2012年2月27日月曜日

Honor Oakでの交わり(1937年)

 ウオッチマンは次にロンドンとオナー・オウク・ロードのキリスト者交流センターへ出かけた。そこでは以前彼が一人で訪ねた時、開かれた交わりにつき論争を激しく引き起こしたところだった。すぐに彼はオースティン・スパークス氏や教会のほかの責任ある人たちと打ち解けることができた。彼はここを 一時的な本部にした。現著者がいくつかの忘れられない週を彼と過ごしたのもここだった。

 オナー・オウクの教会は主の民に広く開放されており、明確な宣教ビジョンを備えていたが、キリスト者生活における十字架の主観的な働きを強調するところもあった※⑴。そのような働きは、福音伝道の時節にあっては幾分消極的とみなされ、活動的なクリスチャンの証を余りにも「より高いことがら」をもつ受け身的な働きに転換しがちなものとして受けとめられていた。 それに加えて、オナー・オウクはニー自身のように、生活や証がより原初的な、あるいは「霊的」な模範を追求していて、歴史的な宣教からは逸脱する宣教師の吹きだまりになっていると非難されていた。このようにしてウオッチマンは再度、福音伝道の主流からはわずかにはずれた流れに身を投ずる道を選んだ。

 結果として短い間、彼との交わりを独り占めしてそれを楽しんだ私たちのそれぞれは、聖職者たちとともに、彼の体験を知り非常に豊かな思いにさせられた。彼は大層気楽に話し かけ、その東洋的な文化の背景によって私たちのキリストにある共通の遺産について大変刺激的な議論を引き起こすのだった。彼が公の席上で話す時、朝の祈り会であろうとも教会の集会の説教であろうとも、彼の英語力の素晴らしさは彼の仕草の魅力ぶりと相まって耳を傾ける者を喜ばせた。しかし私たちを勝ち得たのは彼の説教の中身そのものであった。彼は多言を要せずして、私たちにキリスト者の生活の幾つかの問題点を直裁に伝えた。それは長い間私たちを悩ませていたり、あるいは私たちが避けていた神様がいくつか要求されていることに改めて直面させるものだった。というのは、私たちキリスト者は余りにも多くの問題点に優っているからだ。まさしく彼が魅力的に「dotching the itchue」※⑵と指摘したとおりであった。また彼は中国の思想家の偉大な関心事を彼の選んだ用語で示し、しばしば私たちの陳腐化した福音的な言い回しに新しい意味をもたらすのであった。

 さらに彼は私たちの本質を洞察することができた、もちろん、洞察は信仰深いものであった。これは彼の目的はつねに彼が愛したキリストをほめあげることにあったからである。私たちの所に来て一ヶ月も経たないうちに、巧みではあるが明らかな関心を示して、私たちの危険な点、すなわち霊的な高慢を正しくも言い当てたのだ。神様は彼にすでに体験から示されていたことだった。彼は私たちに、やさしく語りかけ、「さばいてはいけません。さばかれないためです」は「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます」※⑶と同じ確かな神の原則であると語った。30年経っても、彼が私たちに話した記録は、ぼろぼろになったノートから躍り出て来て新鮮で驚くべき妥当性を示すように思われる。


(『Against the tide by Angus Kinner』の第12章Rethinking再考〈150〜151頁〉より訳す。※⑴については作品の欄外に下記に示す、みことばが示されていた。※⑵は恐らくウオッチマンの中国なまりの英語をそのまま現わしたものであろう。仮に「ditching the itches」とするなら「うずうずしている心を捨てる」とも訳せるようにも思えるが、わからない。※⑶はマタイ7:1、ルカ6:38である。いきなりWatchmanの伝記についての作品を一昨日から紹介することになったが、できるだけ紹介し続けたい。)

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(新約聖書 2コリント4:7)

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