2012年2月5日日曜日

『聖戦』読者へより、その3

知人に所望していただいた一枚の絵
われは聴きぬ、王子は叱咤将軍(※1)に
城に登りて、敵を捕えよと命ずるを。
将軍とその部下は恥の鎖に敵をつなぎ、
市(まち)の中をば曳(ひ)いて来ぬ。

イムマヌエルが人霊の
市を占領せし時われは見ぬ。
いかに大いなる祝福は華やかなる人霊に来れるよ。
王子の赦令(ゆるし)を受けて、その律法(おきて)に住める時。

魔王党の捕えられし時、
吟味されし時、死に処されし時、
われそこにあり、然り人霊が、
その謀反人を磔殺(たくさつ)せし時、われ側に立ちぬ。

人霊が皆白衣をまとうをわれは見ぬ。
王子は人霊を心の歓喜(よろこび)と呼びぬ。
金の鎖や、指環、腕環を、
人霊に与えてこれを飾りぬ。

われ何をか言わん。人霊の叫ぶを聴きぬ。
王子が人霊の眼より涙を拭うを見ぬ。
呻き声を聴き、多くの者の悦ぶを見ぬ。
われはその凡てを語らず、語るを得ず。
ただわがここに語る所にても人霊の類なきその戦いは、
作り話にあらざるを見るに足らん。

人霊は二人の君主の願望(ねがい)にてありき、
一はその所得を保ち、他はその損失を得んとす。
魔王は「市はわが有(もの)」と叫び、
イムマヌエルは人霊に対する、
その神権を主張してここに戦いとなりぬ。
人霊は叫びぬ、「この戦いにわれは滅びん(※2)」と。
人霊よ、その戦いは窮(きわま)りなく見えぬ。
一方が失えば、他方はそれを獲(え)ぬ。
最後にこれを失える者は誓いぬ。
「われこれを獲ん、然らずば砕片(こなごな)にせん」と。

人霊よ、そは戦場にてありき。
戦いの響きの聴かるるところ、
打ち振る剣の怖れらるるところ、
小競り合いのなさるるところ、
空想が思想と戦うところ、
人霊の艱難(なやみ)はそれにもまして大なり。

戦士の剣は赤くなりぬ。
傷つきし者は叫びぬ。
これを見聞きせざる者、
誰か人霊の驚愕(おどろき)を知らん。
太鼓の音を聴ける者、
誰かおそれて家より遁(に)げ出さざるべき。

(※ 1 「叱咤将軍」とは雲舟氏の訳語だが、原文はBoanergesとある。明らかにイエス様が弟子であるヤコブ・ヨハネ兄弟につけられた綽名 Boanerges「雷の子」であろう。しかし雲舟氏はまさにこの場合にふさわしく「叱咤(しった)将軍」ということばを当てられている。絶妙な訳であ る。もちろん王子はイエス様である。この場面は「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行 列に加えられました。」〈新約聖書 コロサイ2:15〉などが考えられるのではないか。※2 バンヤンには「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこ の死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」〈ローマ7:24〉のみことばが念頭にあったのではないだろうか。)

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