土曜日、月曜日と同じ轍を踏む経験をした。
土曜日は、はるばる関東から一人の滋賀県にお住まいの老人の方を尋ねた。一週間前、「近江八幡喜びの集い」で初めてお会いした方だった。ちょうど娘さんも一緒であり、お二人と話している間にその方が駅前の比較的近い所に住んでいらっしゃると聞いた。独り住いをなさっていることもあり、イエス様を中心にしたお交わりがいただけないかと思い、日曜日近江八幡の礼拝に出席することもあり、お訪ねしたかったのだ。
幸い字名「垣見」という名称を承っていた。最寄りの駅も一度降りたことがあるし、地名番地も承っているのでてっきり楽勝だと勢い込んで、文明の利器iPhoneを片手にスタートした。ただ朝に出立った鈍行列車の旅だったので、現地に降り立ったときはすでに夕闇が迫っていた。その上、件(くだん)の場所は私が当初想像していたよりは意外に遠かった。そして、ほぼiPhoneの示す地点についてそのあたりの人家を捜したが容易に見つからなかった。
やむを得ずご本人に事の次第を話して電話して尋ねた。ところが私の探しまわったのは駅の反対側であった。結果的には番地入力が私の操作ミスで反対側の「垣見」を捜す羽目になったのだ。聞いてみると、もう一度駅まで引き返し、向こう側に出るということだった。道々教えていただいたお店の屋号をお聞きしたので、時間はかかったがそれを頼りに結局ほどならず、お宅に伺うことができた。「垣見」は散在していて私が頭の描いていたのとちがい、駅前の一区画だけでなく遠くまで広がっていたのだ。福音を紹介しともに祈ることができ、その上日曜日には一緒に近江八幡へ行こうということになった。幸いな交わりであった。
これが土曜日の経験であった。ところが月曜日にまたまた同じ経験をしてしまった。
今度は滋賀から関東に帰るのに、東海道線を使うのをやめて、名古屋から中央線に入り両側の山々に抱かれながらのコースを選んだ。もちろん時間はかかるのだが、今度は友人の奥様であり私の中学時代の先輩でもある方の住まう神奈川県の「寸沢嵐」を訪ねたい思いがあったからである。
この地は全く初めてで最寄りの駅も降り立つのは初めてであった。ただもうここ数年心の中では何度も行きたい、行きたいと思い先輩と交わりたいと思っていた土地だった。時刻表を調べて早朝滋賀を出たのだが、目的地に着いたのは四時を過ぎていた。山間に囲まれていたその地は、平地の町にくらべより一層時間の割には夕闇が迫っていた。駅前に観光案内所があって「寸沢嵐」のバスを使っての行き方を尋ねてみると意外に簡単に行けることがわかった。「寸沢嵐」は「すあらし」と読むこともついでにわかった。時間も遅くなったので、ご機嫌うかがいの挨拶だけをして帰るつもりで、あらかじめ電話もしないことにした。
10数分バスに乗ってその停留所に着いた。暗がりの中iPhoneで操作するのだが目立つ建物が見つけられず弱った。幸い目の前の交番が目に入り、飛び込んだ。ところが交番は生憎その時間は無人で何かあれば電話で尋ねるようにと言うメモ書きがあった。早速、番地と友人の家の苗字を言ったが、電話の向こう側で警察の方が説明するのに手間取っておられることが伝わって来た。
ちょうどその時、一人の方が交番に入って来られ、私が「寸沢嵐」の人家を捜しているのを聞いておられた。土地の人の様子でその方は自宅の前に放置している自転車の扱いを相談に交番に来られたのだが、それも出来ず代わりに自分が案内してあげようと言われた。それも乗って来た車に乗せてあげようという申し出であった。恐縮して辞退を申し上げるのだが、その方は遠慮するなと強く言われるので、お言葉に甘える羽目になった。ところがいざ車に乗せてもらうと、警官の方の説明を聞いた感じではすぐ目的地に着けるはずであるのに随分遠いことに気づいた。その上かなりの坂道であ
る。こんな道を歩いて、しかも夜道を歩いてはとても上れないことに気づかされ、自分の無鉄砲さが恥ずかしかった。
その方は私の説明が要領を得ず、心当たりの方の家に行って聞いてくださった。ますます身も知らない方々のお手を煩わせるばかりで恐縮しっぱなしであった。新しいその方はお風呂に入浴中にもかかわらずお風呂場から説明をしてくださるのだが、結局わからず仕舞いで車に帰り、今度は別の方の家に連れていってくださった。ところが次の方は私の友人の名前と家の所在地を知っておられたのだ。
ところが小高い丘陵のようなところで道が入り組んでおりたどるのが難しいと言われ、ご自分が同乗して案内してあげると言われる。全く見ず知らずの私をこうして二人の方が二人掛かりで案内して下さったのだ。もう私は穴があったら入りたいくらい恐縮しっぱなしであった。やっと玄関先にたどり着き友人の奥様に挨拶し、場所が分かったからまた出直して来ますと言って這々(ほうほう)の体(てい)で辞去した。
下の道路にはその方が車で待っていてくださり、タクシー並みに駅まで送ってやると言われる。そんなにしていただくのは申しわけないと断ると遠慮すること無い、自分もひまだったし何かの縁だから、
と言われるのだ。こうして駅まで4キロほどの道を山地を降り、湖岸へと車を走らせてくださった。
道々、この町の大雑把な特徴やご自身の出身地水戸のことも話してくださり、簡単になぜこの町に住んだかまで話してくださり、駅に戻って来た。降りる時、お名前を教えてください、と言うと、いいじゃないか、と言われる。それでは困ると言うので、やっと名前を教えていただいた。今までいろんな親切を人様からいただいているが、こんなに親切にされたのは生まれて初めてのような気がする。どうしてこのように人々が名も知らない私のために働いてくださったのか不思議でこの地の人々がそのようにして生きておられるのかと感激さえした。
あわせて自分のいい加減さをこの二つの経験を通して知った。地名と番地を知っていてもその土地には広がりがあること、「垣見」がそうだった。駅を挟んで両側を離れた地域をふくんでいるとは思いもしなかった。一方、地名と番地を知っただけでその土地の性状を知ったことにならぬと言うこと、すなわち丘陵地であるかどうかまで知るべきことを知った。帰って来てから地形図を見て「寸沢嵐」が「垣見」と同じく他の字と入り組みながら反対方向に広がっており、その上、海抜高度250m前後の丘陵地で道路から5、60m上がらねばならないことを知った。
しかし、そのような私の側の轍にもかかわらず、主が働かれるとこれはまた全く主を知らない人々も目的のためには動かされるのだということを体験的に知らされた思いであった。
ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」(旧約聖書 2歴代誌36:22〜23)