(「福音の 真清水飲みて 訪れし 媼(おうな)と語り 菊愛でる幸」) |
土間には丹精込めた菊の鉢植えがあった。一番裏に倉があり、明治期と昭和期にそれぞれ建てられた昔のたたずまいを残す家が奥から表へと続いている。私たちを招き入れてくださったのは表の店の間だったが、箱庭からも土間からも光が差しこんで程好い明るさだった。お舅さんが京風の和室をと願い、造られたということであった。毎日拭き掃除をよくなさっておられるのだろう。小ざっぱりとした畳や柱の一つ一つに見とれながらお母様の話をお聞きした。人一人で生きておられる気高さが伝わってき、若い私たちのだらしない生き方があぶりだされるようで恥ずかしくなった。
小半時ほどのお交わりであったが、お暇する時、私たちを見送りに、わざわざ近くのバス停留場にまで、出てくださった。そして、バスに乗りこんでも、なお丁寧に手を振って別れを惜しんでくださった。この日は外は小春日和で、史跡を巡る観光客が行き交い賑わっていたが、私たちは私たちで観光とはまた違った心の中にかすかな望みを与えられ帰ってきた。
私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
だれが御怒りの力を知っているでしょう。
だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。
その恐れにふさわしく。
それゆえ、私たちに
自分の日を正しく数えることを教えてください。
そうして私たちに
知恵の心を得させてください。
(旧約聖書 詩篇90篇 神の人モーセの祈り 10~12)
モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:7)
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