、 甚だ枯れている。そこには回復と生命に対する人間的な希望は絶無である。しかし神およびその甦りの生命の中に希望がある。」〈A.B.シンプソン『旧約における聖霊』281頁より〉ほぼ共通する考えでないか。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」〈新約聖書 ローマ8:1〜2〉誰かまことに霊の死せる己が姿に泣き、主イエスのもとに来らんか。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」〈マタイ11:28〉)

2012年2月5日日曜日

『聖戦』読者へより、その3

知人に所望していただいた一枚の絵
われは聴きぬ、王子は叱咤将軍(※1)に
城に登りて、敵を捕えよと命ずるを。
将軍とその部下は恥の鎖に敵をつなぎ、
市(まち)の中をば曳(ひ)いて来ぬ。

イムマヌエルが人霊の
市を占領せし時われは見ぬ。
いかに大いなる祝福は華やかなる人霊に来れるよ。
王子の赦令(ゆるし)を受けて、その律法(おきて)に住める時。

魔王党の捕えられし時、
吟味されし時、死に処されし時、
われそこにあり、然り人霊が、
その謀反人を磔殺(たくさつ)せし時、われ側に立ちぬ。

人霊が皆白衣をまとうをわれは見ぬ。
王子は人霊を心の歓喜(よろこび)と呼びぬ。
金の鎖や、指環、腕環を、
人霊に与えてこれを飾りぬ。

われ何をか言わん。人霊の叫ぶを聴きぬ。
王子が人霊の眼より涙を拭うを見ぬ。
呻き声を聴き、多くの者の悦ぶを見ぬ。
われはその凡てを語らず、語るを得ず。
ただわがここに語る所にても人霊の類なきその戦いは、
作り話にあらざるを見るに足らん。

人霊は二人の君主の願望(ねがい)にてありき、
一はその所得を保ち、他はその損失を得んとす。
魔王は「市はわが有(もの)」と叫び、
イムマヌエルは人霊に対する、
その神権を主張してここに戦いとなりぬ。
人霊は叫びぬ、「この戦いにわれは滅びん(※2)」と。
人霊よ、その戦いは窮(きわま)りなく見えぬ。
一方が失えば、他方はそれを獲(え)ぬ。
最後にこれを失える者は誓いぬ。
「われこれを獲ん、然らずば砕片(こなごな)にせん」と。

人霊よ、そは戦場にてありき。
戦いの響きの聴かるるところ、
打ち振る剣の怖れらるるところ、
小競り合いのなさるるところ、
空想が思想と戦うところ、
人霊の艱難(なやみ)はそれにもまして大なり。

戦士の剣は赤くなりぬ。
傷つきし者は叫びぬ。
これを見聞きせざる者、
誰か人霊の驚愕(おどろき)を知らん。
太鼓の音を聴ける者、
誰かおそれて家より遁(に)げ出さざるべき。

(※ 1 「叱咤将軍」とは雲舟氏の訳語だが、原文はBoanergesとある。明らかにイエス様が弟子であるヤコブ・ヨハネ兄弟につけられた綽名 Boanerges「雷の子」であろう。しかし雲舟氏はまさにこの場合にふさわしく「叱咤(しった)将軍」ということばを当てられている。絶妙な訳であ る。もちろん王子はイエス様である。この場面は「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行 列に加えられました。」〈新約聖書 コロサイ2:15〉などが考えられるのではないか。※2 バンヤンには「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこ の死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」〈ローマ7:24〉のみことばが念頭にあったのではないだろうか。)

2012年2月4日土曜日

『聖戦』読者へより、その2

人霊きよきものを踏みにじり、
豚のごとく汚穢(けがれ)に臥(ふ)しまろび、
武器を手にしてイムマヌエルと
戦ってその魅力を軽んぜる
時にもわれはそこにあり、
見て悲しめり(※1)、魔王と人霊のその和合。

われを戯作者と見なすなかれ、
わが名と信用とをして
彼らの嘲笑を配(わか)たしむるなかれ、
わが見たるところはわれ自ら知る、真実(まこと)なりと。

われは王子の武人が人霊を囲まんとて、
隊伍堂々として来るを見たり。
われは諸将を見ぬ、喇叭(らっぱ)の鳴るを聴きぬ。
その軍勢の全地をおおい、
いかに勇ましく陣列を引けるかは、
わが生涯忘るあたわざるところ。

われは旗の風に翻るを見たり。
内に禍(わざわい)をなす者ともどもに
人霊を滅ぼさんとて、遠慮なく、
その源泉を枯らさんとするを見たり。

山は市に向かって突起しぬ。
投石器(いしなげ)はそこに据えられぬ。
石はわが耳をかすめて飛びぬ。
(心は怖れに捕えられぬ)
石は落ちていかに大いなる働きをなせるよ、
老いたる黒奴はその蔭もていかに人霊の
顔を覆いしよ、われは人霊の泣くを聴きぬ。
「わが死するその日は禍いなるかな」と。

われは破城槌(はじょうつい※2)を見ぬ、いかにその
耳門を砕くかを見ぬ。われは怖れぬ。
ただに耳門のみならず、人霊の市もまた、
破城槌もて砕かれんとするを。

われは戦いを見ぬ、諸将のさけぶを聴きぬ。
戦いごとに敵に向かう勇者(つわもの)を見ぬ。
傷つけられし者、殺されし者を見ぬ。
死して甦(よみがえ)らんとする者を見ぬ。

われは傷つきし者どもの叫ぶを聴きぬ。
(他の者どもは怖れを知らぬ人のごとく戦えり)
「殺せ!殺せ!」の叫び声はわが耳にあり
溝には血と涙と流れぬ。

諸将は常に戦えるにあらず、
日夜われを悩まさんとて、
「起ちて襲えよ、市(まち)を占領せしめよ」と叫びては、
われらを睡(ねむ)らしめず、臥(ふ)せざらしむ。

諸門の破れ開けし時われそこにあり。
人霊のいかに希望(のぞみ)を奪われしかを見ぬ。
諸将の市に進み来たるを見ぬ。
彼らはそこに戦っていかに敵を倒せしよ。

(※ 1原文はThen I was there, and did rejoice to see Diabolus and Mansoul so agree. とあり雲舟氏は当然「見て悦びぬ」と訳している。しかし前後関係から意味不明である。現代の編纂者は次の一文を加えている。In 1752, and even in Burder's edition, the line is strangely altered to-'Then I was there, and grieved for to see.そのため引用に当たっては「見て悲しめり」と訳し直した。※2ここは注釈者が注として'The battering rams' are the books of Holy Scriptureすなわち破城槌は「聖書」を指していると付け加えている。まさしく旧約聖書のエレミヤ23:29「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。」に書かれていることばそのものである。)

2012年2月3日金曜日

『聖戦』読者へより、その1

読者へ

古(いにしえ)に起これることを語るを好み
歴史学にすぐれたる人々が
人霊の戦いについて語らざるは不思議なり。
その戦いを昔話のごとく、値うちなきことのごとく、
死して横たわらしむるも読者になんの益あらん。
人々これを知るまで、自ら知らずとも、
彼ら自らの戦いをなさしめよ。

物語には、外国のもの、国内のもの、
類(たぐい)かわれど、その語りぐさは、
空想の作者を導くままに作らるれ。
(書物によって作りし人を量るべし)
かつてあらざりしこと、あるまじきこと、
いわれなく、作り出されて、
山も起こされ、人々や、
おきてや国々や王たちのことも語らるれ。
その物語はいと慧(さか)しげに、
荘重の装い紙上に満てり。
その口絵は一切空を告ぐるとも
それによってなお教訓を得べし。

読者よ、わがなすところはいささか異なりて、
空なる物語もて卿(おんみ)らを悩まさじ。
わがここに言うところは、誰も(※1)よく知ることにして、
その物語は涙と悦びもて語るを得べし。
人霊の市(まち)は誰もよく知るところにて、
人霊とその戦いを記せる
歴史に通ずる人誰か、
その艱難(なやみ)をば疑わん。

人霊と市とその有様を
語らんとするわれに耳を貸せ。
人霊はいかに失われ虜(とら)われ奴隷となりけるよ、
人霊はいかに自らを救わんとせる彼に叛けるよ。
その主にいかに敵対し、
主の敵をばいかに親しみしよ。
これ皆真実(まこと)のことにして、これを拒むその人は、
最上の記録(※2)をば譏(そし)るなり
われは自らその市の
建ちし時にも倒れんとせる時にもそこにあり。
魔王それを占領し人霊彼が圧抑(あつよく)の
下にあるをわれは見ぬ。
人霊魔王を主とあおぎ、
こぞりて彼に服(したが)える時にもわれはそこにあり。

(上記はいずれもバンヤンが『聖戦』を読もうとする読者に語りかけた文章を松本雲舟が、これまた流麗な日本語に置き換えたものを写したものである。翻訳文は壮麗な文章であるが今日では使われていない漢語もあり、現代の読者には読みにくいと思われるものは引用者が平仮名のみにした。なおバンヤンの英文原書は今日サイトで自由に閲覧できる。それを参考に少し注釈をつける。※1はTrue Christians.「真のクリスチャンたち」※2はThe Scriptures「聖書」と文中にあるが、雲舟氏は省いたようだが、それを補った方が理解が深まる。なお雲舟氏が人霊と訳していることばはMansoulである。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」 旧約聖書 エレミヤ17:9

2012年2月2日木曜日

あなたの宮殿にはどなたがお住みですか

 昨日の続きだが、松本雲舟氏は『聖戦』を訳するにあたり、その序で次のように言っている。

 『何処へゆく』『神々の死』、皆これ霊肉の衝突史である。『聖戦』は純基督教思想の霊肉衝突史である。訳者はかかる意味においてバンヤンの著作に筆をつけた。而して遂にその著作のみならず、バンヤンその人に多大の興味を持つようになった。
 『天路歴程』は基督教界の必読書として広く世に紹介されている。しかしその他の二大傑作である『聖戦』と『恩寵記』とは、宣教50年を過ぎた日本の基督教界に未だ紹介されずにいたのである。これは極めて奇怪なことである。余のごとき後輩の筆によって、バンヤンの著作が日本に紹介されるのは、日本の基督教界の恥辱ではあるまいか。
 『聖戦』を訳した余の筆は勢いバンヤンの自叙伝である『恩寵記』に及ばざるを得ない。余は来る年においてこれを完成したいと想う。

   明治44年12月              雲舟生

 彼は明治15年生まれだから、この時29歳そこそこであることがわかる。しかも彼はこの『聖戦』を読者の便を図って解題につとめ、その第4項目「王の宮殿」と題して私にとって興味ある記事を以下のように載せていた。

 グョオ夫人が不幸に沈める時、一人の隠者は言った。「夫人よ、御身(おんみ)がさように失望し困迷せるは、御身が内に持てるものを外に求むるからである。 神を御身の心の中に求むるようにしたまえ。すれば御身は常にそこに神を見出すようになる。」この時から夫人は神秘家となった。内部生活の神秘はたちまち夫人の心に閃(ひらめ)いた。夫人はそれまで糧食豊かなる中にあって飢えていた。神は近くにある。遠くではない。天国は夫人の心裡(しんり)にあった。神の愛はその時から夫人の霊魂(たましい)を占領して言い現わしえざる幸福に満たした。前には困難であった祈祷も楽しく欠くべからざるものとなった。祈りの時は瞬くままに過ぎた。夫人は二六時中祈りを止むることがなかった。その家庭の試練は最早夫人にとりて大きくなかった。その内部の喜悦(よろこび)は夫人が生まれた以来、周囲に附き纏うた嫌厭(けんえん)、不平(ふこう)、悲哀を火のごとく焼き燼(つく)した。

 グョオ夫人とは恐らくガイオン夫人のことであろう。明治末年においてすでにガイオン夫人のことは巷間に知られていたのだ。彼女のすぐれた自叙伝は残念ながら今もって邦訳は存在しない。しかし、この雲舟氏の筆で彼女の一生が簡潔にまとめられており、わずかながらでも一端を知ることができる。私は『聖戦』の場が、この王の宮殿たる、私自身の心裡にあることを改めて教えられた。

 そんなことを考えているとき、今日の家庭集会でのメッセージもまた、私たちの王の宮殿たる心が問題にされた。すなわち、私たちの心が全能の王である主なる神様の住まいとなっているか、を問うたものだったからである。何でも自分でやれる、やろうとしているときはこの全能の主を知ることは決してできない。それはきわめて不幸なことである。そうではなく、ヤコブの全能者(イザヤ40:14)を心にお迎えすることだと語られた。また証してくださった方も、普通の人間関係では考えられない主のお働きを受け、全能の主を心の王座にお迎えできた喜びを伝えてくださった。最後に今日の家庭集会でメッセンジャーが引用されたみことばの一部を掲げておく。

主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。・・・」(旧約聖書 詩篇132:13〜14)

2012年2月1日水曜日

The Holy War by John Bunyan

バンヤン作 聖戦 表紙(明治45年3月)
 明治から昭和まで生きた松本雲舟と言う方がいた。バンヤンの多くの作品の明治・大正期に活躍された訳者である。

  二週間ほど前、『聖戦』という本を古本市場で見出した。ほとんど色褪せていてその背表紙の文字は気をつけていないと思わず見過ごすところであった。この作品も実はバンヤンのものである。オースティン・スパークスがメッセージの中でその『聖戦』から引用していたように記憶しており、かねがね一度その本を手にしたいと思っていた。

 バンヤンの作品の『天路歴程』は一般にもよく知られており、古本市場でも時々目にすることはあるが、『聖戦』はそれほど有名でもなく、また捜そうにも手立てがなかった。その本が私が出かけて行った古本市場で、たくさんの本の間にひっそりと潜んでいるではないか。手に取ってみると、松本雲舟訳とあった。全く聞いたことのない訳者の名前であった。それはそのとおり、冒頭でも記したように一時代前の訳者であったからである。訳は文語体で綴られており、一見私には読みにくい文章に映った。しかし『聖戦』そのものを何としても読みたいという思いが私のうちに強く起こされ、その思いが結局勝った。それで思い切って購入することにした。

 家に帰って早速読み始めた。ところが、文体も何のその、全く気にならず、その訳者の筆力はぐいぐい私を魅了してほとんど三日ほどこの本の虜になってしまった。確かに文体は文語だがメリハリの利いた簡潔な訳文は時を越え、私をバンヤンの作品(1682年)へと確実に招き入れてくれたからである。

『聖 戦』とは、私たちの霊が主によって造られているはずなのに、悪魔の攻撃によって奴隷とされ、その悪魔から私たちの霊が再び主のもとに取りかえすために、まことの私たちの霊の主である王が苦心惨憺私たちの霊を取り戻してくださる、その戦いの叙述が延々と続く作品である。恐らく登場人物は何十人であろう。ちなみにどんな人物が登場するか紹介しておこう。

 我意氏、偏見氏、懐疑氏、万屋(よろずや)将軍、負嫌氏、邪思案(よこしましあん)、一文惜しみの百損氏、良知氏、克己将軍、求醒氏、涙眼氏、秘書官長、良心氏、信用将官、好望将官、博愛将官、無垢将官、忍耐将官と、ざっとこんな具合である。

  こういう一人一人が敵陣と味方に別れて戦うのである。戦争とは言え、この戦争は私たちの霊のうちに見られる恐ろしいまでの心中の戦いそのものを風刺した作品であり、それぞれは私たちの分身であることは言うまでもない。しかもその叙述は聖書全巻が偏ることなくベースとなっている。松本雲舟氏は煩を避けるために引用聖句は一切カットしているが、バンヤンの原文には一々聖書個所が根拠としてあげられている。その中で王(父なる神様)が王子イムマヌエル(イエス・キ リスト)を遣わし、霊の解放がいかになされていくかが、一つの頂点である。さらに悪魔の奪回の攻撃は激しく、そのためにこの王子イムマヌエルと魔王の戦いは黙示の戦いを予示した激しいものとなる。

 全部で19章の章立てとなっているが、最終章に近い内 容は17章「魔王なお一度軍を挙ぐ」、18章「悪疑氏疑惑者と共謀す」、19章「『わが来るまで堅く守れ』」という題名をとおしても、ある程度その内容は想像がつくというものである。訳者松本雲舟氏は読売新聞の「身の上相談」欄にかかわり、昭和女子大学の前身の女学校の創設者の一人であったことを付け加えておこう。この項はhttp://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20090414ok04.htm による。
 
 それにしてもこの表紙はとても100余年前のものとは思えない。また明治期最後の年に近く出版されたこの斬新なデザインは、これまた大正デモクラシーを目前に控えた夜明けの時代がなせるわざであったのであろうか。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(新約聖書 エペソ6:11〜12)