2012年2月3日金曜日

『聖戦』読者へより、その1

読者へ

古(いにしえ)に起これることを語るを好み
歴史学にすぐれたる人々が
人霊の戦いについて語らざるは不思議なり。
その戦いを昔話のごとく、値うちなきことのごとく、
死して横たわらしむるも読者になんの益あらん。
人々これを知るまで、自ら知らずとも、
彼ら自らの戦いをなさしめよ。

物語には、外国のもの、国内のもの、
類(たぐい)かわれど、その語りぐさは、
空想の作者を導くままに作らるれ。
(書物によって作りし人を量るべし)
かつてあらざりしこと、あるまじきこと、
いわれなく、作り出されて、
山も起こされ、人々や、
おきてや国々や王たちのことも語らるれ。
その物語はいと慧(さか)しげに、
荘重の装い紙上に満てり。
その口絵は一切空を告ぐるとも
それによってなお教訓を得べし。

読者よ、わがなすところはいささか異なりて、
空なる物語もて卿(おんみ)らを悩まさじ。
わがここに言うところは、誰も(※1)よく知ることにして、
その物語は涙と悦びもて語るを得べし。
人霊の市(まち)は誰もよく知るところにて、
人霊とその戦いを記せる
歴史に通ずる人誰か、
その艱難(なやみ)をば疑わん。

人霊と市とその有様を
語らんとするわれに耳を貸せ。
人霊はいかに失われ虜(とら)われ奴隷となりけるよ、
人霊はいかに自らを救わんとせる彼に叛けるよ。
その主にいかに敵対し、
主の敵をばいかに親しみしよ。
これ皆真実(まこと)のことにして、これを拒むその人は、
最上の記録(※2)をば譏(そし)るなり
われは自らその市の
建ちし時にも倒れんとせる時にもそこにあり。
魔王それを占領し人霊彼が圧抑(あつよく)の
下にあるをわれは見ぬ。
人霊魔王を主とあおぎ、
こぞりて彼に服(したが)える時にもわれはそこにあり。

(上記はいずれもバンヤンが『聖戦』を読もうとする読者に語りかけた文章を松本雲舟が、これまた流麗な日本語に置き換えたものを写したものである。翻訳文は壮麗な文章であるが今日では使われていない漢語もあり、現代の読者には読みにくいと思われるものは引用者が平仮名のみにした。なおバンヤンの英文原書は今日サイトで自由に閲覧できる。それを参考に少し注釈をつける。※1はTrue Christians.「真のクリスチャンたち」※2はThe Scriptures「聖書」と文中にあるが、雲舟氏は省いたようだが、それを補った方が理解が深まる。なお雲舟氏が人霊と訳していることばはMansoulである。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」 旧約聖書 エレミヤ17:9

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