知人に乞われるまま、昨日は同行者三人の方と一緒に三人の方を特別養護老人ホームにお訪ねした。いずれも初対面の方ばかりであったが、皆さんに聖書のことばを読んで差し上げたり、賛美したりして自由で豊かな語らいの時を持たせていただいた。
Aさんは大正四年生まれで97歳の方であったが、ベッドに半身を起こして丁寧にお話してくださった。過去のことだけでなく、今のこと、家族のこと、孫の名前をあげて一人一人の現在の状態を掌握されており、母親としての心配りは現役そのままであった。聖書を読んでお祈りしましょうと申し上げると、私の右半分にはお釈迦様が、左半分にはイエス様がおられるので何不自由もありませんという意味のことを言われる。少し面食らったが、祈り心をもって詩篇やヨハネの福音書から数カ所読んで差し上げた。お祈りするとき、もっと大きな声で、とおっしゃるので、すると今まで私がお話ししたことも余り聞こえていなかったのだと初めて知る。けれどもそのころはお互いに心と心は通い合い、私が祈り終わったらアーメンと大きな声で言ってくださった。そして「あなたは(祈りの中で)私に二人の息子が与えられたと言われたのですが、もう一人、娘がいるのですけどね」と優しく諭してくださった。お聞きしていて女性として最高の教育を受けられ、情操豊かに人生を送られ、今なお生への意欲が満々と体中にみなぎっているお方のようにお見受けした。
次にBさんにお会いした。
この方は遠く青森出身の方のようで、たまたま同行した人の中に青森出身の方がおられ、お互いに話が弾んだ。この方にもイエス様をお伝えしようとしたら、この方は「私は心が汚れているから、駄目だ」と言われる。話を聞いてみると、自分は(新興)宗教があってそれを捨てられないのだ、という意味のことを言われる。
その方にお贈りした色紙にはマタイ11:28の有名なおことばが絵にあわせて書かれていたので、その意味をお話ししたがウンウンと頷かれて聞いて下さった。
最後にお訪ねしたCさんは昭和2年生まれだが、半身がご不自由のようで片側からしかお話しできなく壁際に身を滑り込ませてのお交わりになった。お話をお聞きすると、私が最後に奉職させていただいた高校の戦前の卒業生の方だった。その高校には一年しかいないし、講師の身であったのでとても大いばりでその関わりを云々出来ないが、それでも不思議な出会いでその方も大変喜んでくださった。その方はどういう具合か、女学校時代のことだろ
うか、福音に触れられていたようだ。賛美をして差し上げようとしたら、ご自分でリクエストを出された。それは聖歌472番の「人生の海のあらしに」※であった。ほとんど諳んじておられ、この方の人生に主は深く関わって来られたことを感じ取れた。そんなこの方も戦後のある時期から「生長の家」に入ってキリスト教からは離れた旨話された。お聞きするうちに、小児まひのお体で苦労してお母さんに育てられ、そのお母さんから、いつもこんな体で生んで悪かったと言われるのがつらかった、お母さんのせいではないのにねーと言われる。主なる神様は決して無意味に病気を与えられるのではないことをお話しし、詩篇139:1〜
18までを読み、一緒にお祈りした。そして祈りのさなかに何度も頷かれるかのようにアーメン(主よ、そのとおりです)と言われる。三人のうちでは一番体はご不自由のようであったが、「霊」は一挙に主とともに駆け上がった様子であった。
こうして一日経ち、昨日の三人の方との出会いを思うとき、黄昏時の人生の過ごし方、孤独な老後の姿を思わされる。昨年12月18日にも滋賀県の能登川の方と姫路の方とそれぞれ同じ一日のうちに主のみことばを伝え、主イエスを信ずる者は永遠のいのちを与えられることをお話し、お祈りしたことがあった。ところがここ数日それぞれの方がお亡くなりになったことをお聞きした。私自身もいずれひとりで召される時が来る。その時に一体何をもって主イエス様にお会いできるのだろうか。黄昏時のお一人お一人の生き様は私にあなたはどうなのですかと問われた思いがする。
※聖歌472番の歌詞
人生の海の嵐にもまれきしこの身も、
不思議なる神の手によりいのちびろいしぬ。
いと静けき港に着き、我は今、休(やす)ろう。
救い主イエスの手にある身はいとも安し。
あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(旧約聖書 アモス4:12)
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