昨日の続きだが、松本雲舟氏は『聖戦』を訳するにあたり、その序で次のように言っている。
『何処へゆく』『神々の死』、皆これ霊肉の衝突史である。『聖戦』は純基督教思想の霊肉衝突史である。訳者はかかる意味においてバンヤンの著作に筆をつけた。而して遂にその著作のみならず、バンヤンその人に多大の興味を持つようになった。
『天路歴程』は基督教界の必読書として広く世に紹介されている。しかしその他の二大傑作である『聖戦』と『恩寵記』とは、宣教50年を過ぎた日本の基督教界に未だ紹介されずにいたのである。これは極めて奇怪なことである。余のごとき後輩の筆によって、バンヤンの著作が日本に紹介されるのは、日本の基督教界の恥辱ではあるまいか。
『聖戦』を訳した余の筆は勢いバンヤンの自叙伝である『恩寵記』に及ばざるを得ない。余は来る年においてこれを完成したいと想う。
明治44年12月 雲舟生
彼は明治15年生まれだから、この時29歳そこそこであることがわかる。しかも彼はこの『聖戦』を読者の便を図って解題につとめ、その第4項目「王の宮殿」と題して私にとって興味ある記事を以下のように載せていた。
グョオ夫人が不幸に沈める時、一人の隠者は言った。「夫人よ、御身(おんみ)がさように失望し困迷せるは、御身が内に持てるものを外に求むるからである。
神を御身の心の中に求むるようにしたまえ。すれば御身は常にそこに神を見出すようになる。」この時から夫人は神秘家となった。内部生活の神秘はたちまち夫人の心に閃(ひらめ)いた。夫人はそれまで糧食豊かなる中にあって飢えていた。神は近くにある。遠くではない。天国は夫人の心裡(しんり)にあった。神の愛はその時から夫人の霊魂(たましい)を占領して言い現わしえざる幸福に満たした。前には困難であった祈祷も楽しく欠くべからざるものとなった。祈りの時は瞬くままに過ぎた。夫人は二六時中祈りを止むることがなかった。その家庭の試練は最早夫人にとりて大きくなかった。その内部の喜悦(よろこび)は夫人が生まれた以来、周囲に附き纏うた嫌厭(けんえん)、不平(ふこう)、悲哀を火のごとく焼き燼(つく)した。
グョオ夫人とは恐らくガイオン夫人のことであろう。明治末年においてすでにガイオン夫人のことは巷間に知られていたのだ。彼女のすぐれた自叙伝は残念ながら今もって邦訳は存在しない。しかし、この雲舟氏の筆で彼女の一生が簡潔にまとめられており、わずかながらでも一端を知ることができる。私は『聖戦』の場が、この王の宮殿たる、私自身の心裡にあることを改めて教えられた。
そんなことを考えているとき、今日の家庭集会でのメッセージもまた、私たちの王の宮殿たる心が問題にされた。すなわち、私たちの心が全能の王である主なる神様の住まいとなっているか、を問うたものだったからである。何でも自分でやれる、やろうとしているときはこの全能の主を知ることは決してできない。それはきわめて不幸なことである。そうではなく、ヤコブの全能者(イザヤ40:14)を心にお迎えすることだと語られた。また証してくださった方も、普通の人間関係では考えられない主のお働きを受け、全能の主を心の王座にお迎えできた喜びを伝えてくださった。最後に今日の家庭集会でメッセンジャーが引用されたみことばの一部を掲げておく。
主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。・・・」(旧約聖書 詩篇132:13〜14)
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